知人にネイリストが何人かいて、彼女らからもれ伝わってくるところによれば、ネイル・アートというのは素人が思っている以上に難しく、その検定試験に合格することも想像以上に困難なものらしい。
だから、ネイリストの皆さんのことをリスペクトしていることに間違いは無いのだが。
<<たぶん、ネタバレ。要注意>>
知人にネイリストが何人かいて、彼女らからもれ伝わってくるところによれば、ネイル・アートというのは素人が思っている以上に難しく、その検定試験に合格することも想像以上に困難なものらしい。
だから、ネイリストの皆さんのことをリスペクトしていることに間違いは無いのだが。
<<たぶん、ネタバレ。要注意>>
麻生首相は、今月21日に衆議院を解散し、8月18日公示、同月30日投票の日程で総選挙を行うことを決めたそうだ(asahi.comの記事)。
8月中旬から下旬にかけてが選挙運動期間となる。
ただでさえ暑くて腹が立つ時期なのに、喧しい選挙カーが町中を走り回るのかと思うと、今から暑苦しいやら腹が立つやらムカつくやら。
当方の愛染さんツアーにおいて、最大の難所になるだろうと予想されていた岡山県にある大聖寺を無事に制覇することができた。
この寺には1万株を超える紫陽花が植えられており、通称「あじさい寺」だそうだ。シーズンは6月から7月中旬にかけてだそうで、今日はもう終わりかけであった。それでも、まだ花をつけている株がたくさんあったし、花弁の大きいものや小さいものなど、名前は知らないけれどいくつかの種類があることはわかって、なかなか楽しめた。今度は、満開の時期に来たいものである。
また、境内には役所広司と古手川裕子の立像があった。1984年にNHKで放映されたドラマ『宮本武蔵』に登場した武蔵(役所)とお通(古手川)の像だそうだ。
ドラマの原作は吉川英治の同名小説。その吉川英治が同作の執筆中に、大聖寺に滞在して構想を練った縁などがあって、この像が制作されたらしい。武蔵が三日三晩大木に吊るされ、反省をするというシーンがあるそうなのだが、その大木のモチーフとなったのが同寺門前の大銀杏だと伝わっているそうだ。
「先日、テレビでキリスト復活を検証するという、BBC制作の番組を見まして。その番組によりますと・・・」
仏教徒の模範であるべき大龍寺の住職に、いきなり他宗教の、しかもかなり重要な位置を占める教義について話を伺うことになるとは。
今しがた、とても立派な寺で朱印状を書き上げていただき、冷たいお茶も出してもらった。お茶はまだ半分残っているし、それよりも大切なこととしては、僕はまだ朱印状の代金(300円)を支払っていない。こんな状況では、そそくさと逃げ出すわけにも行かない。
なぜ俺は仏教徒からキリスト教の話を聞かなきゃならんのかと思いながら、その不可解さと緊張感が顔に出ないように慎重に表情をつくろい、興味深そうな眼差しで話の続きを聞く。
「・・・であるからしまして、キリスト教の教えの中心には “愛” があるわけです。仏教も似たような概念がありまして、それを “慈悲” といいます。他人をいつくしみ、思いやることです。」
ああ、なるほど。キリストをマクラにして、ちゃんと仏教の話に繋げるわけか。
なかなかの話上手ですな。
「しかし、仏教では基本的に “愛” そのものは扱いません。そのような仏教の教義の中で、愛染明王は独特で、”愛” そのものに踏み込もうとしていらっしゃる明王なのです。」
そして、ちゃんと僕が愛染明王以外に興味が無いということも見抜き、そこにフォーカスして話をしてくれる。
なかなかのやり手だ。
愛染さんスタンプラリーの第4弾は、神戸市灘区、摩耶山頂にある天上寺。
長くて曲がりくねった道(ここで Paul McCartney の歌声が聞こえた人、気が合うね)を、半分車酔いしそうになりながらズンズン登る。当方のシャア専用 WiLL CYPHA の1300cc のエンジンも苦しそうだし。
ヘアピンカーブの連続で、ほとほとイヤになって引き返そうかと思った矢先、道の両サイドからアジサイが目に飛び込んできた。沿道に延々とアジサイが植わっていて、ちょうどシーズンで美しかった。想像力を少々働かせれば、アジサイのじゅうたんの上を走っているような錯覚も得られる。
