風が吹いて、バイクが判明した

昨日、原田宗典の小説に「新しい彼女と遊びに行っている間に、元カノがバイクを取りに来る」という話があり、その題名を知りたいという記事を書いた
めでたく判明した。

原田宗典の短篇集『時々、風と話す』に収録されている「零れた水のように」という作品だった。
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新しい彼女と遊びに行っている間に、元カノが荷物を取りに来た話

2004年の夏のことだから、すでに一昔も前のことだ。その時からずっと心に引っかかっていて、折にふれては一人で密かに思い出していたりしていた。自分なりにその真相を明らかにしようと試みたこともあったのだけれど、未だ解決できずにいる。
そこで、みなさんのお知恵を拝借しようと思った次第。

発端は、2004年の8月に某ねーさんからもらったメールだ。
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朝倉かすみ『少しだけ、おともだち』

短篇集。
そのうちのひとつ『C女魂』は、著者が「3.11小説」だと宣伝していた。


どれどれと思い、興味を持った。

朝倉かすみは今年知った中で最大のお気に入り作家なのだが、文庫化されたものしか買ってなかった。しかし、今回これをどうしても早く読みたくて、ついに単行本で買った。本棚で他の文庫と揃わなくなるのは残念だが。
あと、帯の応募券を貼って送ると抽選で手ぬぐいがもらえるとのことで、それも目当てだったわけだが。

書名にあるように、短篇集のテーマは「おともだち」。
その割には、仲がいいんだか悪いんだか微妙な関係や、表面上は親しく付き合っているけれど心の中ではちょっとウザったく思っている話やらのオンパレード。ひらがなで「おともだち」と記されたほのぼのムードとは若干距離がある。
それでいて、お友達のことをおともだちらしく思わないでいることを申し訳なく思い、心苦しく感じている人物たちがたくさん出てくる。そんな微妙な「少しだけ」遠い感じが主題。
そういう意味では、絶妙な書名。
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朝倉かすみ『ともしびマーケット』

太宰治の『走れメロス』は面白い(青空文庫で読む)。
しかし、僕は長い間、その面白さの本質がなんなのかわからずモヤモヤしていた。中学生の読書感想文なら「友情とはなんて素晴らしいものなのでしょう」などと無難にまとめておけば国語のセンセーの覚えはめでたかろう。けれども、なんだかそれだけではないような気がしていた。

森見登美彦の『【新釈】走れメロス』のあとがきには以下のように書かれていた。

「走れメロス」は、作者自身が書いていて楽しくてしょうがないといった印象の、次へ次へと飛びついていくような文章。

それで僕ははたと膝を打った。確かに、太宰の『走れメロス』はまるで活字がひとりでに踊りだすかのような迫力と躍動感がある。それが『走れメロス』の面白さの本質なんだと理解した。

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サブカル買い物でストレス解消

なんだか知らんが、とにかくムシャクシャしているわけで。

「ストレス解消には買い物がいちばん!」という話をよく耳にするが、僕にはなんでそれがストレス解消になるのかよーわからんかった。
数年前までは。

ここ何年か、なんとなくその境地がわかってきたような気がする。イライラする時に、衝動買いをすると気持ちが収まることもあることを身をもって知った。
そんなわけで、ムシャクシャするのでネット通販で本を買った。

以下のサブカル系(?)書籍2冊。合計2,800円のささやかな買い物。
これで心の平安を取り戻したのだから、安いものだ。

【中崎タツヤ『もたない男』】
中崎タツヤという人は、週間スピリッツで『じみへん』というマンガを20年ちかくほそぼそと連載している渋い漫画家。見開き2ページに完全手書きの15コマ漫画を描くという地味な連載漫画(一時期、4ページになったこともあったっけ)。
バカバカしいのだけれど、妙に思弁的で哲学的で風刺的な内容にグッとくる。僕が大学1年生だった1990年代前半ころには、「オレは重苦しい思索と、軽い笑いの両方の分かる、味わい深い男だぜ」っつーのを装うために、新入生の必読書だったような位置づけだった(ような気がする。少なくとも、当時の北大教養部文II系の一部では人気だった)。
その後、『じみへん』は多少の浮き沈みはあったものの、売れるわけでもなく、連載打ち切りになるわけでもなく、今日に至る。

