NHK『おしん』第1-6回(第1週)

空前の大ヒットを記録した名作ドラマだということは知っていたけれど一度も見たことがなく、総集編を見たらすっかりハマってしまった当方が、NHK連続テレビ小説アンコール『おしん』の第1週を見ましたよ。

* * *

(第1回)
1983年(昭和58年)早春。
三重県の志摩半島一円にチェーン展開するスーパーたのくらがあった。同チェーンは田倉一家によって経営されており、全16店舗が順調に運営されていた。この日、新たに17店目が華々しく開店しようとしていた。地元の名士を集めての開店記念式典も開かれる予定であった。

その直前、社長である田倉仁(高橋悦史)の家ではトラブルが発生していた。会社の副社長であり、仁の母であり、一家のご意見番でもあり、83歳と高齢である しん(乙羽信子)が姿を消したのだ。しんの部屋を調べてみると、お気に入りの着物や帯と共に、大量の下着も一緒に消えていた。どうやら、何かを思いつめて家を出ていったようである。

家族への伝言や置き手紙は一切なかった。しんの親族は彼女の真意をはかりかね、憶測を始めた。
しんの実の娘である崎田禎(吉野佳子/現・吉野由志子)や、養子である八代希望(野村万之丞/現・野村萬)は嫁姑の確執を疑った。仁の妻・道子(浅茅陽子)の実家からはスーパーの経営に関して資金援助を受けていた。そのため道子は家の中で大きな顔をしていた。しんも気の強い性格であり、道子と衝突したこともあったというのだ。家長であり社長であるはずの仁であるが、母にも妻にも頭が上がらず、そのせいで嫁姑問題をこじらせているというのが兄弟たちの見立てであった。
一方の道子は、しんの家出を自分のせいにされてはたまらない。新店舗の設置に関して、しんが反対していたという事実を指摘した。まさにその開店日に出奔したことを引き合いに出し、仁に対する無言の抗議こそが家出の理由であると言って引かなかった。

血縁の有無を別にすれば、現在しんには4人の子がいる。
次男の仁は道子を妻とし、3人の子がおり、長男・剛(宮本宗明)も同じスーパーで働いている。しんの次女・禎は崎田辰則(桐原史雄)と結婚し、夫もスーパーの役員として働いている。しんの養女として初子(佐々木愛)がおり、彼女は実子たちへの遠慮もあってほとんど家には寄り付かず、今日の式典にも顔を出していない。
もう一人の養子に八代希望がいる。彼はしんからかわいがられており、その息子・圭(大橋吾郎)も特に気に入られていた。そのかわいがり方は、他の親族から軽いやっかみを受けるほどだった。

圭はしんのいなくなった部屋で古ぼけたこけしを見つけた。そのこけしは、希望が小さかった時にはすでにあったものだという。圭は、しんからそのこけしのいわくを聞いたことを密かに思い出していた。

(2回)
スーパーの開店式典に出る気のわかない希望と圭は自宅へ帰ってきた。

圭は、おしんの部屋で見たこけしのことを考えているうちに閃くことがあった。
父に旅に出たいと願い出て、行き先を告げないまま10万円を無心した。希望は圭の真意がわからなかったが、深く問いただすことはしなかった。東京の一流大学にストレートで合格し、今や20歳になっている息子に全幅の信頼を寄せており、彼が理由を言わないことには余程のことがあるのだろうと思い、言われるままに金を用意した。
圭は、大学の春休み中帰らないかもしれないと言って家を出た。

圭が夜行列車で向かった先は、山形県の山深くにある銀山温泉だった。
朝早くに現地に着くと、温泉街を歩くおしんの姿を見つけた。圭の予想通り、おしんは銀山温泉に来ていたのだ。

誰にも行き先を告げずに出てきたはずなのに、圭が追ってきたことをおしんは驚き、不思議に思い、呆れた。しかし一方で、思いがけない道連れができたことを嬉しくも思うのだった。