右の写真は天上寺へ歩いてる途中の写真。アジサイが少ないのが残念。運転中はもっと密度の高いところも通ったのだけれど、さすがに写真は撮れなかった。
そしてまた、神戸の町が見下ろせるので、夜景で釣って女の子を連れ込むのも良さそうだなぁと、邪なことで頭がいっぱいになったり。
昼はアジサイ、夜は夜景。最強じゃないか。
そんな邪念を抱きつつ寺に参拝していいものかと思わないではないが、当方の目的は愛染明王の見仏である。愛染明王といえば、愛欲を追求することを通じて悟りを開こうとする明王だ。むしろ雑念でいっぱいになりながら参拝した方が、好都合ってもんじゃないか。
そんなわけで、いつかデート(デート?デートなのか!?)でここに来ようと思った。
愛染さんのスタンプラリーの第3弾として、神戸市北区道場町にある鏑射寺へ。
冒頭の御朱印写真が暗いのは、薄暗い本堂の中で、愛染明王の目の前で撮影したから。そういう意味では、霊験あらたか・・・かもしれない。
西国愛染十七霊場の朱印帖は専用のものが用意されていて(たしか、2000円くらい)、各霊場のページが用意されている。見開きの右側に寺の名前や詠歌が印刷されていて、左側のページに貰い受けた朱印を貼り付けるようになっている。添付用の朱印状は、その場で書いてくれる寺もあるし、事前に書いて用意してあったものに日付だけ書いてくれる寺などもある。後者は、ちょっと興ざめだ。
鏑射寺では、イケメンの住職さん(みうらじゅん用語で「イケ住」)が目の前でサラサラと書いてくださった。その立ち居振る舞いも優美なのに、文字は力強くて感動した。
「就活」、「婚活」の次は何か?
少子化だなんだと言われている時代なので、出産育児に関する活動として「産活」、「育活」なんて言葉が世の中で多用されるんだろうなぁ・・・なんて考えていたら、本当に「産活」はあった。
「育活」はまだみたいなので、その道の第一人者になりたい人は、今がチャンスですよ。
さて、「育活」のさらに次は何かと考えたら、高齢者を対象にしたものだろうな。就活、婚活、産活のどれをとってもせいぜい30代までしかカバーしない活動だから。
今日の高齢社会において、人口比の多さはもちろん、たくさんの資産を持っているのも彼らだ。彼らを焚きつけて、お金を使ってもらおうという動きは当然出てくるだろう。
エスカレーターで片側を空ける、つまり、停止したまま乗る人は一方の端に並び、他方の端は歩行しながら乗る人が使うという利用法は、日本中でわりと広く見られる集合現象だ。
ただし、このような利用方法には反対意見もあるようだ。
一つには、エスカレーターにかかる重量が不均衡になることで、機械の損傷が早まるからやめるべきだという意見。機械のことはよー知らんけど、関東では左空け、関西では右空け(あれ、逆だっけ?)と傾向が分かっているのだから、メーカーがそれにあわせて重量のかかる方を補強しておけばいいんじゃないかと思ったりもする。
二つ目には、歩行者による振動や、事故による急停止による将棋倒しの危険性。立ち止まって手すりに掴まっていれば踏みとどまることができる場合でも、手放しで歩く人々は滑落して危険であるという主張。確かに、エスカレーターの使用法掲示や放送案内では立ち止まって手すりに掴まることを命じているし、これは頷ける。
エスカレーターで歩行すべきでない三つ目の理由として挙げられているのは、輸送効率の問題。
つまり、左右2列になって全員が立ち止まって輸送される方が、片方だけ立ち止って他方を歩く場合よりも、一定の時間内に運べる人数が多くなるという主張。一人ひとりが急ぎたくなる気持ちをグッとこらえて、おとなしく立ち止った方が、結局は全員がすばやく移動できるのだと言っている(急がばまわれ?)。
ただし、その前提として、エスカレータ上に並ぶ人々の「間隔は停止者は狭く、歩行者は広い」というものと、「歩行者の速度はそれほど速くない」ということを仮定しないといけないようだが。
ちゃんと計測したことは無いけれど、確かに、実際の人々の流れを見ていても、歩行者側の速度はそれほど速いものでもなさそうなので、この前提はそれほどおかしくないかもしれない。