宮沢喜一氏の死去に寄せて

学生時代、学科の同級生に「宮沢喜一の親戚」という女の子がいた。




その事実を聞かされる前から、確かにどことなく上流階級の香りがする女の子だと思っていたりもした。
某皇太子妃で、数年来なにやら体調が芳しくないなどという話の漏れ伝わってくるアノ人と同じ高校に通っていたとか。
道内で中堅ドキュソ高校に位置する学校に通っていた当方にとっては、なんとなく雲の上の人っぽい雰囲気を漂わせていた。

しかし、彼女はそんなお嬢様風情を鼻にかけるでもなく、いつも質素で清楚な服装をしていた。
ていうか、粗野な校風の大学だったから、そもそもちょっとでも派手な格好をするだけで、かなり浮いちゃうケド。たいていの人が洗いざらしのTシャツにジーンズという格好。アイロンのかかったポロシャツを着ているというだけで、一目置かれるような、そんな雰囲気(だったと思う。10年前は)。

それに、彼女は誰とでも気さくに話をするし、今日の流行り言葉の「セレブ」なんつー言葉で想像されるような、ケバケバしさは全然なかった。
小汚い居酒屋で飲み会をするといえば、ニコニコとやってくるし、ちょうど「誰も寝てはならぬ」の亜美さんチックな感じか。

当blogのかなり古い記事になるが、「鈴虫寺」のエピソードに出てくる女の子とも同一人物である。

本人にとってはとりとめもない言葉だったかもしれないが、彼女がその時言った言葉は、今でも僕の頭に残っており、目をつぶれば彼女の声の調子や表情、一緒に見上げた空の青さまでもよみがえってくる。
「おはよう。ねぇ、見て。すごくきれいな空じゃない?」
その一言で、それまでの嫌な気分が全部吹っ飛んで、とてもさわやかな気分になった。



大学3-4年生になって、みんながちょっとでも給料が良くて、楽できて、異性にモテそうな就職口を求めてアクセクしている横で、彼女は日本赤十字社なんていう、聖人の巣窟みたいなところにアッサリと仕事を決めてしまった。
人間ができていると思った。


大学を卒業した後、彼女とは音信不通になってしまったけれど、宮沢氏に関する報道を聞くたびにその女の子のことを思い出し、彼女の嫌味ではない上品な生き方を思い出し、憧れていた次第。
で、今日も思い出したわけだ。


なお、その女の子と宮沢喜一氏との親戚関係だが、僕が周りの人に聞いたところによると、
「彼女の祖父と宮沢喜一が兄弟」
というものだったと思う。
要するに、大おじ(両親のおじ)だと聞いていた。

ウラは取っていないので、真偽の程は明らかではない。
一度、本人に事実関係を問うてみたことはあるのだが、曖昧に笑うだけで明確な答えは得られなかった。
噂がガセという可能性も否定できないが、いろいろとデリケートな問題なんだろうと思って、それ以上聞くことはしなかった。


ところで、民法第734条によれば、三親等以内の親族は婚姻できないことになっている。
彼女と宮沢喜一とは四親等にあたるので、実は結婚できたんだね。
すげぇや。

・・・と思ったけれど、世の多くの女性は、きっと(生前の)宮沢喜一と親族じゃないから結婚できたんだね。
あんまりすごいことじゃないか?

でも、日本国憲法第24条に規定されている通り、婚姻は「両性の合意のみに基いて成立」する。つまり両性(男と女)であることが必要だから、僕は宮沢喜一氏との結婚を望んでもできなかったわけだ。
ほのかな敗北感を感じた。


そして、その敗北感の真の原因は、馬鹿なことばっかり考えていないで、世のため人のためになるようなこと(e.g.日本赤十字社)を何かできたらなぁ、とカタツムリのツノの大きさほどだけ考えさせられたことだ。


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コメント (2)

  1. さらにその15年ほど前と比べると(つまり、私が学生だった時代と、公務員として戻ったときと)、「いやー、ここも女の子が綺麗・おしゃれになったなぁ」と思ったもんです。いや、ほんと。

    ところで、ふと都ぞ弥生が歌いたくなることがあります。
    もう10年以上歌っていないなぁ。。。

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