『夏への扉』 ロバート・A・ハインライン

9月も中旬に入ったけれど、まだまだ暑い日が続いて、もうやるせなくなってきている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

これだけクソ暑いと
「早く、冬にならねぇかなぁ。寝汗をかきながら夜中に目が覚めて、忌々しく恨み言をいう必要もなく、暖かい毛布にくるまって、猫ちゃんを湯たんぽ代わりに抱いて寝たら気持ちいいだろうなぁ。」
なんて、思わずにいられないわけで。

でも、冬になったら冬になったで、
「クソ寒ぃ。風邪はひくは、ハナは出るわ。早く夏にならねぇかなぁ。こんな重苦しい掛け布団なんてうっちゃって、タオルケット一枚で大の字になって眠りたいぜ。照りつける太陽が懐かしい。」
と、たった半年前にあれだけ怨んだ夏を賛美し、あれだけ待ち望んだ冬をこの世の地獄のように感じるようになってしまうわけだが。

ついには、北風に吹かれながら、季節外れで、時代遅れな松田聖子のヒット曲まで口ずさんでしまうわけである。

フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏の扉を開けて
私をどっか連れて行って
「夏の扉」作詞:三浦徳子



1970年12月、それほど厳しくない気候のロサンジェルスではあるが、主人公は重苦しい冬に嫌気がさし、夏を求める。
彼の飼い猫ピートが、家に11ある扉の一つ一つを調べ、夏へと続く扉を求めるように。
ハインラインの『夏への扉』はそんなシーンから始まる。




当方はそれほどSF小説に精通しているわけではないが、ハインラインの『宇宙の戦士』(映画『スターシップ・トゥルーパーズ』の原作だね。「サムライ・トルーパー」ではなくて)だけはかろうじて読んだことがあった。
もう10年くらい前に読んだきりなので、細かいことは忘れてしまったが、宇宙戦争に従軍する主人公が厳しい訓練を受けたり、生死をかけた凄惨な戦場に送り込まれたりと、けっこう泥臭い内容だったような気がする。
そんなわけで、当方にとってハインラインとは「ハードなSFを手がける人」という印象が植え付けられている。

そんなハインラインの代表作がこの『夏への扉』とのこと。
事前に聞いた話では、可愛い猫ちゃんが出てきて、重要な役割を果たすとか、果たさないとか。
SFでの猫といえば、「ドラえもん」くらいしか思いつかない当方であるが、ハインラインの描く猫ってどんな感じなのかものすごく興味が引かれて読んでみた。
#表紙の猫ちゃんのイラストもかわいい

で、この猫ちゃんは、ジンジャー・エールが大好きだそうだ。
ボストンバックの中に入れてやるとおとなしくバーについてきて、平皿に注いでやったジンジャー・エールをぴちゃぴちゃと飲んじゃったりする。
かわゆいじゃないか。
#流し台で洗いかけのまま放置されている食器にはった水を飲む、うちのあるにゃんとは大違いだ。

そんなかわいい猫ちゃと、その飼い主であるところの主人公は、とある事件に巻き込まれて離れ離れになってしまう。
猫の行方がわからないまま、主人公は30年間の冷凍睡眠にさせられてしまう。
猫の寿命から考えると、もう彼らは再会できないわけだ。

そして、2000年の12月に目が覚めた主人公は、ひとまず猫ちゃんのことは諦めて、30年前に自分が巻き込まれた事件の真相を探りはじめる。
ついには、「ドラえもん」よろしく、タイムマシンに乗って・・・(以下、略)。

基本的なテーマは、タイム・トリップとそれにまつわるパラドクスのお話でした。
よくあるモチーフなのですが、タイム・トリップの行きと帰りで使用される技術が異なる点が面白かった。
冷凍睡眠とタイムマシンがうまく組み合わされている妙技。

それだけではなく、事件の真相を解き明かす、ミステリー風の構成も見事で、最後まで飽きさせることなく読ませてくれる。
人気作品と呼ばれる理由がよくわかった。


SF好きにも猫好きも必読だと思う。
言っておくけれど、猫が大活躍するわけではない。
そもそも人間社会における猫の存在そのものが、いてもいなくても大きなインパクトのない生物なんだし、そういうものかもしれない。
でも、猫がいた方がいいのか、いない方がいいのかを考えれば、前者の方が幸せだ。
そういう、人生のスパイスとしての猫という役割が、この作品では大きいと思った。

猫と一緒に生活していると、家や服が猫の毛だらけになっちゃうし、冷蔵庫に僕の食べ物がないときですら あるにゃん 用の缶詰は常備されているし、抱っこしようとしたら嫌がられるし、そのくせ決まって風呂上りに擦り寄ってきて僕の脛を毛だらけにしてくれちゃったりして、辟易するけど。
でも、冬に夏を渇望するように、猫がいなくなったらいなくなったで、ものすごく猫がいとおしくなるんだろうなぁ。

今日生きていると、バラ色の未来にあこがれたり、セピア色の過去に思いをはせたりするけれど。
でも、いざそんな未来に行き着いてしまえば、セピア色になってしまった今日という日を懐かしむんだろうし、過去を生きていた時にはバラ色になるはずだった今日にあこがれていたはずだ。

つまり、人はいつでもないものねだりってことか。

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