2005年1月中旬から2006年3月中旬まで、実に14ヶ月に渡って Mos Symphonia の市長を勤めさせていただきました。

「Alm の施政は成功だったか、失敗だったか?」と聞かれれば、自分では「成功」と答えたい。少なくとも、10人くらいの人はこの意見に賛成してくれるのではないかと信じています。できれば、100人くらいに同意してもらいたいけれど。

「Mos Symphonia の運営は喜びだったか、苦痛だったか?」と聞かれれば、「喜び」と答える。こればっかりは、完全に主観にしか立脚できないので、同意してもらう必要はありません。

ただし、のほほんと市長をやっていたからこそ、この成功や喜びがもたらされたとはこれっぽっちも思っていません。皆さんの気づいているところや、気づいていないところで、いろいろ考え、実行し、反省 (Plan-Do-See サイクル)をしていました。自分を美化して言うなら「水上では優雅だが、水面下では懸命に水をかいている白鳥」であり、その例が僕に似つかわしくないと思うなら、「PC画面の前で、顔を真っ赤にして興奮したり、飯も喉を通らないほど落ち込んだり、平均的に見れば汗と涙と鼻水を垂れ流しにしながら七転八倒、悪戦苦闘した情けない日々」と言ってくれてもいいです。

そんな僕がエッセイ感覚(もしくは、マスターベーション?)で記す、"Mos Symphonia 政策・運営論" です。

1. 自由放任

何事も「まぁ、勝手にやってくれ」というのが、僕の一貫した考えだった。

市民になりたい人は勝手になればいいし、街を出たいと思った人は勝手に出て行けばいいし。
イベントを主催したければ勝手にすればいいし、イベントをボイコットしたければすればいいし。
当サイトで日記を書きたければ勝手に書けばいいし、攻略情報を公開したければ公開すればいいし。サイトのロゴを作りたければ作ればいいし、よそのサイトにリンクを張りたきゃ張ればいいし。

子供じゃないんだから、こっちからクドクドと「アレしろ、コレやっちゃダメ」なんて言う必要も義務も無いと思っていた。

ひとつ象徴的なこととしては、街の領域内に建築制限は設けなかった。
その気になれば、誰でも好きな時に好きな場所に家を設置することができた。このことは、街の人口が爆発的に増えたもっとも大きな理由であると考えている(本当は、「自分の治世が素晴らしく、多くの人を惹きつけた」と言えれば嬉しいのだが、こればっかりは違うと思う)。

実際、自由に家を建築できるせいで、何度かトラブルも発生した。街の中でどうしても広場として残しておきたい場所があった(例えば、カンティーナの目の前)。そういった場所に、そうとは知らずに家を立ててしまった人がいて、旧市民たちがいきり立ったことがあった。その事件が、2ちゃんねるでゴシップネタとして扱われたときは、水面下での火消しにほとほと胃を痛くした。顛末としては、その人に、市長として僕がコンタクトを取り、こちらの事情を説明し、相手も未知による過失を認めてくれたおかげで、ごく短期間のうちに解決に至り、それ以上の事なきを得た。

良い方に向かった例は、はるかに多い。昨年の春先まではそれこそ毎週のように、誰かが領域内に善意で家を建ててくれた。中には事前に連絡をとってから建ててくれた人もいるが、事前のコンタクトも無く突然家を建てる人たちもいた。かといって、後者のような人々を非難したいわけではない。僕が「自由放任」というポリシーを打ち立て、彼らもそれに従って勝手に家を建築したのだから、咎められる理由は何も無い。その代わり、僕は誰かが家を建てる度(市長にはメールで報告が入る。また、家を建てるだけでは市民にはなれず、個人は明示的に市民になることを選択しなければならない。そうしなければ、"街に家は存在するが非市民"となれる)に、その人へ「建築ありがとう。できれば、市民になってください。楽しいことがいっぱいあります」とマメにメールを送った。
非常に多くの人々が、そのメールを受け取った後、市民登録をしてくれた。

建築に関するこれらの例は、相手がたまたま"紳士・淑女"であることに救われていた。しかし、そういった"紳士・淑女"が多かったことは紛れも無い事実であり、そういった人々をルールでがんじがらめにすることは、彼らに対して失礼であるし、彼らのいいところを摘み取る結果にもなると考えていた。

そのようなわけで、全ては市民や他のSWGプレイヤーの采配に任せ、「自由放任」という態度をとっていた。それが成功のひとつだと思っている。

この節を閉めるにあたって、先の「2ちゃんねるでゴシップネタにされた」時の話にもう一度触れる。
ある投稿者が「建築制限をかけるのは、街にとって当たり前のこと。それすらできていないのは、市長の落ち度」という趣旨の投稿がされた。真っ先に思ったことは、「オマエは何もわかっていない」ということであたった。そして、「建築制限などかけずとも、Mos Symphonia は概ね平和なのだから、それこそが凄いことだってのが何でわからんの?」と。
しかし、今このエピソードを思い出すと、その時の自分の反発はある意味独りよがりなものだったもしれないと思い至る。僕は自由放任こそ最大の美徳だと考えているが、世の中には「自由放任は混沌とした社会を生み出す元凶であり、磐石な管理システムなりルールなり規制があった方がより望ましい」と考える人がいるのも事実だろう。"自由放任"と"磐石な管理"の良し悪し(もしくは善し悪し)は、一朝一夕に結論の出る問題ではないし、SWG をプレイしていた当時の僕は前者を良い(もしくは善い)と考えていただけであり、自分をめぐる状況が異なっていたら違う考えをしていたかもしれない。

