夏の読書感想文大会2021: 賞品総額1万円

世のお子さまたちはそろそろ夏休みですね。夏休みの風物詩といえば読書感想文ですね。読書感想文と聞いて「久々に書いてみっかな」という気になりましたね?
特に今年の夏は、僕だけじゃないと思うんだけれど、長引く新型コロナ禍で家に閉じこもりがちでしょうし、テレビをつけても開催に賛成しかねるスポーツイベントばかり放送されたりして、「家でゆっくりと本を読もうか」という気になりますよね?

そんなわけで、alm-ore では読書感想文大会を開催しようと思います。
2010年以来、11年ぶりの開催です。「おもてなし」と「大震災からの復興のシンボル」であり、「コロナに打ち勝った証」でもあり、「人類が困難に直面する中、世界が力を合わせてこの難局を乗り越えていることを発信するいい機会」なのであります。

賞品総額は前回の倍、1万円となりました。レガシーです。
以下に開催要項を記します。奮ってご応募ください。
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杉本恭子『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』

著者の杉本恭子は1990年代に同志社大学で学生時代を過ごしたそうだ。事前知識がほとんど無いまま『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』を手にとり、前書き冒頭でその事実を知らされて肩透かしを食らった気分だった。
入学したことのない部外者が京大の文化について語るのかよ、と。

しかし、そこで投げ出さずに読み進めると、その絶妙な距離感の妙味がすぐに分かった。
外野の立場だからこそ、懐古趣味に陥ることなく、冷静で客観的に京大の文化を記述することに成功していると思われる。関係者(ただし、学生/卒業生側に偏っていて、教員/執行部側は少ない)や資料への丹念な取材が行われていて、独りよがりな思い出話に終始しないところが素晴らしい。

また、京大に閉じた文化論ではないところもよい。より大きな社会・文化全体に翻弄されたり、逆に牽引していく京大の姿が俯瞰的に描かれていて、僕たちが生きている世界について深く考える契機を与えてくれる。
たとえば、今日の京大文化の語り手の一人といえば森見登美彦(本書には彼へのインタビュー記事も掲載されている)と言えるわけだが、振り返ってみれば、彼の小説で描かれる”アホな京大”は社会とは隔絶された一つの別世界にしか見えない(まぁ、それが彼のファンタジー小説の持ち味だけれど)。一方、本書の”アホな京大”は、社会との接点がどのように維持され、また変化してきたのかということが丹念に説明されている。森見的京大しか知らなかった僕には目からウロコだった。
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本棚でゲス(練習問題)

知り合いのセンセーたちと変なゲームを考えた。
それぞれが自分の本棚の写真を持ち寄り、匿名で本棚の写真を見せる。それぞれの写真について、誰の本棚か推測するというゲーム。
名付けて「本棚でゲス」。

勝者は2人選出される。
ひとりは、本棚の持ち主を最も多く当てた人。
もうひとりの勝者は、写真提供者の中で、最も持ち主だとバレなかった人。ただし、いい加減な写真を撮るだけで有利になってしまうので、2番めにバレなかった人を勝者とします。つまり、多くの人からは当てられないんだけれど、ごく少数の人にだけ持ち主がバレるような工夫をすると勝てる。

来年の1月くらいに某所で開催予定なのだけれど、その前哨戦として、以下に練習問題を掲載しておきます。
めんどくさいし、本番で不利になるかもしれないので、正答は公開しません。
また、僕とtwitterで関係のある人の写真を勝手に引っ張ってきました。事前に承諾とってないけれど、そこはご容赦ください(みんな、寛容な人たちばかりだから笑って許してくれると信じてる。ラブ)。

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べリング『なぜペニスはそんな形なのか』を読んで、樹木葬を知る

会社の同僚が、ジェシー・べリング『なぜペニスはそんな形なのか: ヒトについての不謹慎で真面目な科学』(鈴木光太郎 訳)を持っていた。訳者から献本されたのだという。

僕はこの著者のことを知らなかったのだが、進化心理学者でゲイなのだという。18世紀に活躍し、ベーリング海の名称の元となった探検家ヴィトゥス・ベーリングの末裔であるとか、ないとか。現在アラフォーで、Scientific American のコラムもなかなか人気なのだという。
興味を惹かれる著者ではないですか。

先の同僚から本書を受け取ってパラパラと眺めようとしたところ「18章 女性の射出」のページがひとりでに開いた。どうやらその章を真っ先に読み始めたようだ。お前もスキモノだな。

