医療市場の是2: Felice さんに反論されたから、再反論

先日書いた医療市場の是という当方の記事に、Felice さんから反論が付いた(2008年1月3日の日記)。

話がややこしくなっていることの原因は、多くの論争がそうであるように、双方の信条の違いに根ざしたものである。
第三者にとっては、どっかのオタク2人が「ジオンの独立戦争は正当化されるか否か」くらいのどーでもいい話をしているくらいに思うかもしれないけれど、多くの論争がそうであるように、本人たちにとっては自分の信条の表明だとか、プライドだとか、本当に世の中を良くしたいという熱い思いだとか、相手を公衆の面前で罵倒したいだとか、あるかもしれないし、ないかもしれないのだが、いろいろな思いが渾然一体となって、引くに引けないものでもあるのだ。

ただでさえ、この後の話が長くなるので、余計な能書きなんて抜きにしてとっとと本題に入ればいいものを、こんな前書きをすることで自分を冷静に落ち着かせようとか、今後の議論に全く興味のない人でもここら辺まではなんとなく読んでちょっとでも笑ってもらおうとか、2人の間の論争がヒートアップし過ぎないように自主的にアイロニーをかましておこうとか、まぁ、いろいろ考えたり、考えなかったりするわけです。

では、本題。

今回の再反論で一番重要なメッセージは
「血液供給の量を増やすという問題と、供給された血液の質を高める(汚染された血液を排除する)というのは、別次元の問題なので、分離して対策を考えるべき。一緒くたにして議論することは簡単だけど、問題解決を先送りにする。なお僕自身は、前者の問題がより緊急を要すると思っている。」
ということ。

次に、自他にとって話の流れを分かりやすくするため、目次を載せておきます。(このあたり、僕がどの程度真剣に今回のケンカに乗ってるかわかるってもんよ)
「血液供給の不足を解消する方法」→ 血液供給の「量」の話。血液市場を作れば、急速に血液不足を解消できる(と信じる)
「安全な血液を得る方法」→ 集まった血液の「質」の問題。大量に血を集めようとすると、汚染された血液が集まりやすくなるというトレードオフ。「質」よりも「量」が緊急の問題ではないか。
「余計な臓器の有無」→ Felice さん、落ち着いて考え直してください。


血液供給の不足を解消する方法
Felice さんが教えてくれたデータによると、現在の医療規模を支えるためには 1000万人分の献血が必要であるが、実際の献血量は 700万人分しかないそうです。つまり、300万人分の献血が不足している。
じゃあ、その300万人分をどうやって獲得するかという問題です。

それに対する僕の回答が「市場」。血液に値段をつけて、提供者を募れば良いというアイディア。
Felice さんの主要な回答は「教育・宣伝」。献血の重要性を説いて回って、献血したがる人を増やせばいいという考え。彼女の記述によれば、少なくとも1970年代以降はこの方法が主流だそうです。

教育・宣伝による方法は、僕も悪くないアイディアだと思います。でも、それほど優れている方法だとは思わない。
教育・宣伝で献血を募った結果、今日、必要量の30%もの不足を生み出している。

その上、最近は献血者の数が減少するという結果すらもたらしている。
例えば、日本赤十字社の出している献血者数のここ5年の推移を見ると、毎年約10万人のペースで献血者が減っています(血液事業の現状 平成17年統計表(PDF)26ページ)。2001年に577万人だったのが、2005年には532万人に減り、約8%減。参考までにこの間の日本の総人口(総務省発表のエクセルデータ)を見ると、127,317千人→127,768千人と増えているのにもかかわらず。ちなみに、献血する人の年齢層をとりあえず15~64歳として、この年齢層の人口推移も見てみましょう(これまた総務省のエクセルデータから足し算した。検算どうぞ)。2000年に42,546千人から2005年に41,525千人と3%弱しか人口が減っていません。
献血可能人口は3%しか減っていないのに、実際に献血した人が8%も減ってしまったのは、教育・宣伝施策の失敗といえましょう。

「教育・宣伝を続ければ、将来きっと供給100%に近づくだろう」と信じることは簡単ですが、少なくとも上に示したデータからは、その望みが薄いことが示されています。
教育・宣伝のやり方を変えればいいのかもしれませんが、具体的にどうするんだろう?今まで40年も(きっと)手を変え品を変えやってきたのに、このパフォーマンスです。教育・宣伝の将来は明るいのだろうか?