つまり、「自由放任」は絶対的なガイドラインではないということである。人により、状況によりとるべき方法は異なってくる。それを忘れてはいけない。太字で書いておいたが、そしてこれは、このエッセイ全体に共通して言えることである。

たまたま、Mos Symphonia は「自由放任」で成功しただけである。

2. 独裁

あえて、前節と逆のことを述べる。
威張って言うべきとではないが、僕は「自由放任や民主主義の皮をかぶった独裁」を Mos Symphonia に敷いていたと断言できる。

ある人は本当にアイディアに煮詰まって困っていたためであろうし、ある人は市長である僕に話を通すのがスジだと考えたためであろうが、いろんな事柄に関して頻繁に相談されたり、意見を求められたりした。
かなりの程度、その時に自分の意見をゴリ押しした。その意味で、独裁である。

街の運営方針は、毎週土曜日の夜に行われる「市民会議」で民主的に相談の上決定するというルールを"独裁的"に決めたのも僕であるし、その市民会議の席上、議論が発散すると僕の鶴の一声で結論を導いたのも独裁者である僕だ。
一見民主的なシステムである「市民会議」でみんなに議論を戦わせつつ、最終的に僕自身の好みを押し付けていたのだから、独裁である。

しかし、言いたい。「民主主義」を"多数決"と同義で捉えるのは誤りであろう。
端的に言えば、「みんなが、ある決定の内容と、その決定プロセスに納得すること」が民主主義の定義であると僕は考える。

僕の観察の限りでは、市民のみんなは、市民会議の結論(多くの場合は、巧妙に僕が導いた)に納得していた様子であるし、議論を戦わせるというプロセスを楽しみ、そのやり方に納得していた様子である。そんなわけで、"僕の定義"による民主制は保障されていたと信じている。

ただし、自分を弁護しておくと、何も自分勝手な主張を独裁的に行っていたわけではない。あくまで、「みんなが納得するような結論」を考えに考え抜き、要所要所で、すっとさりげなく滑り込ませるようにしていたに過ぎない。そして、納得が得られるような結論を事前に準備しておくという努力を怠ったことは無い。毎回、市民会議の前には、議題にしたいことをみんなに聞いて回っていたし、議題があればそれに深く関わりそうな人や、場合によってはもっとも関係がなさそうな人などにヒアリングを行い、思慮深い裁定を下すよう努力していた。

独裁のスタイルをとるのは簡単である。しかし、独裁によって少しでも望ましい結果を導こうとするならば、事前の準備や思慮深い考慮など、「独裁される人」以上の心身的苦痛、簡単に言えば努力が必要なのである。

3. 噂への対応

自分で自分のことを「2ちゃんねらー」だとはまったく思わない。その黎明期から存在は知っていたし、たまに面白いスレッドがあったりするので暇つぶしに眺めたりすることはよくある。ただし、いわゆる「2ちゃんねらー」のように、2ちゃんねるに依存したり、常駐したりはしていないつもりである(それでも、日本人全体から見れば、かなり「2ちゃんねらー」寄りだろう。例えば、うちのおかーちゃんよりは、僕の方がはるかに2ちゃんねるに近い存在であるし)。

そんな僕でも、Mos Symphonia の市長を一生懸命やっていた時代は、かなり頻繁に 2ちゃんねるの SWG スレッド各種を閲覧していた。
2ちゃんねるの全ての情報が真実であるとは思わないし、そこでの意見が全体の総意を反映しているとはこれっぽっちも思っていない。そして、多くの人もそう思っているだろう。
それにも関わらず、少なくない人々(ここでは SWG プレイヤー)が、2ちゃんねるの情報によって行動や考え方に影響を受けているということは、それほど突飛な想像ではないだろう。

人々は馬鹿ではない。ゆえに、2ちゃんねるの情報の質の的確な判断はできる。
しかし、人々にとって難しい問題がある。それは、「この話は嘘だと思う。けれども、自分以外の人はこの情報を信じて踊らされるかもしれない」と思い込んでしまうことである。むしろ、僕自身がこの思い込みのトラップにはまっている。

この信念は、全体に対して大きな影を落とす可能性がある。例えば、一例を挙げると、「Alm とその取り巻きは、チート・プログラムを使っている」という根も葉もない噂が流れたとする(そんなプログラム、SWG に関しては寡黙にして聞かないからきっと無いだろうし、僕らは誓ってそんなもん使ってない。あくまで例)。そんなプログラムは存在すらしていないと、みんな簡単にわかるだろう。しかし、ある人が、「他の人はそれを信じるかもしれない」と思ってしまうと面倒だ。自分が Alm と付き合っていることによって、その(偽)情報を信じた人から、自分もAlmの取り巻きチーターだと思われる恐れがある。ゆえに、Alm と付き合うのはやめよう、と思うわけだ。その結果、僕の交友関係はメタメタになってしまう。
そういう怖さが、「この話は嘘だと思う。けれども、自分以外の人はこの情報に踊らされるかもしれない」という信念に内包されている。

チート・プログラムの例で挙げたような状況は、簡単に発生しうると思った。しかし、事前に人々の目や耳や心に蓋をするのは困難である。
そのため、僕は常に 2ちゃんねるの情報を監視し、そこで流れる情報からどんな状況が起きうるか想定し、それが現実となったときの対応策を考えるようにしていた。
実際の例としては、1節で挙げた「建築トラブルに関するゴシップ」の時などである。詳しく書くと、ここで言いたい事からドンドンと乖離していくので、割愛する。

