伏見桃山の戦い: 木公軍、敗走

当方が、お城の記念メダル集めに熱中していることは、読者諸氏がご存知の通り。
先日、メダル列島というページを発見し、当方の家から一番近い場所を探したら、伏見桃山城にも記念メダルがあることを知った。
そこで早速、伏見桃山城の攻略に向かった次第。

伏見桃山城

秀吉が没した城だか、
     近鉄が撤退した観光地だか知らないが、
                 俺が伏見桃山城を落とす!

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大阪城へ記念メダルを買いに行く

日本を代表する城といえば、やはり大阪城だろう。
天下を手中に収めた豊臣秀吉が贅沢を尽くして作った大坂城。
大坂冬の陣で豊臣が敗れたため、徳川によって外堀どころか内堀まで埋められてしまった大坂城。
鳥羽・伏見の戦いで徳川慶喜が逃げ出した後、混乱で焼けてしまった大坂城。
昭和に入り、市民からの寄付で大阪のシンボルとして復興された大阪城。

自宅からもっとも近い位置にある城にもかかわらず、今まで地方の城に行ってばかりで、大阪城は未踏だった。
今回、勝手に「大阪・秋の陣」と名乗って、大阪城を攻めてきた。
もちろん、目指すは茶平工業の記念メダルである。それを手中に収めて、はじめて城を攻略したことになる。

大阪城に攻め入る俺

大阪城、今からお前を攻め落とす!
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二条城を見学した(クイズに答えて二条城コインをGETしよう)

今日は、とある用事で二条城の目と鼻の先のホテルに行っていた。

ホテルなんて言ったら、なんとなく男女の隠微な想像もあったりなかったりするのだが、そういう浮いた話じゃなくて。
某政党の元代表の挨拶を聞いたり、その退屈さにケータイをいじって遊んでいたりしていたわけだが、そういうこととはまったく関係なく、とにかく天気もいいし、すぐそばなので二条城の見学に行くことにした。
二条城のweb サイトもある。

二条城は、徳川家康が天下統一後に築城を命じたもの。将軍が上洛したときの宿舎および政務執行所として使うことを目的に作られたそうだ。
十五代将軍・慶喜が諸大名に対して初めて大政奉還を発表したのも二条城だったそうだ。そのときに使われた大広間(二の丸内)も見ることができた。

当方は、城に造詣が深いわけではないが、出かけた先に城があればできるだけ見物するようにしている。それらと比べると、二条城がかなり特殊な造りであることが、素人ながらによくわかる。
日本各地にある城のほとんどは、徳川幕府以前の戦国時代までに造られたものだ。そのため、戦で生き抜くことを目的に造られている。大きな石垣の上に、階層化された天守閣を持ち、敵の侵入を防ぐための仕組み(銃を撃つための穴など)がたくさん造りこまれている。
それに対して、二条城は徳川泰平時代に作られたものだ。国内に明確な敵がいなかった時代であり、戦目的に作られたようには見えなかった。刀や鉄砲で命のやり取りをするということではなくて、朝廷との舌戦を戦い抜くという目的のため、上品で華美な装飾が施された特殊な城だと思った。

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みうらじゅん&安齋肇の勝手に観光協会

みうらじゅん&安齋肇の勝手に観光協会KBS京都をつけていたら、「安齋肇の勝手に観光協会」という番組が放送されていた。
月曜日の22:00-22:30だろうか?

説明によれば

勝手に観光協会とは・・・

みうらじゅんと安齋肇により結成。日本各県を盛り上げるべく、頼まれもしないのに
・勝手に各地を視察
・勝手に観光ポスターを作成
・勝手にご当地マスコットを作成
・勝手にご当地ソングを作詞・演奏・録音
し続けている大きなお世話ユニットである。

とのことである。

みうらじゅんと安齋肇のだる~い感じが満載で、ノックアウトされてしまった。
面白い。

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小田原攻め (クイズに答えて小田原城コインをGETしよう!)

信玄の小田原攻め(注)があってから二十年間、小田原の繁栄はつづき、日本有数の大都会として、関東では、髪の結い方、着物の着方、刀のさしようまで「小田原様(よう)」といって、人々が争って真似したと伝えられている。
二十一年目に、豊臣秀吉の小田原攻めが行われた。

(海音寺潮五郎『日本名城伝』 pp.174-175)
注: 1596年4月

そして、390年目に、木公の小田原攻めが行われた。

2006年10月6日午前11時、新幹線で小田原に到着。
13時に箱根の某温泉宿に行くというのが本来の目的であったのだが、小田原城に行くために早めの新幹線を予約してやってきた当方なのである。

しかし、激しい雨。
駅から歩いて10分とかからないところに小田原城があるとのことだが、軟弱な当方は雨ニモマケテ、断念。
時間をもてあましたために、小田原駅にある本屋さんをブラブラ。

すると、文庫の平積みコーナーで海音寺潮五郎の「日本名城伝」を発見。
雨で断念した小田原城への怨念を果たすため、とりあえず手にとってみる。

ほら、文庫本って、紙のしおりがはさんであるじゃん。
僕が手に取った本にもしおりがはさんであって、パラパラとめくると、しおりがはさんであったページでふとページが止まった。

173ページ。
ちょうど、「小田原城 -地震とお城-」の最初のページ。

もう、狙っているとしか思えない。
すごいな、小田原クオリティ。
#しかし、念のため平積みの2冊目を調べたら、岐阜城の途中に挟まってた。

「のせられてるな、俺」と自覚しつつも、同書を購入。
雨で遠のいた小田原城に思いを馳せつつ、読む。

同書で得た、小田原城に関する知識:
・地震で揺れて、檜が互いに擦れて、天守閣が自然発火したことがある
・自然発火した檜にこりて、栂(とが)で天守閣を再建。しかし、栂は乾燥すると硬いが、もろくなる。地震の衝撃でホゾなどが欠けて、天守閣が傾いた。(後に、縄などをかけて引っ張って直したらしい)
・明治に入り、天守閣の損傷が激しくなったが、小田原藩には修復する費用がなかった。しかたないので、解体して民間に払い下げた。鯱は、西洋人に1つ七百両で売れた。

地震に苦しめられ、しまいには売られてしまう小田原城。
すごいな、小田原クオリティ。

そんなこんなで、小田原城に想いを馳せつつ、箱根でちょっとだけマジメなことをやって、あとは飲み食いしたり、お風呂に入ったりしつつ、一夜明けた。

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ひろしまのこい

広島城じゃけん

新幹線で京都から1時間45分、広島駅からバスor市電で紙屋町へ。そこから15分ほど歩くと広島城じゃし、いつものアングルで写真を撮らんといかんじゃけぇねぇ。

いつものコインプレゼントもあるよ。
プレゼントクイズは、この記事の最後に!
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兵庫に遊ぶ

姫路城を制する者は,兵庫を制する

どこの誰が言ったかは知らないが,ていうかきっと誰もそんなことは言ってないと思うが,

姫路城を制する者は,兵庫を制する

はい,そして,「アンタなんかに,兵庫を制されてたまるか!」という声が各方面から聞こえてきますが.

何はともあれ,1泊2日の兵庫の旅なわけです.
記事の最後には,読者プレゼントもあります.

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