【潮吹きについて】
僕も一般教養(?)として、エロ本やらアダルトビデオやらである程度の学習はしていたので、女性がオルガスムに達した時に尿道から液体を噴出するらしいということは知っていた(残念ながら、実地で直接観察した経験はない)。けれども、その成分が何なのかは知らなかったし、どういう機能があるのか(生殖には関係なさそうだし)も知識がなかった。

本書を読んでわかったことはいくつかある。
女性の射出は性的な刺激の初期には起きないので、性器の潤滑のためにあるのではないということ。尿道の出口に近い腺から分泌されており(尿を貯める膀胱ではない)、尿とは明らかに違う成分であるということ。3ccから50ccほどの量が出ること。生涯のうちに女性の40%ほどが経験すること、などを知った。

一方で、なぜそれが噴出されるのかは未だわかっていないらしい。

なお、女性のオルガスム(いわゆる「イク」ってやつ)に関する生殖上の説明は「20章 女性のオルガスムの謎」にある程度書かれている。
身体的な特徴として、オルガスムの間、子宮頸部が律動する。このことは、精液を保持しやすくし、妊娠の可能性を高めるのだという。加えて、望ましい男性(身体的魅力が高かったり、裕福であったり)と性行為をしている時にはオルガスムに達する頻度が高いという。つまり、良い遺伝子を持っている精子を逃さないようにしていると考えられるそうだ。
そして、オルガスムは女性にとって快楽をもたらす。それが心理的な報酬となるわけだから、望ましい男性との性行為を動機づけ、彼らの精子を囲い込み、良い子を産むという点で適応的だと説明されている。

オルガスムの進化生物的な基本原理は以上のように分かっているのだけれど、潮吹きについてはさっぱりわからないのだという。不思議な事ですね。

理由は何であれ、潮吹きは稀なことでも異常なことでもないらしい。それにもかかわらず、社会通念上は恥ずかしいことということになっている。でも、本当に気持ちいいことなんだから、恥ずかしがらなくてもいいんじゃね?的なことが書いてあった。
男性(もしくは、女性の同性愛者)にとっても、パートナーを最高の快楽に導いたということだから、誇ってもいいんじゃないかと。

【その他の性の話題】
本書は33章からなるオムニバスのエッセイ集で、話題は多岐に渡る。
書名にあるヒトのペニスの形状(3章)に関しては、亀頭の窪みが他の男の精液を掻き出すためにあるという話とか。つまり、ライバルの精子を除去して、自分の精子だけを送り込むために形状が進化してきたという話(一方で、窪みに残った他人の精子を異なる女性に運搬してしまうリスクもあるんじゃないかっつー話も。そのせいで、不貞をしていない妻から他の男の子が生まれることもあるかもしれないとか)。
その他、ヒトの精液(5章)には50種類以上の化学成分があり、特にある種天然ドラッグ(抗鬱、精神高揚など)が含まれており、同時に膣には毛細血管が張り巡らされていてそれらを吸収するようにできているという話なんかが面白かった(かといって、コンドームなしのセックスはリスクがあるから、ドラッグ目的でするのはお勧めしないと注意喚起されていた。天然ドラッグのメリットよりも、性感染症のデメリットの方が大きいと)。

【樹木葬】
とはいえ本書は、このようなヒトの性にに関わる、ある意味下世話な話ばかりではなかった。
人間社会における宗教の役割(27-28章)であるとか、自殺の問題(30-31章)、人間の自由意志と道徳の話題(32章)などもあって、下品な話(本当は、僕は性の問題は下品なことだとは思わないけれど。合意のある性行為ほど平和で幸福なことはこの世に無いと思う)が苦手な人でも読むべき話題はあると思う。

性以外の話題で僕が一番関心を持ったのは、「樹木葬」の話(29章 亡き母の木)。本書では「緑の葬式」と記載されているが、僕がぐぐった限り、日本では一般に「樹木葬」と呼ばれているらしい。

要するに、遺体を容易に分解可能な方法で埋葬(木製の棺桶に入れるのではなく、たとえば麻布でくるんで埋葬する)し、墓石を置く代わりに植樹をするという方法。
想像の通り、遺体は微生物などの作用で分解され、樹木の養分となる。

そこで育った樹木は、故人の象徴としてそこに残るだけではなく、時間の経過とともに成長していく(墓石だと不変)。人としては時間が止まってしまっても、木が大きくなっていくことでその人の時間は続いていく。
本書の中では、隣同士で埋葬された夫婦の木が枝を伸ばし、互いに絡み合っていく様子などが想像されている。子孫たちが、木登りをして先祖と触れ合う様も記述されている。ロマンチックじゃないか。