さて、ここまでは「2ちゃんねるでの情報は嘘が多い」という前提で話を進めてきたが、中には真実も含まれている。問題は、どんな情報であれ、裏づけを取らなければ真偽の判断はつかないということである。
2ちゃんねる(ここが全てとは言わないが、まぁわかりやすいので今後も例に使う)で、誰かが噂だの中傷だのを流すと、「証拠はあるのか?」というレスがつくこともまれではない。まさしく、証拠が無いと情報の真偽はわからないのである。

しかし問題は、一部には、真に正しい情報を提供しているけれど「自分は情報を提供するだけで満足。信じたくなきゃ信じなくてもいいよ。だからソースは載せない」という態度の人がいないとも限らないことだ。証拠が提示されないからといって、誤った情報であるとは必ずしも断言できないのである。
そのため、情報の真偽の確認は、なるべく自分で行うようにした。どこかで Mos Symphonia の悪い噂(時には良い噂もあった)が流れたら、時にはさりげなく、時には直接的に、関係者に聞き取りを行って、裏づけを行っていた。

正直に言うと、2ちゃんねるなどで流されていた、Mos Symphonia (や市民)に対するネガティブな噂は真実であることが多かった。幸い、僕自身が攻撃を受けたことは少なかったが(無いわけではないのだ。建築制限をしない馬鹿な市長とかね)、街や市民が悪く言われると自分のことのように悲しかった。同時に、自分の行動なら自分で律することが可能だが、他人の行動を100%コントロールすることは不可能なので、歯がゆさを何度も味わった。

かといって、無気力感にさいなまれているだけでは何も解決しないので、これまた時にはさりげなく、時には直接的に諭して回った。幸いにして、みんな聞き分けがよく、特定の悪い噂が後を引くことは少なかったように思う。これは良かった。

まとめると、噂への対応は2つだと考える。ひとつは「ある噂に対して人々がどのように振舞うか予測し、対応を事前にとる」こと、もうひとつは「起きてしまったものは仕方ないものとして、その代わり、真摯な事後策をとる」こと。よく考えたら、クドクド言うほどのことでもなく、至極当たり前のことだった。

4. マネをしない。マネをさせる。

乳幼児の研究を専門に行っているある先生*1が、あるときにこんなことを言っていた(メモや録音があるわけではないので、記憶に基づいた要約)。

私は、研究を行ううえでたくさんのお母さんと接する。小さい子供のお母さんと、中高生の子供を持つお母さんでは、言うことが正反対なのです。小さい子供のお母さんは、やれ言葉を話し始めるのが遅いだの、他の子に比べて大きすぎるだの「他の子供と異なっている」ことをものすごく心配している。それに対して、中高生の親は、成績が平凡だの、個性が無いだの「他の子供と同じである」ことをものすごく心配している。私から見れば、どの赤ちゃんもそれほど発達に違いはないし、どの中学生もみんなそれぞれキラリと光るものがあるのに、お母さんにはそれがわからないんですね。面白いもんです。

これと似た思いを、僕は Mos Symphonia という街に対して持っていた。
街の立ち上げ時期は、あちこちの街を実際に見に行ったり(とはいえ、当時は街の数は両手で十分だったが)、その街のサイトを隅から隅までずずぃーと見たりして、参考にしまくった。というのも、一般的な街のあり方から逸脱するのが怖かったのである。例えば、人の集まる場所での闇雲な勧誘活動が忌み嫌われると知るや、そういうことをやるのはやめようと思った。街のサイトとして、どんな情報をWEBで流せば人は集まるか、何を書いたら人々から嫌われるか、とか。本当に「他の子供(街)と異なる」ことを避け、他所と同じことに安心を求めた。

しかし、当初から、街の内部に向けては、(当時としては)目新しい、個性的なことをいろいろやっていたと自負している。今でも一部で語り草になっている、「街の名前の住民投票」とか。市庁舎を作る直前、その場にいた10名ほどが各々複数の名前候補を述べ、そのマシンガンのように流れる名前候補を僕は端末の前で必死に画面を追いながらメモを取り、20個近い街の名前がそろったところで、パブリックチャットのみで投票を行ったという、アレである(僕が候補としてあげた「Anti Tusken Base」が予選すら通過しなかったことは、今でもちょっと恨んでいるが、それはまた別のお話)。そのほか、みんなで「チャリティー・ハント」を行い、街の運営費をまかなう活動など。それよりも何よりも、タトゥイーンの辺境に街を作ったいきさつというのが、「タスケン砦が見えて眺めがいいし、ベスティン近郊に街を作ってる連中(馬鹿にしているわけではありません。それぞれの良さがあります)とは違った個性を発揮しよう」というアイディアにあるのだが。

そして、Krayt Corss、Mos Oasis に追いつけ、追い越せという機運が高まってきたあたりから、マネばかりしていても芽は出ないと思うようになってきた。中高生の子供を持つ親のように「他の子供(街)と違う」ことを、対外的にも目指し始めた。

特に、市民からの要望もあった。例えば、人が集まらないのでベンダーの商品の売れ行きが悪いといったことや、カンティーナにも目新しい人が来なくてつまらないといったことまで。今まで、他の街をお手本にやってきたのだが、それだと既存の街の方が実績もネームバリューもあるのだから、後進の Mos Symphonia が太刀打ちできるはずが無い。
そこで、独自の路線を切り開くことにした。