(3回)
圭が言うには、おしんの部屋にあった古いこけしを見て、居場所を推測したのだという。
普段は昔話や物に執着しないおしんが、なぜかそのこけしだけは大切にしていた。それを不思議に思った圭が、以前にそれについて聞いてみたことがあるのだ。いつもなら何も言わないおしんであるが、その日だけはこけしの由来を説明したのだ。

そのこけしは、幼い頃のおしんが初めて母と一緒に旅館に泊まった時に買ってもらったものだという。その時の旅館というのが、銀山温泉だったというのだ。圭はその時の話を覚えていて、一か八か銀山温泉へおしんを探しに来たのだ。
おしんは圭にうっかりと昔話をしてしまった過去の自分を呪った。しかし、圭がその話を覚えていて、こうして自分を探し当ててくれたことを愉快にも思うのだった。

一息ついた圭は、三重の父に電話でおしんの無事を知らせた。ただし、居場所については固く口止めされていたので伝えなかった。家出の理由はまだ聞き出せていなかったので、それは知らせることができなかった。父・希望も、おしんの頑固さをよく知っているのでそれ以上は聞こうとはしなかった。
希望は早速スーパーに出かけていって、他の兄弟たちにおしんの無事を知らせた。すると、他の兄弟たちは自分たちに連絡がないことを不服に思い、希望ばかりがかわいがられていることにますます腹を立てた。ついに、同居している嫁の道子の怒りは頂点に達し、もう家には帰ってこなくてよい、他の兄弟で引き取って欲しいとまで言い出す始末だった。

電話連絡を終えた圭は、おしんをたしなめた。おしんが家出の理由を言わないことで、親族が憶測にもとづいて疑心暗鬼になっていると言うのだ。嫁姑問題、もしくは会社経営に不満があると思われており、関係が悪化するばかりだと言って聞かせた。しかし、おしんは自分の真意はそこにはないと言って、笑い飛ばすだけだった。

おしんは圭を伴い、タクシーで山奥の村に向かった。タクシーの運転手(西村淳二)によれば、そこにあった集落はすでに廃村になり、誰も住んでおらず、今の季節では雪で閉ざされていてたどり着くのも困難だという。それでもおしんは聞く耳を持たず、とにかく車を向かわせるよう命じた。

途中まで向かうが、やはり雪が積もっており、車が通れる状態ではなかった。おしんはタクシーで行く事を諦めた。そのかわり、雪山用の準備を整えて、翌日に歩いて行くといって聞かなかった。
圭は、どうしておしんがそれほど頑なに行きたがるのかはわからなかった。しかし、彼女の思いつめた表情を見ていると、理由を問わずに助けてやりたくなった。圭は、自分がおしんを背負ってでも連れて行ってやると約束した。彼は中高生時代に登山をやっており、重い荷物を背負って雪山を登るのには慣れていると胸を張った。

(4回)
翌朝、旅館で長靴や防寒具を借り、おしんと圭は旅館を出た。
おしんは雪道には慣れているつもりだった。しかし、年老いた現在では思うように足が動かなかった。彼女には珍しく弱音を吐き、雪が溶けた時に再訪するといって引き返そうとした。しかし、どうしても彼女の願いを叶えてやりたい圭が本当におしんを背負って歩き始めた。
そうして、やっと目的地に着いた。

そこには、打ち捨てられた村落があった。みすぼらしい小屋が数件あるきりで、どれもほとんど朽ち果てていた。
その中の1軒の前に立ったおしんは、流れる涙を隠そうともしなかった。その小屋こそ、おしんの生家だったのだ。

旅館に帰ってきたおしんは呆然としていた。
一方、圭は感激していた。大好きな祖母の生家を見ることができて、心の底から嬉しいと思っていたのだ。
そんな圭の様子を見ていると、おしんは柄にもなく自分の身の上を話したくなった。