加えて、従来型の棺桶埋葬や火葬では資源の浪費も問題視されている。
棺桶に使用される木材や金属は、ただ単に遺体を埋めるだけに使われている。その数値が本当なのかはにわかに信じがたいが、1人分の遺体を火葬するのに使われるエネルギーは、車で7700km移動するのに相当するという。その他、遺体を燃やした時の大気汚染の問題もある。

僕はこの話にすっかり入れ込んでしまった。
別に、みんながみんな、従来型の埋葬や火葬をやめるべきだということを主張する気はないが、少なくとも僕の遺体は樹木葬にしてほしいな、と思った。何なら、棺桶に最適な樹木を植えて、数十年後には伐採して棺桶の材料にしてくれてもいい。少しくらいはエコに貢献したい。

こういうことは遺言状に書くべきことだとは思うけれど、効力のある遺言状の作成にはいろいろ面倒な手続きがあるらしいし。今のところ僕が死んだら葬儀の手配をするのはうちの両親だと思うけれど、彼らは古いタイプの日本人だし、実家を新築する際にそれなりの仏壇なんかも備えちゃったので、旧来のやり方に固執するかもしれない。ていうか、余命を考えれば、僕より先に彼らの方が死んじゃうだろうから、頼りないし(ていうか、親と葬式の話をすると、「早く死ね」って言ってると勘ぐられたりして、めんどくさそうじゃない?)。

そんなわけで、ここに記しておくので、僕が死んだ時に思い出した人がいたら、然るべき親族なり関係者なりとうまく連絡が取れたらそうお伝え下さい。よろしくお願いします。

【結論】
本書は、セックス大好きな人も、そうでない人も、それなりに考えさせられる点があるのでお勧めです。
訳者が同僚の知り合いでなかったとしても、お勧めしていたと思います。

アダムス&カーワディン『これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』を読んだ

『これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』の著者ダグラス・アダムスはSF作家、マーク・カワーディンは動物学者。そんなふたりが、絶滅危惧の動物を観察に行くというノンフィクション作品。

1988年ころ、BBC(英国放送協会)のラジオ番組の企画として世界を旅し、その時の模様を書籍化したものだそうだ。原著は1990年に出版され、その後何度か版を重ねるベストセラーらしい。翻訳は2011年に初めて出たので、取材からは約四半世紀経っての出版となる。それを、取材から30年経とうかという今日、僕が読んだわけである。
翻訳の出版にあたっては、本書に取り上げられている絶滅危惧種のその後の状況について注が付けられている。著者のカワーディンのチェックを受けて掲載しているとのこと。真面目な本です。

その間、本書で取り上げられている動物のうち、保護活動が功を奏して個体数を増やしたものもいれば、完全に絶滅したと考えられているもの(ヨウスコウカワイルカ)もいるそうだ。
あと、文章のほとんどを担当したダグラス・アダムスも2001年に絶滅した。残念なことである。

ダグラス・アダムスといえば、ユーモアSFの金字塔『銀河ヒッチハイクガイド』で有名。同作品は、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」は42と主張していることで特に有名。読んだことない人にとってはなんのこっちゃって話ですが、読んでみればなんで42なのかがわかるだろうし、その意味するところもわかると思うので(ついでに、なぜ我々の生きている地球があるのかもわかるかもしれないし、わからないかもしれない)、一読することをお勧めします。
『銀河ヒッチハイクガイド』を読んで気に入れば、本書『これが見納め』を気に入るだろうし、その逆もまた然り。

『銀河ヒッチハイクガイド』は究極の疑問の答えを巡る物語なのだけれど、そのほとんどが主人公たちの宇宙での珍道中に割かれている。
『これが見納め』は世界の絶滅危惧種を巡る物語なのだけれど、そのほとんどが著者たちの珍道中に割かれている。
そして、いずれもイギリス人特有の回りくどいけど知的なブラックユーモアが満載で楽しい。
#どこかで『東海道中膝栗毛』の弥次喜多珍道中になぞらえているのを見たような気がするけれど、『水曜どうでしょう』みたいな感じと言ってもいいかもしんない。

共著者のカーワディンと初めて会った時の描写であるとか、コモドオオトカゲの観察ツアーで一緒になったアメリカ人団体に辟易した話であるとか、ザイール(現・コンゴ民主共和国)の官僚的な入国審査に腹を立てることであるとか、中国でコンドーム(マイクに被せて水中の音声を録るため)を買おうとして苦労したことであるとか、イヤミなフランス人と同席してイライラしたことや、人嫌いの環境保護職員に嫌われたことなどが、これでもかと面白おかしく書いてある。