まず行ったのは、ハンターの誘致である。ある市民が、Mos Symphonia の郊外は地形も平坦で、比較的大量の獲物が発生することを発見し、口コミや当サイトで宣伝を行った。そして、これは本当に偶然の幸運なのだが、システム変更に伴って、尋常ではない数の生物が Mos Symphonia 近郊に発生するようになった。一時は「シンフォ狩り」という言葉が流通するほど、狩りのメッカとなった。

同じころ、当サイトに様々な攻略情報が掲載されるようになった。ダンジョンの攻略法や、JEDIクエストの攻略法など、一部は他の情報系サイトよりも充実した情報が掲載されていた。ケチをつけるつもりは無いが、他の街のサイトは、あくまで自分の街の紹介に終始していたのに対して、Mos Symphonia は市民以外でも利用できるサイトを目指してスタートを切った(ある街の市長をやっていた人が「最近、自分の街のサイトよりも、Mos Symphonia のサイトをよく見ています」とジョークを言うほどだった)。
Web サイトに関して言えば、これは勝手な思い込みかもしれないが、Mos Symphonia 以前の街のサイトは、通常のwebサイトで閲覧者が書き込みできるのはせいぜい掲示板ぐらいのスタイルであった。ところが、Mos Symphonia のサイトが上記のような一応の成功を収めると、その後に作られる街のサイトは wiki を利用したものが目に見えて増えた。SWG Wiki という有名サイトがあるので、その影響も大きいとは思うが、Mos Symphonia の「自由放任」なサイト運営が、他の街へも波及したと、個人的には信じている。

その他、Mos Symphonia より後進の街を見ていると、「市民会議」を定期的に行う街や、市民による「チャリティー・ハント」を取り入れる街などが現れ、"それって、(少なくとも日本サーバでは) Mos Symphonia が取り組んで、広く公開したやり方じゃん" と個人的に悦に入っていた。
他の街のマネをすることは癪になり始めていた僕であったが、他の街に追従されることには素直に嬉しかった。
自分たちのやり方が間違っていなかったことが、客観的に認められたような気になったから。

ただし、僕が提案して失敗した施策ももちろんある。
例えば、街の公庫への「寄付ベンダー」。街の運営資金は公庫から支出されるが、そのためには誰かが公庫へ入金しなければならない。しかし、公庫へ入金した人の名前は、どこにも記録されず、市長ですら知ることができない。僕は、街の運営に私財を投入してくれた人の名前が知りたかったし、その人たちへ感謝を述べたかった。そこで、「寄付ベンダー」という"クズみたいなアイテムを高額で売るベンダー"を設置して、数週間稼動させた。売り上げはそっくり公庫に入金した。ベンダーを利用した理由は、好きなときに誰でも購入可能で、買った人の記録が残るからである(その記録は「財政」ページに残っている)。名前を残したくない人は、従来どおり公庫に入金すれば良いのである。稼動させたところ、しばらくは上手くいっていたが、最終的には廃止になった。廃止の理由の大きな部分は、それを運営していた僕の問題で、作業がめんどくさくなって放置してしまったこと。それに比べると影響は小さかったが、「街でクズアイテムを高額で売るなんて、詐欺だと思われる」という市民からの反発があったこともあった。
そして、僕の知る限りでは、このアイディアを取り入れた街は他には無い。僕がどんなにいいアイディアだと思っても、客観的にはやはりまずかったのだろう。

話が発散したが*2、ここで述べたかったことを簡潔にまとめると、Mos Symphonia は「他の街のお手本になるべく、いろいろとチャレンジした。一部は上手くいった」という、自画自賛である。

5. 口先だけで、自分は動かない

MMORPGプレイヤーの傾向として、「自分は誰かの役に立ちたい」というものがあると思う。
だから僕は、みんなのその欲求を満たすよう仕向ける努力をしていた。

イベントや街に必要な物資などに関して、僕は企画や方向性の概要を示すだけで、具体的な作業はほとんど市民に丸投げした。多くの人は喜んでアイテムを作ったり、追加アイディアを考えたりと具体的な作業に取り組んでくれた。

そもそも、僕は根気が無いので、物事を順序だててコツコツとやることができないというのもある。しかし、繰り返すが、僕が "口先だけで、自分は動かない" というスタイルを貫いたのは、人々の「自分は誰かの役に立ちたい」という欲求を満たすためである。

こう書くと、「Alm は他の人の "欲求を満たしてやる" なんて、かなり偉そうなヤツだな」と反感を抱く人がいるかもしれないし、逆に「Alm はみんなが個性を発揮して楽しめるチャンスを作り出していたなんて、立派な人だな」とちょっぴり褒めてくれる人もいるかもしれない。
しかし、それらに対する包括的な回答としては「結局、自分自身の欲求を満たすためにやっていた」のである。僕自身、自分は「口を出すだけ」、つまり、アイディアを出すという点に喜びを見出し、それでみんなの役に立ちたいと思っていたのだ。この意味で他の人の欲求を満たしてやるという傲慢な態度であるよりは、単に自分の欲求を追及させてもらっていただけ(傲慢であることに変わりは無いな)であり、人のためというよりは、かなり利己的な態度であったわけだ。

しかし、それで物事が回ってたのだから、いいじゃないか、と。

6. インセンティブ・コンパティビリティ

前節の後半で述べたことは、小難しい言葉で言えば「インセンティブ・コンパティビリティ (incentive compatibility)」、日本語だと「誘因両立性」だと思うが、それをどのように達成させるかという問題として捉えられる。