おしんは以前から何度も山形に来たいと思ったことがあったのだという。けれども、そう思っても実行しなかった。ところが、新店開店の前夜、どういうわけか眠りにつけず、山形のことばかり思い出されたのだという。山形に生まれ育った者は、誰しも長くて寒い冬や深い雪のことを忘れることができない。そんなことを思いながら眠れぬまま朝を迎え、辛抱ならずに家を飛び出してしまったのだという。
また、おしんは息子・仁の育て方を間違えてしまったと後悔している。今の仁のような商売のやり方では、早晩スーパーたのくらは潰れてしまうと予想している。仁がそうなってしまったのは、自分の育て方のどこかに間違いがあったはずなのだが、それがどこなのかわからない。

自分の人生を見つめなおし、自分の子育ての失敗点を見つけることが今回の旅の目的であると告白した。済んでしまった事をくよくよ思い悩む事は大嫌いだが、何か大切なものを忘れてしまったそれを取り戻さなければ、自分も息子もダメになってしまう。それを避けるために旅に出たのだと説明した。
圭の知っているおしんは、いつも冷静で感情を表に出す人ではなかった。そんなおしんが急に家出したり、故郷の村に執着したり、自分勝手なことをする姿を初めて見た。圭は、おしんの旅に最後まで付き合うことを決めた。

おしんの生家は、当時も小さくてみすぼらしい藁葺の小屋だった。すきま風がひどく、暖房といえば囲炉裏だけだった。それでも、おしんにとっては暖かくて幸福な家だったという。祖母と両親、6人の兄弟で身を寄せ合っていると、心の底からポカポカと暖かくなる心地がしたという。

おしんは、自分が数えで7歳(満6歳)の時のことを話して聞かせた。
当時、おしんは貧乏とは何かを知らなかった。周りの世帯も同じように貧しい暮らしだったので、自分たちの生活がしごく当たり前のものだと思っていたのだ。
おしんの家は小作農で、地主から5反の田んぼを借りていた。豊作の時でさえ、25俵(約1,500kg)しか米が獲れなかったが、半分は地主に収めなければならなかった。残りの12俵を9人家族で1年間食いつなぐのである。ましてや、不作の年には田植え前に米が尽きるなどという事もあった。その際には地主から米を借りることはできたが、結局、秋に返すことになるため少しも楽にはならなかった。当時、3年ばかり凶作が続いており、おしんの家の生活はどん底だった。

けれども、おしんの歳では貧乏というものがわからなかった。
4月からは学校にいけると信じ、母(泉ピン子)に学習道具を買ってくれとせがんでばかりいた。

(5回)
おしんは1901年(明治34年)に最上川の上流域で生まれた。
7歳当時のおしんの家は貧困であった。2反ある自分の畑で大根を栽培し、それをピーナツほどの大きさに刻み、同量の米と一緒に炊くことで飯をかさ増ししていた。
祖父は亡くなり、祖母なか(大路三千緒)はリュウマチのため農作業も機織りもできなくなってしまった。母・ふじと父・作造(伊東四朗)は、朝から夜中まで働き詰めだった。日中は農作業を行い、夜はわらじを編んで現金収入にしていた。冬は炭焼きに従事し、年中寝る間もなく働いていた。母ふじは新しい子を妊娠しており、折からの凶作と相まって、おしんの生家・谷村家の生活はこのままでは立ち行かなくなる瀬戸際だった。

おしん7歳の春、村にはまだ雪が残っていた。
父・作造は、おしんを奉公に出すことを決めた。母・ふじと祖母・なかは、年端のいかないおしんを奉公に行かせることを猛反対した。しかし、父の決意は固かった。このままでは一家全員が餓死するというのだ。作造はおしんに説明した。最上川を下ったところにある材木屋で子守りの奉公に行くこと、奉公先では腹いっぱい飯が食えること、2人の姉も奉公に行っているのだからおしんも同様に働かなければならないこと、家にももうおしんに食わせるコメがないことなどを言って聞かせた。

