松井秀喜と俺

松井秀喜が現役引退!今日NYで引退会見 (http://www.nikkansports.com/)

プロ野球巨人や米大リーグのヤンキースで長距離打者として活躍し「ゴジラ」の愛称で親しまれた松井秀喜外野手(38)が現役引退を決意したことが27日、分かった。


松井秀喜と僕はドンパだ。

僕が高校3年生の時(1992年)、彼は「怪物」として甲子園に出場し、2回戦の対明徳義塾戦では全打席敬遠された。そして、彼の所属する星稜高校は敗退した。全打席敬遠というのは、フェアプレイかどうかということで大きな騒ぎになった。
僕自身は、高校野球にはまったく興味がなかったので、その騒ぎを遠くから冷ややかに見ていた。

その年の秋か冬になり、すでに巨人に入団の決まっていた松井秀喜がTBSの「ブロードキャスター」に出演した。
「ブロードキャスター」というのは1991年から2008年まで放送されていた情報バラエティ番組で、毎週土曜日の22時から放送されていた。当方の最愛の山瀬まみが出演していたので、僕は毎週見ていた。山瀬まみの担当コーナー「お父さんのためのワイドショー講座」が知られていた、あの番組である。

松井秀喜は独占インタビューという形で、確か番組冒頭で、生中継で大々的に取り上げられた。
そこで僕は松井秀喜の造作を初めて見た。高校球児といえば丸刈りと相場が決まっているが、すでに野球部現役を終えた彼は、随分と髪が伸びていた。広々としたモダンな部屋に据え置かれた、小洒落たソファにゆったりと座り、彼は堂々として見えた。
その様子が、小憎らしく思った。変な顔のくせに、とも思った。

さらに腹の立つことは、当方の最愛の山瀬まみと対話をしたことだ。こんだけ山瀬まみのことを愛している俺が彼女と口を利いたことがないのに、なんであんなに不細工な顔のやつが山瀬まみと話をしているのかと思うと、ギリギリと歯ぎしりをした。
山瀬まみに優しい微笑みをかけられながら、趣味はなんですか?と聞かれ、はにかみながら「ショッピングです」などと答えていやがった。ショッピングぅぅぅ?どの顔の、どの口が「ショッピング」なんで言うんだ、この野郎。男なら「買い物」って言えよ、買い物って。しかも、当時の僕の月の小遣いが確か5,000円くらいだった。CDを1枚買って、あとは雑誌とかおやつを買ったらすっからかんだ。趣味としてショッピングを楽しむ余裕なんてなかった。この野郎、と思った。
それからは、松井秀喜を敵認定した。

1993年の3月になり、彼が予定通り高校を卒業したのと同じように、僕も予定通り高校を卒業した。4月には予定通り、松井秀喜は巨人に入団した。
予定していなかったことといえば、僕が大学受験に失敗したことである。予備校に入学することにして、北18条西18丁目にあった予備校の寮に入った。

予備校の寮は個室でそれなりに快適だったが、テレビの持ち込みが禁止された。勉強に集中しなくなるからだ(ケータイとインターネットはまだ普及していなかった)。テレビが無いのは正直辛かった。最愛の山瀬まみを見ることができないからだ。「ブロードキャスター」のお父さんのためのワイドショー講座を見ることができないし、山瀬まみとバカルディ(現・さまぁ~ず)の新番組「タブロイドTV」も見ることができなかった。俺の山瀬不毛時代である。
予備校の寮の個室に風呂はついてなかったけれど、大浴場は毎日解放されていた。ただし、日曜日だけは浴場が閉鎖された。僕は年頃の男の子だったので、風呂には毎日入りたかった。日曜日に入浴できないのは悲しかった。

入寮して早い段階で、毎週日曜日は友人たちと連れ立って近所の銭湯へ行く習慣ができた。寮から自転車で10分ほど行ったところにある銭湯は、設備が充実していた。サウナやジャグジーの完備されている銭湯は当時珍しく、とても快適だった。
特に嬉しかったのは、休憩スペースが充実していたことだ。ゆったりとした広さがあって、清潔で、いくら長いをしても嫌がられなかった。マンガも充実していて、僕はそこで前原滋子の『杏&影 結婚日記』を読破した。あまりに気に入ったので、後日本屋で全巻揃えた。
そして、その休憩スペースにはテレビも設置されていた。一緒に銭湯へ行った友人が元高校球児だった。日曜の夜は、そこでナイター中継が終わるまでテレビを見たり、マンガを読んでから寮に帰るという習慣ができた。

ふとマンガから目を上げてテレビを見ると、背番号55が打席に入っていた。他の選手に比べても、その背中が大きく見えた。実況アナウンサーも、彼が期待の新人で、どんなに凄い選手かということをしゃべっている。もちろん松井秀喜だった。憎き松井秀喜だ。
その時の自分の惨めさったらなかった。向こうは一流の球団のレギュラーで、脚光やら声援やら期待やらを浴びて堂々としている。一方のこちらは、そういった栄光とは無関係だったくせに、住んでる場所だけは「栄光寮」(マジ)という惨めな名称だった。

翌年、僕は大学に合格し、その後は大学院にまで進学した。1993年から2003年まで10年間も札幌に住んだ。
その間、山瀬まみが結婚したり、交際している女の子に「私と山瀬まみのどっちが大事なの?今すぐ、これ(山瀬グッズ)を捨てて」と詰め寄られたり、山瀬まみが「笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに初出演(1998年)した時のVHSテープを誤って消去してしまうなど悲しい出来事もいくつかあったけれど、なんとか就職も決まってやっと社会人デビューできるようになった。

それが2003年だ。僕がやっと初任給をもらった頃、松井秀喜はニューヨーク・ヤンキースに移籍し、大リーグでも活躍していた。その時の彼の正確な契約年俸は忘れてしまったが、とにかく「俺がこの会社で定年まで勤めあげて貰える生涯年収は、松井の年俸にかなわないかもしんないな」と呟いたことだけは覚えている。


松井秀喜は1992年に巨人入団が決まり、2002年にヤンキースへの移籍が決まり、2012年に引退を決めた。見事に10年周期だ。
そして、彼とドンパの僕もそれと同期して、人生の節目を迎えてきた。今のところ、今年から来年にかけて自分の人生の節目が何になるかは決まってないけれど、もうこれ以上松井秀喜のせいで劣等感を植え付けられるのはごめんなので、どうか何も起きませんように。

ていうか、松井秀喜さん、おつかれさまでした。好き嫌いは別として、僕のドンパの中ではトップスターでした。

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コメント (2)

  1. いや、気持ちすごいわかる。男の子なら尚更だろうねー。
    でも引退ってきくと、なんだか自分も年をとったんだなあって感じちゃうね

    • 女性でドンパで自分の人生と重なるような有名人って誰がいるんでしょうね?
      華原朋美とか山田花子とか神田うのとかがいるけど、ちょっと自分とは重ねにくい人たちかもしれん。

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