人々の誘因や目的は十人十色である。人によって、やりたい事や動機は異なる。放っておけば、みんながてんでバラバラになってしまい、共同作業の結果やコミュニティ(街)はひどい結果に陥ってしまう。バラバラなインセンティブを統合し、全体として望ましい結果を導くことが、リーダー(市長)にとっての最優先課題であるはずだ。

蛇足であるが、「インセンティブ・コンパティビリティ」がいまひとつピンと来ない人のために、性的なたとえを紹介しておく(受験生の暗記物の多くが性的な内容に当てはめられているように、エロネタって記憶に残るんだよねぇ)。
そのたとえというのは、セックスである*3。とりあえずセックスは2人1組で行うわけだが、それぞれの究極的な目標は「自分が気持ちよく」なることである。パートナーがどんなに不愉快な思いをしたとしても、とりあえず「自分が気持ちよく」なってしまえば、その個人にとってその性交は成功したことになる。しかし、実は「自分が気持ちよく」なることだけを考えていては、結局、そのセックスは失敗してしまうのである。セックスの気持ちよさの大部分は、相手からの反応にあるからである。人間の体は不思議なもので、セックスのパートナーが気持ちよさそうにしていると、それだけで自分もドンドンと気持ちよくなるものである。ゆえに、自分がより気持ちよくなろうと思ったら、自分の気持ちよさだけではなく、相手の気持ちよさも一緒に高めなければならないのである。自分の誘因(気持ちよくなる)を満たすためには、相手の誘因(気持ちよくなる)を一緒に満たさなければ、社会全体(セックスする2人)は望ましくならないのである。
(僕は性経験が豊富ではないので、セックスに対する認識が誤っていたらごめんなさい。また、老婆心ながら、この例がピンと来ない人は、家に篭ってPCいじってないで、街に出て異性と交流し、あわよくば初体験を済ますべきだと忠告しておく)

話を、SWG の街運営に戻す。
市民のひとりひとりは、異なる誘引を持つ。ある者はJEDIになりたいと思っているし、ある者は自分の作った製品を多くの人に使ってもらいたいと思っている。またある者は、カンティーナでおしゃべりができれば十分だと思っているし、ロールプレイヤーとして銀河の一住人を演じたい人もいる。それをどうやって統合するのか?
そして、実は、市長自身も、何かしら達成したい目標があるはずだ。僕は「市長たるもの、自分の希望は抑圧し、みんなのために後見することが大事」とはこれっぽっちも思っていない。他の人はどうかは知らないけれど、少なくとも僕自身は、そんなに人格者じゃない。滅私奉公を強制されたら、3日で市長の職を投げ出していただろう。市民それぞれの誘因を満たすとともに、自分自身のやりがいも同時に満たさなければ、失敗は目に見えている。

では、どうやって「インセンティブ・コンパティビリティ」を高めればいいのか?セックスで成功するやり方はわかった、では、SWG の街づくりに関してはどうすればよいのか?

ごめんなさい。一言では言い表せられませんし、非常に繊細な問題だし、ケース・バイ・ケースなので、王道はありません。期待していた人、本当にごめんなさい。

ただし、ここで言いたいことは、「解決策は一筋縄ではいかない。しかし"インセンティブ・コンパティビリティ"の概念とその重要さを知っている人は、リーダーとしてうまくやれる」ということであり、それをぜひ心に留めていただきたいということである。

7. 縁の無い人は仕方が無い

100人を超える市民がいたので(とはいえ、その中には複数キャラを扱う人々が含まれているが)、中にはウマが合わなかったり、目標を共有できない人もいた。いくら「インセンティブ・コンパティビリティ」を満たすやり方を考えようとしても、僕には考え尽くせなかった。

その時はその時で、「まぁ、仕方が無いな」と思うことにした。何も市民全員が市長である僕と水魚の交わりをしなくてはいけないという理由も無かったし。僕とウマが合わなくても、100人もの市民がいれば、その人も誰かしら気の合う相手を見つけることができるだろうと思ったし。お互いに無理して付き合っていやな思いをするくらいだったら、互いに不干渉でそれとなくやっていくに越したことはないと思っていた。
そういう割り切りも時には必要だ。

僕とウマが合わないという理由ではない(と信じている)が、何人かの人が「街を出たい」と腹を割って相談してくれた。僕は、街に参加するのも自由であれば、退出するのも自由だと思っていたので、特に引き止めることもしなかった(1人だけ、ものすごく引き止めたい衝動に駆られた相手がいた。その場では引き止めなかったけれど、何度かバッタリ出くわすたびに「戻って来いよ」とラブコールを送った。これ、俺的ルール違反)。それに「まぁ、縁が無かったんだから仕方が無い。ていうか、多少の縁はできたんだから、それだけでめっけもんだろう」と軽く考えるようにしていたし。

人の縁はなるべく大事にするようにしていた。
しかし、僕の記憶の容量にも制限がある(そして、それは平均的な人より、きっとずいぶんと少ない)ので、相手は僕のことを覚えているのに、僕はその人のことを失念しているということが少なからずあった。こればっかりはすみません。この場で謝ります。
ただし、自分のその欠点は十分に理解しているので、街の市民に関しては「市民リスト」を wiki 上に作って、最大の関心と労力を持ってメンテナンスした。「市民リスト」は街の規模を対外的に公表するのにいい方法だったし、そこを見れば市民同士でも誰がお仲間かわかって交流が進むという良い点があった(悪い点としては、「プライバシーの侵害だ」と思っていた人もいるかもしれない)。しかし、それよりも、あれだけ情熱を持って僕がメンテナンスしていた本当の理由は、「僕の記憶の外部記憶」として利用するためだ。暇さえあれば、あそこを眺めて、誰がどんな人だったか思い出したり、記憶を確認するのに使っていた。また、wiki で自由に編集できるようにしていたおかげで、個人的な日記を書いてくれる市民もいた。それを見るだけで楽しかったし、何よりもエピソードと交えてその人をより深く記憶する助けになった。

