自分の喫煙権を売った男

『ヤバい経済学』の共著者のダブナーが紹介していたのだが、自分がタバコを吸う権利をオークションで売った男がいるらしい。

ニュージーランドに住む James Hurman は、妻の妊娠を期にタバコをやめようと決意した。しかし、今までいろんな方法を試してうまくいかず、最後の手段に出たようだ。
彼は「自分がタバコを1本吸う度に、1000ニュージーランド・ドル(日本円だと8万円強)を支払う」と約束した契約書をネット・オークションで売り出したそうだ。
なお、オークションの収益はニュージーランドがん協会に寄付すると約束している。


僕は去年の10月末に何気なく禁煙を開始して、幸いなことに今日まで何の不自由もなく、1本たりともタバコを吸っていないわけだが。
しかし、世の中を見渡せば、喫煙はもちろん、その他の多くの習慣(甘いものを食べ過ぎるとか、晩酌を欠かさないとか)はそう簡単には変えられず、いろんな方法が試されたりして、苦労している人がいっぱいいるわけで。

そんな中、「タバコを吸ったら、あなたに8万円払います」という契約書が禁煙に有効かどうかは非常に気になるところだ。
落札者に隠れてタバコを吸うことが容易だから、ぜんぜん役に立たない契約じゃないかと思うのが人情ってもんだ。

しかし、ダブナーが記事の中で指摘しているように、実名で禁煙の意思を広く公表したことがコミットメント・デバイスになって、彼はタバコを吸うことをやめるだろう。
落札者本人からは隠れていても、その他の誰かに見咎められたときに「ちょ、オマエ・・・、約束破ってるじゃん!だらしねぇ」とツッコまれるのがものすごく恥ずかしい。おそらく、その精神的苦痛は、8万円の罰金以上にキツいだろう(約束を破る非道徳的なやつという評判は8万円以上の損害だろう)。

今回の彼の禁煙プログラムの最大のポイントは、罰金システムそのものにあるのではなく、禁煙の意思を広く公表して、暗黙の監視システムを作り上げたことなんだろう、きっと。
コミットメント問題(本当はやるつもりはないんだけれど、ついやってしまう行動)を解決する理論的な方法はすでにわかっているのだが、それを実行した例として面白い。

なお、僕はコミットメント問題について、ロバート・フランク『オデッセウスの鎖: 適応プログラムとしての感情』で勉強した。
ギリシア神話のエピソードから取ったタイトルが、コミットメント問題を覚えるのに、わかりやすい例になってる。

ギリシアの海にはセイレーンという怪物がいた。彼女の歌声はこの世で一番美しい。しかし、その歌声を聴いた船乗りたちは全員狂ってしまい、わざと船を難破させてしまう。つまり、歌声を聴くと、「わかっちゃいるけど、やめられない」状態に陥ってしまう。
オデッセウスは、どうしてもセイレーンの歌声を聴きたくなった。そこで、自分以外の船乗り全員に耳栓をつけて操船させた。自分だけは耳栓をつけず、その代わり自分を鎖でマストにくくりつけた。自分は歌声を聞くことができるが、体の自由が奪われているので船を操ることはできない。こうして、彼はその歌声を聴いた。
#自分ひとりだけ聞くなんて、利己的で嫌な奴だ、とちょっと思う。
その他、いろいろ人々の行動を見る目が変わるので、楽しい(けど、ちょっと小難しくて、読むのが大変)本である。

さて、ニュージーランドの James に話を戻そう。
同じくダブナーが書いた後日談によれば、この契約書は300ニュージーランド・ドル(2万5千円程度)で落札されたらしい。落札者は、彼と同じ職場で働いている人で、結局は彼がタバコを吸うのを比較的監視しやすい所にいる人だったそうだ。
入札側は「監視できねー可能性があるから、入札するのは損だ」と思った可能性が高いね。

そして、James は苦しみながらも禁煙できている様子。

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