序文でリチャード・ドーキンス

わたしが一度も吹き出さずに読めるページは、この本にはたぶん一ページもないと思う。

と書いている。
最初僕はいくらなんでも大げさだろうと思ったのだが、実際に読んでみるとドーキンスの2倍は笑ったと思う。今日のお昼ころ、精華台のジョイフルの一番端の席で、声を押し殺しもせず本を読みながら笑っていたオッサンがいたら、それは僕だ。
ほんとうに、ほんとうに、ユーモア作品として秀逸だ。

そして、とても不思議な事は、一見すれば人間の滑稽さとか身勝手さをこき下ろしているブラックユーモア・ノンフィクションなのに、気付いたら環境保護に関してじっくり考えさせられていた。アダムスがどこでどんなトリックを使ったのかよくわからない。
前から順に読んでいくだけで、自然にそう仕向けられていた。こんな不思議な気持ちになったのは、アレン・カー『禁煙セラピー』を読んだ時以来かもしれない。

動物の話そっちのけで、アダムス本人の自虐ネタや面倒な人々にイライラさせられる話ばかり書いてあったはずなのに、ちゃんと動物の話に着地してくる。

ていうか、アレだ。
上のパラグラフは「動物の話そっちのけ」ってのが誤りなのかもしれない。だって、人間だって動物だもの。そもそも動物の話しか書いてないや。

コンゴには行ったことないので今でも入国審査がクソ面倒かどうかは知らないし、中国にも行ったことがないので現地でコンドームを買う(使う相手いないけどな!)のが今でも一苦労するのか知らないし、フランス人と接した経験はほとんど無いので彼らがイヤミなのかどうかは知らない。
けれども、そういう動物が今では絶滅してくれていたら、アダムスたちの時代で「見納め」になってたら、と思う。
世界はそれだけ豊かで、明るく、賑やかな場所になっているはずだから。

僕の読み方が間違ってるだけかもしれないけれど、この本は人間を含めた動物一般に関する本で、その良いところも悪いところもできる限り記録して、未来のあるべき姿を考えましょうという本だと思いました。
30年前からのメッセージを今受け取っても、何ら遅くなかった。

能町みね子『オカマだけどOLやってます。完全版』を読んだ

今年の五月病は例年よりしつこいという話を聞きました。つーか、聞きましたというのはウソで、僕が今勝手にそういう話を流布するわけだけれど。

みなさまにおかれましては、しつこい五月病に屈しないよう、十分な睡眠と滋養のある食事、適切な運動や日光浴、および仕事や対人関係のストレスを笑い飛ばすスルー力を涵養していただき、心身ともに健康な日々をお過しくださることを心より深くお祈りするところであります。

* * *

さて、今日の本題は能町みね子という人物、およびその著作についてです。

僕がこの人のことを知ったのはちょうど1年くらい前でしょうか。当時放送されていた『ヨルタモリ』(フジテレビ)でお見かけしたのが最初だと思います。

「何者だか知らないけれど、派手な格好をしたオバちゃんが出演してるなぁ。どことなくスノッブな振る舞いが少々鼻に付くよなぁ。嫌悪感を抱くというほどではないけれど、どちらかと言えば、あまり友達にはなりたくないタイプ。『ベッドで抱けるか?』って聞かれたら、抱けないと答える。年齢不詳なオバちゃんなら、圧倒的に永作博美の勝ちやろ!」

正直に記憶をたどれば、そのように評しておりました。
そして、顔ははっきりと覚えたけれど、名前はうろ覚えでした。

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ファンシーメイト

『ファンシーメイト』表紙さっき、近所の本屋に出かけたら、かわい子ちゃんの視線を感じた。
そちらを見返すと、表紙に若・春子こと有村架純さんをあしらった『ファンシーメイト』という本があるじゃありませんか。俺のハートが撃ちぬかれた。買った。

中身は1980年代の女の子向けのファンシーグッズや習俗の紹介。「なめ猫」とか「うちのタマ知りませんか」とか「バイキンくん」とか丸文字とかS&B食品の「佐藤くん」、「鈴木くん」、「いまどきのチップ」とか、ブルボンの「きこりの切株」とか懐かしいなーと。
ていうか、「きこりの切株」は今でも売ってるのか
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すぐ泣くフェルゼン

池田理代子『ベルサイユのばら』を通読した。今回が2回めで、実に四半世紀ぶりだろうか。高校生の時に、当時お付き合いしていた女の子が友達から借りてきたという同書を又借りして読んだ時以来だと思う。

その際、彼女から伝えられた感想は「フェルゼンって男のくせにすぐ泣くよね。私は”すぐ泣くフェルゼン”って呼ぶことにした」というものだった。事前にそんな話を聞かされていたものだから、僕も読みながらフェルゼンにばかり目が向いた覚えがある。
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