8. 「飽きる時間」を読む

ある人に「市長は、人を集めてイベントを起こすのもうまいが、それよりも、イベントを終わらせるのが上手い」と評してもらったことがある。あの時は、自分の影の努力が認められたようで、ひじょうに嬉しかった(そして、その人を「お主、見所があるな」と思った)。

グループで狩に出かけたり、エンターティナーが合奏していたり、場合によっては愚にもつかないおしゃべりをしているようなときでさえ、誰しも自分から「抜ける」とは言いにくいものである。真に楽しんで行っている活動ならば、放っておくまでのことであるが、「ちょっとツマンナイなぁ」と思いながら、言い出しにくくてズルズルとみんなに付き合うという経験は誰しもあることだろう。それはその人自身にとって大きなロスであるし、そのような経験が頻発するようであれば、人との共同作業を裂けるようになり、社会関係全体のロスに繋がることは明らかである。

そこで、僕は、人が「楽しんで入れる時間」、もしくは「集中力の持続する時間」で物事に区切りをつけるように仕向けていた。

客観的な数値はわからないので、自分の経験に照らして考えたのだが、何かをしていて心の底から「マジ楽しい!」と思えるのはおよそ10分で、どんなに長くても30分だと思った。それを過ぎると、チャットでは「楽しいね /smile」と言いつつ、端末の前のプレイヤーは「早く終わんねーかな」と舌打ちを始める。おそらく開始から60分たったころには、SWG のウィンドウはそっちのけで、web ブラウジングなどを始めることだろう。もちろん、個人のイベントへの参与の仕方でこの時間は変わってくるだろう。積極的に参加し、中心的な役割を果たしている人なら、この時間はもっと長くなるだろう。しかし逆に、周辺的な参加しかしていない人(そして、この種の人はきっとものすごく多い)は、それよりもはるかに短い時間しか辛抱できないだろうということに注意を払わなければならない。

僕が行った具体的な方法としては、できる場合には、事前にイベントの所要時間もしくは終了予定時刻をアナウンスするようにした。事前に決められている終了時刻が決められていれば、参加者にとってもスケジュールが組みやすいし、「時間なので帰る」とも言いやすいだろうからだ。もちろん、それでも「抜ける」とは言いにくいことはわかっていたので、僕が積極的に終了を告げるということをいつも忘れずに行った。
ただし、「公式にはここで終わりだけれど、続けたい人はこのまま続けてください」と付け足すのが肝心である。

市民会議でも、特にアナウンスしたことは無かったが、1)会議全体の時間は1時間、2)議題ひとつあたりの時間は平均15分、最大で30分、と決めていた。特に、30分やっても結論の出ない問題は、頭を冷やして議論しなおさなければいつまでたっても平行線をたどる問題であることが多いので、そう決めた。時間がきたら、「次回の会議に持ち越し」もしくは「市長の独裁」とした。初期のころの市民会議は、時間が来てもみんなドンドンと話を続けたがっていたが、後期になるとほとんどの議題や会議全体が時間通りに終わるようになった。きっと、みんながそのやり方に慣れてくれたせいだろう(他の可能性として、プレイヤーも減り、やることも少なくなったので議題そのものがなくなったということが考えられる。または、「どーせ、市長が最終的にきめちゃうんでしょ」という無力感が蔓延したので、議論が不活発になったという可能性もある。本当だとしたらどちらも悲しい現実なので、ここでは気づかなかったことにしておく)。

教訓は、「あなたが楽しんでいるのと同じだけ、他の人も楽しんでいるとは限らない」ということである。

9. コミュニケーションの傾斜性

僕は、相手との関係の度合いに応じて、コミュニケーションの頻度や深さを変えていた。
「そんなの当たり前じゃん。よく知らない人は様子見をして、仲良くなったらたくさん話すようにするんでしょ」とおっしゃるかもしれませんが、僕がやってきたことはその正反対です。

よく知らない人には積極的に話しかけ、一緒にあちこちへ出かけた。それとは逆に、仲が良くなるにつれて一緒に活動する回数を減らしていった。僕自身、初めはあまり意識していなかったが、街がある程度の大きさになったころからは、戦略的にそうしていた。

理由は明らかで、「新参者は、馴染みにくい」からである。せっかく縁があって街の住民になってくれたので、その関係は大事にしたいし、街の旧市民に一刻も早く馴染んで、彼らと一体になってほしいと思った。文句を言うつもりではないが、旧市民の側は、古くから見知った仲間とつるんだり、ツーカーで話が通じたりすることが多い。そこで、僕が新市民と旧市民との橋渡し役になる必要があると痛感したし、それこそが市長の務めだと思った。だから、新市民には、相手が嫌になるほどかまった。

ただし、残念なことに、僕がコミュニケーションに裂くことができる時間も、体力も、認知資源も限界がある。全ての人に対して同じように、深い交流をすることはできない。自然に、放っておいてもみんなと仲良くできる人(旧市民)に対する働きかけは減ってしまうことになる。それはもちろん嬉しいことではなかったが、市長としての義務感から、そして何より、市長として市民の輪が広がることの喜びを得られる報酬のために、積極的に行った。