そんな『じみへん』の作者の中崎タツヤは、どうやら変わり者らしい。
平塚に住んでいて、競輪が大好きだという話をどこかで読んだような気がする。あくせく働くわけでもなく、飄々としているっぽい。
そして、モノを所有するのが嫌いらしい。身の回りをこざっぱりとしていたいらしい。
仕事場には、机と椅子、昼寝用枕と寝袋、掃除機以外のものはなにもないらしい。賃貸アパートの入居時に備え付けてあったガスコンロさえ、邪魔だといって押入れの中にしまいこんだらしい。もちろん、カーペットなども敷かれていない。
あまりに殺風景で、訪問客は内見用の部屋だと思うほどだそうだ。

そういった彼の暮らしぶりや人生観が書かれているらしい『もたない男』を購入した次第。
彼の生き方を知り、俗世の細々したことにいちいち惑わされず達観してみたい。

横田増生『評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』
タレントの似顔絵を消しゴム版画で作り、テレビやゴシップネタに対する鋭い評論をすることで有名だったナンシー関。
彼女が急死したのは2002年の6月のことだそうで、今がちょうど没後10年。
そのタイミングで『評伝ナンシー関』という本が出たそうだ。

関係者へのインタビューをはじめ、ナンシー関本人の版画や文章を収録し、彼女の業績や位置づけを浮き彫りにすることを目指した書物らしい。

著者の横田増生という人はジャーナリストだそうだ。そして、ナンシー関のことを真剣に追おうと思ったのは彼女の死後だそうだ。
正直、「死後になって追いかけ始めた人の評伝ってどーなのよ?」と思わないではないが、もしかしたらそういう人の方が冷静に彼女の業績をまとめることができるのかも知らんと期待して購入。どっちみち、僕も彼女の死後にナンシー関の本を読み始めたクチだし。

そんなわけで、到着は2-3日後だが読むのが楽しみだ。
読んで精神衛生が良くなるといいのだが。

「そんなん読んでる場合ちゃうやろ」という声は聞こえません。

峰なゆか『アラサーちゃん』

週刊SPA!峰なゆかの『アラサーちゃん』という4コマ漫画が連載されている。30歳女子のアラサーちゃんが、男と女の微妙な駆け引きを行うというもの。男にモテるために様々な努力をしたり、理不尽で幼稚な男の言い分に合わせてみたり、つい我慢の限界に達して本音を叫んでみたりといった漫画。
ライバルのゆるふわちゃん(男好きのするかわいこちゃん)と張りあってみたり、元彼氏のオラオラ君と腐れ縁が続いていたり、本命の文系くんが振り向いてくれなくてヤキモキしたりもする。

雑誌で読んで気に入ったので、単行本を買ってしまった。おもろかった。

『アラサーちゃん』というはてなダイアリーがあり、そこで多くの漫画が読める。それを試し読みして、気に入った人は買うが良い。なお、単行本に収録されている漫画の半分近くは先のはてなダイアリーに掲載されているものの、ネットで見ることのできるものはラフスケッチ版。単行本では同じ話がキレイに描き直されています。

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アンホルト『理系のための口頭発表術』

昨日、浜松市に出かけて自分の研究の口頭発表をしてきた。
落ち着いて話ができたし、ちゃんと持ち時間を守ったし、たくさんの質問やコメントももらえたので、なかなかの首尾だったのだろうと自画自賛している。
昨日は気分が良かった。

でも、今はすごく反省している。
事前準備を怠り、発表5分前までスライドの修正をしていた。軽微な修正なら良いのだろうが、昨日の僕は発表30分前にトークの流れをガラリと変えた。当然、リハーサルなどやれなかった。小手先のクソ度胸だけはあるので、それでも本番はなんとかなった。でも、後半は随分と早口になったようだし、何枚かスライドを飛ばした。
これらはあまり褒められたことではない。