それよりも、血液市場を作って、献血に対価を与えれば、かなり急速に献血量を増やすことができるのではないかというのが僕の意見です。
実際に効果を測定できないので、教育・宣伝と市場システムと、どちらがより多く献血者を獲得できるかは正確にはいえませんが、僕は市場システムの圧勝だと信じます。
少なくとも、無償で献血する人々は市場システムの下でも献血し続けるでしょうし、血液がお金に変わると思えば献血をし始める人が少なくない数だけ出てくるはずです。
#そして、それはFeliceさん自身が「過去には血液売買があって、多くの人が利用していた」という歴史的事実を挙げてくれている。

なお、教育・宣伝と市場システムは排他的ではないので、両方使いたければ使えばよい。ただし、「教育・宣伝だけで十分だから、市場は要らない」という結論には、どうしてもならないと思う。

もちろん、市場が万全だと主張するつもりもない。欠点もある。
しかし、少なくとも「血液の供給量を増やす」という目的を達成するために、市場システムが悪い理由はなにかあるだろうか?

次の節では、市場システムにすると汚染された血液が混入しやすくなるという問題を取り上げます。
次節で扱う問題は、本節の問題「供給量を増加させる方法」とは別の問題であることを繰り返し強調しておきます。

ただし、両者はきっとトレードオフの関係にあるのでしょう。
量を増やそうとすれば質が低下しますし、質を高く保とうと思ったら量が不足するのは、まぁ当然だと思います。
どちらを優先するかは、信条の問題で、どちらが正しいか間違っているかは、簡単に結論は出ない問題であることも指摘しておきます。
ぶっちゃけ、「自分が善いと思うほうを主張すればいい」という問題です。

安全な血液を得る方法
Felice さんの記事は、血液の売買を認めると、”汚い血液” が血液プールに流入するリスクがあると指摘しています。貧困層は感染症にかかっている可能性が高く、また貧困層ほど血液を売る傾向にあるため、結果として”汚い血液” がたくさん集まってしまうという問題です。実際に、過去の日本でもそのような危険な血液が流通して、社会問題にもなったそうです。
ゆえに、闇雲に血液を買いあさるような施策は取りやめられて、現在に至るそうです。

しかし、少なくとも、過去に問題が起きたときよりも
・社会全体の健康保険レベルが上がっている。ゆえに、そもそも”汚い血液”の持ち主が統計的に減っている
・技術革新で、検出・滅菌の効果が上がっている。ゆえに、”汚い血液”を排除しやすくなっている。
と、楽観的に考えて、血液売買を再開するわけにはいかない理由はあるのでしょうか?

少しでも汚染された血液が混入すると困る。だから、悲観的に考えるべきだ」というお叱りを受けるかもしれません。
それはその通りだと思います。
だからこそ、ちゃんと検出・滅菌の処理が行われてるんですよね。

汚染された血液を発見して取り除くという手続きは、血液がどんな方法で集められたかによらず、常に必要な手続きです。
無償の献血で集められた分にも、有償の献血で集められた分にも、同じだけこの手続きをするはずです。
例えば、ここにHIVのキャリアがいたとして、その人の献血は除去する必要があります。無償の献血だとその人のHIVが発見されやすくて、有償の献血だと発見されにくいという理性的な理由はどこにあるのだろうか?同じような手続きを使っておけば、無償/有償にかかわらずそのHIVは同じ確率で発見されるはずだから、血液プールの汚染可能性は等しい。

有償にすることで献血する人が殺到する。そのため、検査の総コストが上がってシステムが破綻するし、見落とし数も増える」と冷静な答えが返ってくるかもしれません。
それはその通りだと思います。

しかし、現在の日本の目標献血数が1000万人であり、あと300万足りないという話を思い出してください。目標を達成するためには、イヤでも300万人分の検査コストを負担しなければならないのです。そのコストや正確性が補償できないというなら、そもそも300万人増やすことができず、慢性的に血液は不足するはずです。300万人分増やしたいのならば、そのための検査・滅菌コストをきちんと準備して実施すべきです。
人が殺到しすぎて困る、例えば3000万人もの献血者がやってきたらどうするか?それは市場に任せておけば大丈夫。供給が増えれば、価格が下がるのは常識。そうすると、割に合わなくなって献血希望者は減っていくから大丈夫(ヘタすると、買値が0円になるんだろうね。また不足してきたら、徐々に価格が上がるんだろうね。規制のない自由市場だったら)。