誰に打ち明けることも無くそうしていたので、旧い馴染みの中には「最近、Alm がよそよそしくて、冷たい。オレ、何か悪いことしたかな?」と余計な心配をした人がいたかもしれない。そればかりは悪しき副産物だが、そんな思いをした人たちも、ここを読めば納得してくれるだけの分別のある人たちであるはずだ。

10. Just for fan

以上、9項目挙げてきた。

ここまで読むと「Alm はおチャラケタ振りをして、腹の中では人を操ろうとしたトンデモネー策士だ」と思う人がいるだろう。それは完全に間違った評価だとは、自分自身思わないので否定も反論もしない。

その代わり、僕を「策士」だと呼ぶ人以上に、「Alm は、自分を抑えて、街のために貢献したいいヤツだ」と思ってくれる人がいると信じたい。
しかし、その印象も完全に正しいわけではない。

全ては、自分自身楽しくてやったことである。
言わなくてもわかってもらえると思うが、人を操ることが楽しかったのではない。
街が大きくなり、人の輪も大きくなっていくこと、そしてそれに貢献できることが何よりも楽しかったのだ。

本当に僕は、SWG の中で、「自分が楽しい」(just for fan)*4 ことしかやってこなかった。
JEDI になることにはこれっぽっちも楽しみを見出せなかったから、JEDI関連のクエストはほとんどやらなかった。銃を持って敵を追いかけることは僕にとって楽しいことではないから、あまりやらなかった。
カンティーナで演奏することは好きだったから、90%以上の時間をそうしてすごした。ジョークを飛ばして、人をからかうのが好きだから、しょっちゅうやっていた。市民会議で司会をすることが楽しかったから、誰にもその立場を譲りたいとは思わなかった。

僕は、中の人のシンドイ日常から逃避するために、SWG にログインした。日常生活でできない、あんなことやこんなことをやるために SWG という世界を借りてチャレンジしていた。実際、日常生活では、会社の下っ端で、人を指揮する立場からは対極にある。普段は口下手で、女の子を前にすると舞い上がってしまって、気の利いたセリフひとつ言えない。
Alm という赤いジャケットの男の仮面をかぶったら、それができるんだ。すごく楽しかった。

そんな素敵な世界で、何が嬉しくて、楽しくも無いことをやらにゃいかんのだ。

全ては自分が楽しむため、just for fan である。
ついでに、その楽しさが、周りの人間にも伝わればいいや、とは思っていたが。

最後に

きっとみんなからは省みられることのほとんど無い内容だし、書いた本人すらついさっきまで存在を忘れていたけれど、当サイトに「暮らしの決まり」というページがある。

このエッセイに書いたことの半分くらいのことが既に書かれていた。わざわざこんなエッセイをつらつらと書いて損した気分。

反面、初期に作った「暮らしの決まり」のポリシーに従って、よくぞやってこれたと思う。自分を褒めてあげたい。

そして、それに付いて来てくれた市民を誇りに思う。
ひとりひとりに感謝と労いの言葉をかけたいが、100人を超えるリストになるし、キーをタイプするこっちも疲れるし、読み手も目がチカチカするだろうし、こっそり打ち明けると、中にはあまり覚えていない人も何人かいるので書き始めるとボロが出る、などさまざまな理由があるので割愛。
「市民」*5と十把ひとからげにする僕の無礼をお許しください。

僕は「Mos Symphonia の市長」であったことを誇りに思っています。
皆さんも、「Mos Symphonia の市民」であったことを誇りに思ってもらえれば。