しかし、おしんは反発した。学校に行きたい、食事を減らしてもいい、農作業も手伝う、故に家に置いてくれと頼み込んだ。
当時、極貧がどういうものかわからなかったおしんは、ちょっとの我慢で物事が好転すると思っていたのだ。

おしんが圭にそんな話をしている頃、三重では小さな問題が持ち上がっていた。
仁の義理の弟で、スーパーたのくらの役員をやっている辰則がある情報を入手した。スーパーたのくら17号店の近所の商店街が、土地を大手スーパーに売り渡す契約を交わしたというのだ。地元商店街はスーパーたのくらの進出で壊滅的ダメージを負った。どうせ潰れるなら、大手スーパーに売り渡して廃業しようというのだ。商店街のある地域は、スーパーたのくら17号店よりも立地が良く、その話が進めば、今度はスーパーたのくらが大きな損害を受けることになるのだ。

(6回)
翌日、おしんと圭は最上川を訪れた。

幼いおしんは、その川で魚を1匹釣った。
近頃、祖母の食が細くなってきたのを心配したおしんは、滋養のある魚を食べさせてやろうと思ったのだ。ところが、釣った魚は同年代の男の子に奪われてしまった。釣り道具の持ち主はその男の子であり、その道具で釣った魚の所有権は自分にあると言い張るのだ。おしんと男の子は、魚をめぐって揉みあった。すると、足を滑らせたおしんは、雪解け水で冷たい最上川にはまり込んでしまった。

濡れて家に帰ると、母・ふじに叱られた。女が男と一緒に釣りなどしてはいけないと言うのだ。一方で、急に魚釣りを始めた理由を問われたおしんは、祖母に食べさせるためだと説明した。祖母・なかは、自分は魚は嫌いだから、もう二度と魚を獲るなと言うのだった。

しかし、それは祖母の方便だった。祖母が食事を摂らなくなった本当の理由は、家族の食い扶持を減らすためである。リュウマチで働けなくなってしまった自分が、一人前を食べる訳にはいかないと遠慮しているのだ。そのことは、母・ふじにもわかっていた。ふじは、おしんが心配するといけないので、祖母にはちゃんと食事を摂って欲しいと頼んだ。すると逆に、祖母はふじが身重であることを指摘し、ふじこそたくさん食べるべきであり、そのために自分の食事を減らすといって聞かなかった。

そのやりとりをおしんは聞いていた。そして、無性に悲しくなった。自分の家には全員に行き渡るだけの食料がないこと、そして、働けない者には居場所がないという世の無情を知ったのだ。

さらにショッキングな出来事があった。
ある日、夕方になっても母が帰って来なかった。おしんが探しに行くと、母が川に入っていくのが見えた。腰まで雪解け水に浸かり、腹の子を流そうとしていたのだ。

おしんは、ついに奉公に出されることを承諾し、家族の前で宣言した。自分が奉公に行く事で、祖母も一人前の飯が食えるし、生まれてくるはずの弟や妹が死ぬこともない。自分も奉公先で腹いっぱい食べられる。悪いことはないというのだ。

そう言ってはみたものの、幼いおしんにはまだ自分の決定の重大さがわかっていなかったし、迷いもあった。本心では、家を離れたくないと思っていた。
その矢先、口利きの源助(小倉馨)が米を1俵持って来た。おしんの奉公1年分の給金を先払いしてくれたというのだ。その米を見て、おしんは自分が売られたことを実感として知った。もう後には引けないと諦めざるをえなかった。

* * *

続きを読む

あけおめことよろ2013

毎年、年明けのテレビをアップするのが恒例なわけですが、今年はテレビの電波状況が悪くてこんな感じになってます。ぐすん。
2013年があけました
このままでは「年の初めはさだまさし」の視聴も危ぶまれるわけですが、今年も前向きに行きていこうと思います。
どうぞ、今年もよろしくお願い致します。