でも、汚染された血液が割り当てられて、実際に苦しんでる人もいるんだよ。そういう人をこれ以上増やすのか?
もう、僕はこれ以上は正確な統計データを持っていないので分かりませんが、
・汚染された血液で苦しんでいる/いた人
・そもそも血液がもらえなくて苦しんでいる/いた人
のどちらが多いんでしょうか?
前者のほうがマスコミで大々的に取り上げられやすいので、そっちのほうが重大な気になっていますが、実は後者の方が重大なのではないかと個人的に思っています。
誰か、正確なデータ、もしくは推定方法を知っていたら教えてください。

以上で、主要な議論は終了です。
まとめます。
・血液供給量を増やすためには、血液を市場で取引するのが効果的
・”汚い血液” の流入は、どんな集め方をしても付いて回る問題。市場だから悪いわけではない。もっともらしい理屈をこねて問題を混交させると、大局的な判断を誤る。
・ただし、血液の量を優先するか、質を優先するかは、個人の選好の問題だから、多分統一的な結論は出ない。

余計な臓器の有無
前2節に関しては、重要で有意義な議論であると、僕は信じます。扱っている内容は気が滅入るような内容ですが、話し合うこと自体にワクワクしますし、エクスタシーも感じます。

しかし、以下の部分に関しては、僕にとって消化試合です。
個人的には「Felice さんも、つい書きすぎたんだろうな」と生暖かく見守りつつも、看過できないので反論(ていうか、売り言葉に買い言葉。でも、本人は冷静なつもりだし、Feliceさんも落ち着いて読んで下さる方だと信用している)。

頭悪いやろ? 「必要もない余分な臓器」て、そんなん盲腸くらいや。ギリギリ生きていくだけの機能しか持ってなかったらちょっと体調崩しただけで死ぬから、予備や余裕のために持っているわけで、「必要がない」わけではない。

個体の生命維持に多大な影響を与えない範囲であれば、「余計な臓器」はありうると思います。
大阪府立急性期・総合医療センター・腎臓内科の主張がどれほど正しいか僕は分かりませんが、ここでも腎臓が1個なくなっても日常生活にさほど影響は出ないと言っています。
申し訳ないですが、僕は Felice さんの主張よりも上記医療センターの所見を信用します。

実際、感動の名作『賢者の贈り物』では自分の髪の毛という「臓器」を換金している女性が出てくるし、献血だって個体の生命維持に影響を与えない範囲の「臓器提供」だし。
いやいや、それは体内で再生産可能な臓器だから、再生できない腎臓とは別だよ」とおっしゃるのは分かる。
しかし、腎臓のほか、肺や膵臓など再生不可能な臓器でも生体移植が可能と書いてある(阪大医学部からなので、ネームバリューによる信憑性は高いぞ)。つまり、再生不能でも、生命維持が可能な限り、事実上移植は可能と読めます。

ただし、あくまで、Felice さんが使っている表現のように「予備や余裕」のある臓器しか対象にならないのも事実でしょう(実際、心臓は予備がないから生体移植できない)。

もし原文の「必要がない余分な」という言い方が気に食わなかったのであれば、「必須ではない」という言い方でもマンキュー(そして僕)の主張の意味は変わりませんが、どうでしょう?
実際に生体腎移植でドナーと患者が両方生き残っているケースは多々あるので、「必須ではない臓器を提供することで、社会全体の福祉が高まる」という主張は全然間違っていないと思いますが。

もし、経済学者のマンキュー(や同書の翻訳者、もしくは腐れブロガーの木公)が「生体・医療の用語の使い方を間違えている」という温かい指摘だったならば、ありがたく受け取ります。
ただし、「頭悪いやろ?」という一文は削除していただくか、訂正していただく必要があると思います。(本人が見る可能性は万に一つもないはずなので、謝罪の必要はないと思います。僕は彼の代理人でもないですし)

「必要もない」って大言する以上、自分の腎臓をいつでも売るなりあげるなりする心の準備はできてるんやろな?
「あなたの腎臓ください、一個は必要ないでしょ」って言われたとして、自分が提供できるかどうか、どんな状況なら提供するか想像してみるべきだ。

僕はマンキューじゃないので彼の気持ちは分かりませんが、きっと売るための心の準備はできていると思いますよ。そして、どんな状況なら提供するか想像もできてると思う。
彼は経済学者なので、自分が納得するだけの対価を得るという状況において提供するのだと、簡単に予想できます。要するに、価格が釣り合えば売るし、そうじゃなければ売らない。
#対価は「カネ」が一般的だけれど、「家族の笑顔」とかいう精神的な対価も含む