みんなが考えた○のこと

  • 総括ありがとう。とても興味深く拝読しました。市長は、自律する触媒だね。Alm市長の町に住むことができて幸せでした。 -- mimoza 2006-03-11 (土) 10:52:44
  • フフフ・・京都駅で「MosSymphonia」と書いたダンボールの切れ端を持って立ってたことを思い出すぜ。それはそうと新シンフォの次の市長はね・・・ -- nanao 2006-03-11 (土) 11:21:07
  • 【mimoza】「自律する触媒」とは化学・食物学系のmimozaらしい、面白い表現ですね。でもいい言葉です。"just for fun" と一緒に心に留めて、実践して以降と思います。 【nanao】ダンボール持ったねぇ。あのダンボールどうしたんだっけ?捨てたんだっけ?当時は、こんなに早くSWGが終わるとは思ってなかったから、「また集まる機会もあるだろう」と気にしていなかったけれど、今にして思えば記念にとっておけばよかった。 -- Alm Ore 2006-03-11 (土) 20:40:49
  • あぁ。あのダンボール持ってるよ。今度デジカメ買うから写してblogにでもアップしようかな -- nanao 2006-03-11 (土) 21:43:44
  • すばらしい!その画像、サイトのトップ画像にしよう。;-p -- Alm Ore 2006-03-11 (土) 21:47:13
  • 『Mos Symphoniaの歴史は市長の無理難題に応えてきた歴史である。』 一市民として、あなたは偉大な市長だと断言できますよ。もちろん多角的かつ複合的かつ総合的に判断してね。具体的な事は一言で表現できかねますがw -- Carlo 2006-03-11 (土) 22:49:16
  • ははは。「無理難題に応えてきた歴史」って笑えますね。たしかにその通りですが。 -- Alm Ore 2006-03-11 (土) 22:56:46
  • ああ〜、ダンボールのプラカード懐かしいですね。今は市民全員強制参加でもオフ会したい気分です^^;市長、町の運営お疲れ様でした。またどこかでお会いする機会がありましたら、セクハラ話でも聞かせて笑わせてくださいね^^ -- Seishiroh Woods 2006-03-13 (月) 01:55:33
  • 長い間本当にお疲れ様でした。NGEの変更後は殆どPOPもせず、入っても何やっていいかも分からずそのまま課金切れとなった自分ですが・・しかし、ここでの市民生活はとても楽しかったです。 -- Karayan 2006-03-13 (月) 16:35:27
  • 市長、本当にお疲れ様でした。ユニーク・シティ、モス・シンフォニアでの愉快な仲間たちとの生活は一生の思い出です。無駄な時間だったとは決して思いません。本当に楽しかった。最後に、とか言うとちょっぴり寂しくてアレですが。最後に、愛してるぜ!シンフォニア!(かまなかったw) -- Avi 2006-03-13 (月) 22:19:31
  • 【Seishiroh】aguri が下着姿で踊ってくれたら、いくらでも下品な言葉を投げつけるよ。;-p 【karayan】生きてるのがわかって安心したよ。市民生活を楽しんでいたといってくれるのが、僕にとって何よりも嬉しいことです。ありがとう。【Avi】生きてるのがわかって安心したよ(パート2)。かまなかったことは評価するが、マクロによるマシンガントークがもう一度聞きたかったな。 -- Alm Ore 2006-03-13 (月) 23:43:56
  • almお疲れ様! 市長(リーダー)の仕事は大変だったと思う。いろんな意見をまとめる事はとても難しい。だからこそ決断を下すためのリーダーが必要です。市長はいろいろな決断を下してきたし、その決断をくだして進むべきゴールを与えてくれた。だからみんなも楽しくやれたんだと思うし、これだけ大きな町になったんだと思う。(ちと硬かったかなw)市民のみんなもとてもいい人ばかりでkatanaの生活を楽しく過ごすことが出来ました。karayan、avi久しぶりに声が聞こえて嬉しいです!縁があったらまた会えるといいなw -- earo 2006-03-14 (火) 23:18:55
  • 市長やるのは大変でしたけれど、きちんと報われましたよ。いい仲間ができた。役得だったね。 -- Alm Ore 2006-03-15 (水) 18:49:54
  • 読んだ後に振り返ってみると、あ!たしかに!と思える出来事がありましたな〜。1年ちょいお疲れ様でした〜。ある日エスパのカンティーナで「街つくろうぜ」と市長がつぶやいたのがついこの前のようだ・・・。そうつぶやいてからできるまでジェットコースターのようなスピードでしたが、その後から今日までもそんな感じであっという間でした。(その間市長としての仕事大変だったと思いますが・・・。)あまり街や市長の力にはなれませんでしたが、楽しかったっすw(例の映画企画がなくなってしまったのが残念だ。。  -- Jackie 2006-03-15 (水) 20:50:21
  • 映画の件は、本人も気にしているので、突っ込んではいけません。;-p -- Alm Ore 2006-03-15 (水) 21:14:10
  • ラストお疲れ!あとは任せなっ!!・・・しかし、Katana最後の台詞がアレかよ(苦笑 -- Cupps 2006-03-16 (木) 00:18:29
  • お疲れさん。全部言い切る前に切れちゃった。真相は藪の中ってことで、いいね? -- Alm Ore 2006-03-16 (木) 00:21:35
  • 確信犯だろ! -- Ume 2006-03-16 (木) 00:29:21
  • (``)〜♪ しーらない -- Alm Ore 2006-03-16 (木) 00:33:30
  • 前市長おつかれ〜。新市長これからもよろしく〜 -- Caesar 2006-03-16 (木) 00:33:57
  • 市長お疲れ様。最後の最後までシンフォらしく楽しませて貰いました(笑) -- Nibock 2006-03-16 (木) 13:36:55
  • 市長おつかれさん、実際街に貢献できたことなんて俺全然なかったなぁって思って恥ずかしくなりましたw後期は全然INしなくて何が起ってたかもわからんかった、だけど一番長く続けられたMMORPGでした、続けられた大きな理由はシンフォという街があったからだと思います。んでPC逝っていつの間にか移行期間過ぎちまって、移行できなかったので僕はここまでです、いままで色々ありがとうございました。くだらない動画わざわざUPしてもらいありがとうございました本当感謝してます。 -- Josh 2006-03-16 (木) 15:30:55
  • 【Ceasar】新市長をちゃんとサポートしてあげてくださいね。【Nibock】アレしか芸が無いってことなのかも。;-p【Josh】街に貢献しなかった市民などいないと思いますよ。家を1軒建てることですら、町並みの美しさに貢献しているんですから。Josh はそれ以上のことしてくれたでしょ? -- Alm Ore 2006-03-16 (木) 22:56:03

市民コラム


*1 種明かしをすると、正高信男氏である。蛇足だが、最近では「ケータイを持ったサル」がバカ売れしている。
*2 この節、大失敗。とほほ。
*3 山岸俊男「社会的ジレンマ」に書いてあった話のはず
*4 Linux の開発者で有名なリーナス・トーバルズの自叙伝のタイトルが "Just for fan" であり、シンプルでいい言葉だから、いつも心に留めている。翻訳書が「それがぼくには楽しかったから」(風見潤 訳)として出版されている。
*5 本文中で例を出すときに、関係者の名前を出すべきかどうか迷いましたが、「わけ隔てなく、全ての名前を出さない方がフェア」だと思ってやめました。

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