そのバチが当たったのか、発表直前まで修正していたファイルがそっくり失くなった。操作ミスで一部のスライドを削除して、そのまま保存してしまったようだ。バックアップファイルは一昨日の全く違うバージョンしか残っていない。明後日、ほぼ同じ内容で別の場所で発表する機会を頂いているのだけれど、昨日の発表資料を流用できなくなった。思い出して同じように作れば良いだけの話だが、少々心が折れた。今、軽く放心状態だ。一昨日までに完璧なスライドを準備しておけば、こんな気分にならなかったのに。
資料の作りなおしも悲しいが、意外と「思い出の品」を大事にする当方なので、発表の思い出であるスライドが失くなったことの方がもっと悲しい。
落ち込んでいる。

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東直己『札幌刑務所4泊5日』

著者は、大泉洋主演の映画『探偵はBARにいる』(2012年2月10日にBlu-Ray等が発売される; amazon)の原作者である東直己。札幌出身、在住。
本書は、著者が作家デビュー前に経験したことに基づき、1994年に出版されたもの。

当時、売れないフリー・ライターだった著者は、刑務所の体験ルポを書こうとしていた。
その矢先、偶然にも原チャリの18キロオーバーで捕まった。これ幸いと、反則金の支払いに応じなかった。裁判で罰金刑判決を受けるも、さらに支払いを無視。晴れて著者の思惑通り、刑務所で懲役刑を受けることになった。

ただし、刑期は5日間だった。18キロの速度超過の罰金は7,000円だったという。法律により、刑務所での労役は2,000円/日と定められているそうだ。そのため、著者は4日間の労役で刑期を終えてしまう(途中、労役のない日曜日があったため合計5日間入所したようだ)。
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園山二美『続蠢動』

15年ほど前、僕はある漫画を読んだ。漠然と内容を覚えているだけで、著者もタイトルも分からなかった。その事を当ブログに書いて情報提供を募ったところ、あっという間に判明した
すでに絶版となっている漫画であったが、幸運なことにamazonで古本が売られていたので直ぐに購入した。今日届いて15年ぶりに再読した。僕の記憶は細部がずいぶんと違っていたが、面白かったはずだという記憶に間違いはなかった。

その作品は、園山二美の「怠惰嬉楽」という作品であった(参考写真)。1996年に読み切りとして雑誌に掲載された後、1999年の単行本『続蠢動』に収録された。

表紙の女の子が可愛くて、ちょいエロ


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スティーブン・ピンカーの『2001年宇宙の旅』への言及

クラークと監督のスタンリー・キューブリックは第三千年紀の生活のラディカルな像をつくりだしたが、それはいくつかの点で実現した。永続的な宇宙ステーションは建設中だし、ボイスメールやインターネットは日常生活の一部になっている。しかしクラークとキューブリックが、進歩について楽観的すぎた面もある。仮死状態も、木星へのミッションも、唇の動きを読んで反乱を企てるコンピュータもまだない。逆に、完全に乗り遅れてしまった面もある。彼らがつくった2001年の像では、人びとがタイプライターで言葉を記録している。クラークとキューブリックは、ワードプロセッサーやラップトップ・コンピュータの出現を予想していなかったのである。そして彼らが描いた新千年紀のアメリカ人女性は「アシスタントの女の子」―秘書や受付係や客室乗務員だった。

彼らのような先見の明をもつ人たちが、1970年代に起こった女性の地位の大変革を予想していなかったという事実は、社会のありかたがどれほど急速に変化するものであるかを、あらためて鋭く思い起こさせる。女性がむいているのは主婦や母親や性的パートナーだけだと見なされ、男性の場所を取ることになるからという理由で職業につくのを阻まれ、日常的に差別をうけたり見下されたり性的強要にあったりしていたのはそれほど昔のことではない。

(強調筆者)

この引用は、スティーブン・ピンカー(山下篤子訳)『人間の本性を考える(下)』p.108にある。第18章「ジェンダー: なぜ男はレイプするのか」の冒頭部であり、「女性の地位が向上した理由」という節に書かれている。

さっき、ふと思い出したのだが、内容はうろ覚えだった。それでちゃんと調べた。そして、調べたついでにここにメモしておく次第。

なお、映画『2001年宇宙の旅』は1968年に公開されたとは信じられないほど良くできた作品だ。ピンカーの『人間の本性を考える』も僕たちが人間自身を理解し、これからの社会をどう作っていくのかを考える上でたくさんの示唆にとんだ良書。