『名誉と暴力』(ニスベット&コーエン)

・・・自分の悩みや揺れ動く心が自分ひとりの私的な事柄なのではなく、世のなかのあり方と深く結びついているのだという理解が、自分の生き方について考えるための手がかりとなってくれることを願ってやみません

『名誉と暴力』邦訳刊行にあたって(山岸俊男)
(強調部筆者)

センテンスの最後を「やませまみ」と空目してしまいながらも、ニスベット&コーエン『名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理』(石井・結城編訳)を読んだ。


本書は、「アメリカ南部では、北部に比べて白人男性による殺人が多い」という事実に対して、そのような現象が起きている理由を探るというもの。
ぱっと思いつく理由は、「南部は気温が高くて、人々がイライラしやすい」とか「奴隷制という非人道的な制度の名残で、人々が攻撃的である」、「北部に比べて南部は貧しい地域であるから暴力犯罪が起きやすい」などといったものだろう。

しかし、本書はそれらの可能性を丹念なデータ分析で否定する。そして、彼らの主張する仮説「名誉の文化」の妥当性を示していく。
彼らの言う「名誉の文化」とは、”自分はタフである”という評判を維持することを重要視する社会通念のことである(「名誉」というのはいろんな意味を持つ言葉だが、ここでは「タフさ」「力強さ」「男らしさ」など、暴力的な意味を指す。正直であるとか、博愛的であるなどといった高潔さという意味ではない)。
つまり、弱虫だと思われないことが重要であり、本書の帯に輝いている山岸の表現で言うなら「なめんじゃないぜ」ということである。

そして、本書では、「なめんじゃないぜ」という心理が私的な事柄なのではなく、「名誉の文化」という世の中のあり方と深く結びついているという理解が、「南部で白人による殺人が多い」ことについて考えるための手がかりとなっている。(cf. 本記事冒頭の引用)

南部の白人が「なめんじゃないぜ」という心理を有したルーツは、移民時代の産業にあると推測されている。北部に入植した人々は農耕を行ったのに対して、南部の人々は牧畜をしていた。農耕と牧畜という産業の違いが、人々の心の違いの火ぶたを切ったと主張されている。
両産業を比較する。農耕では、灌漑事業や農繁期の人手不足などのため地域で互いに助け合い、他人の財産(土地や収穫物)を盗むのも難しいし、半永久的にその場所に留まる。ゆえに、他家族との間で平和的な関係が形成されやすい。
一方、牧畜の場合、他人の財産を盗むのが容易(小麦は自走できないが、家畜は自分で歩く)であり、人々の人口密度も低いので警察機構なども設置されにくい。このような環境では、自分の財産は自分自身で守らなくてはならず、それは多くの場合暴力に頼らざるを得ない。その上、「アイツは弱虫だ。ちょっかいを出しても泣き寝入りする」という評判がたってしまうと、カモにされて丸裸にされかねない。そうならないためには、自分がタフであるという評判の維持と、その証明のために暴力的にならざるを得ないと説明される。

「名誉の文化」である南部では、とにかく「なめられない」ようにすることが生き抜く知恵になってしまった。両親は自分の子供たちをそのように教育するし、「名誉の文化」を共有する仲間たちとの付き合いの中でその考えを強化していく。弱っちい奴は実際に見下されるだろうし、自分がそうならないためには常にタフさをアピールしなくてはいけない。周りも同様にタフさをアピールするだろうから、その競争は原則的にエスカレートしていく一方だ。このようにして、「名誉の文化」は再生産されていく。

産業の違いによって、人々の暴力傾向に違いが表れたという、以上の説明はかなり説得力がある。しかし、今から300年も前の出来事など、21世紀の現代においては調べようがなく、眉唾だとおっしゃる人もいるだろう。
それはその通りなのだが、「産業の違いが南北の人々の暴力傾向に最初の違いを生み出した」ということと、「個々の人間の心の違いが、文化を生み出し、その文化によって個々人の心のあり方を方向づけるフィードバック・プロセス」ということを仮定すれば、それに合致する状況証拠はたくさん見つかる。故に、正しいと信じても悪くはないんじゃないかと思われる。

本書では、犯罪に関する統計データ、社会調査データ、実験室実験などを駆使し、丹念に仮説の検証(状況証拠の列挙)を行っている。その手続きは、社会科学の研究法のお手本としてよい。
分析結果はどれも興味深いので、詳しくは同書をお読みいただきたいのだが、「南部で殺人が多いという結果は白人のみで見られる。黒人は、南北で変わらない」というのが興味深かった。「気温が高くてイライラする」とか「貧しい」などを暴力行為の原因とするなら、黒人でも白人でも同じように南部で殺人が増えなくてはならない。しかし、白人でのみ増加するということは、白人特有の原因があると推測される。そして、それこそが、牧畜移民の末裔に受け継がれてきた文化の証左となっているのだ(そして、牧畜移民ではないヒスパニック系白人は「名誉の文化」を共有していないので、南部と言えどもそれほど殺人はしない)。

大学院生が中心になって翻訳したとのことだが、訳も大変読みやすく、論旨が掴みやすい。
知的好奇心がフルに刺激される、興味深い本だった。
「やませまみ」と空目した自分を恥じるくらいに。

コメント (5)

  1. しけ

    お久しぶりです。紹介してくれてどうもありがとう。好評のようでよかったです。それにしても風邪を珍しくひいてしまい、猛烈に調子悪いです。そちらは熱帯のような天気でしょうから、体にはお気をつけて。

  2. 木公

    まいど。
    どうやら僕は、真剣にしゃべればしゃべるほど、内容がウソくさく聞こえるという、損な特徴をもっているようです。

    ですから、僕がこの本を推薦するほど、人々からは下らない本だと思われる可能性が高いかも。そのせいで、しけたんにご迷惑がかかったらごめんなさい。

    でも、とにかく、優れた翻訳書であることに間違いはない。

  3. 木公

    記事タイトルで、書名をタイポしてました。
    すごく申し訳ない。
    修正しました。

    × 名誉と文化
    ○ 名誉と暴力

  4. 閑散好き

    人々の人口密度も低いので警察機構なども設置されにくい。このような環境では、自分の財産は自分自身で守らなくてはならず、それは多くの場合暴力に頼らざるを得ない。

    →人口密度が高い環境ほど暴力問題がおきやすく
    低いほどおきにくいと私は考えているけど
    低くても暴力の問題というのは生じているのでしょうか?

  5. 木公

    『名誉と暴力』に記されている事としては、警察機構の整備不良により、個人が暴力に頼らざるを得ないというロジックだったように記憶しています。
    人口密度の高低に関する分析は、本書の中で都市間の比較がありましたので、そこで触れられていたかもしれません。が、僕は記憶に残っていません。すみません。

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