こう考えるのは、きっとマンキューだけじゃないです。大多数の人がそう考えるはずです(腎臓ならば、きっと価格はものすごく高いだろうケド)。ならば、その性質を利用して、献血や臓器移植の流通量を増やすのは、それほど悪くない(最良ではないけれど、最悪でもない)方法だと信じます。
真偽の程はよく分かりませんが、臓器売買のブラック・マーケットが存在していると噂されています。そもそも臓器を売る気がある人(もしくは売らなくてはならない状況になった人)はブラック・マーケットで売っているわけです。それをオーソライズしても、今以上に不幸になる人(無理やり臓器を売買される人)はあまり増えないと思うけど。
(麻薬もブラックマーケットがあるけれど、アレは社会全体の福利厚生を高めないから、医療市場とは話が別。一部には、「麻薬市場をちゃんと作って課税すれば、政府の収入も増えるし、税金の分だけ価格が上がるから麻薬の流通量も減る」という話もあったり、なかったりだけど。税金で価格が高くなるから、金のない若者がお試しで麻薬を買うことが防げて、常習者が減るとか。)

マンキューは僕が信じるとおり経済学者としては一流だけれど、Felice さんが思うとおりヒューマニストとしては二流以下なんだろうと思う。無償で「必須ではない腎臓」を提供するような高い志をもった人ではないから。
しかし、世の中で必要なのは、一流のヒューマニストが1人増えることよりも、実際に腎臓を移植してもらって幸せな生活ができる人を1人増やすことだと思う。現状では腎臓移植を受けられる確率がものすごく低い(ドナーのなり手がいないから)ので、カネで釣ってドナーのなり手を増やせばその目的が達成される。このロジック自身はこれっぽっちも間違っていないはずです。

コメント (20)

  1. 山厂千

    輸血歴があると献血できないんですよ。
    病院の血液検査でも、肝炎等の異常なし、健康ですっ!とお墨付きを貰っても、献血はお断り。
    どーしてって赤十字に尋ねてみたら、未知の汚染の可能性を否定できないからですって。
    まあ、輸血を受ける前に、そういった汚染のリスクを理解した上で云々という受諾書も書かされますからねえ。

    赤十字は、血液事業を柱とする超優良企業と認識しています。
    既に自由経済に委ねられている訳でして、量を確保できないの
    は、「赤十字さん頑張って」って奴じゃないかと思いますよ。
    それ以上ではないと考えています。

    ということで、お題としては、同じ病気で同じ程度に瀕死の状況にあるどちらの患者を救うべきかの方がいかったんでナイカイ。
    # なんか、TVドラマっぽい。

  2. 木公

    山厂千さん
    #たいへんご無沙汰しております。

    確かに、そもそもの話の発端は、「治療対象となる患者をどうやって決定するか」という話から始まっていました。
    昨日、記事をアップした後にそのことは一応思い出したのですが、疲れちゃったのと、これ以上ボリュームが増えるのもアレかと思って割愛したままです。

    簡単にまとめると、治療対象者の決定も市場システムに任せればよいというアイディアです。
    サービスを欲している人に、もっとも最適に財を割り当てるのは、市場原理がおよそ上手くいくことが分かっているからです。
    医療従事者が不足していたり、病院で長時間待たされたりすることは、需要に対して価格が安すぎることに起因しているとみて間違いないと思われます。価格を上げてやれば、必要もないのに病院にかかる人(多いか少ないかは分からないけど、とにかくそういう人がいますよね)が減って、必要な人に医療サービスがいきわたるはずです。

    もちろん、それによってある一定の群(例えば、貧乏人)の効用が以前よりも著しく低下する可能性はあります。残酷ですが、それはある程度仕方のないことだと、僕は考えます。
    でも、放置はできないので、「金持ちから血液代をぼったくって、貧乏人にばら撒けば帳尻があうだろう」という話です。

  3. どうも。「市場原理は万全ではない」というFeliceさんの反論に同調したものです。

    大資本が有利という市場原理の欠点については、どう反論されるんでしょうか?今の前提は献血される血液がまだ無限にあるということになっていますが、現状の有限の場合、不当な買占めなどの悪影響が想定されますよね?

    こちらも、脊髄反射で書き込んでますので、失礼につきお許しを。

  4. 木公

    するどいです。

    実は、昨日ベッドに入ってから「投機目的の血液買占めが発生する問題」を失念していたことに思い至りました。
    その指摘であると理解してよいですね?

    寝そうになりながら、簡単に考えたところでは、
    1. 従来の無償献血制度
    2. 新たな有償献血制度
    の2本立てでどうかと。

    1. の方では、今までと同じなので、献血する人に対価は支払われないし、そこで集めた血液を市場に投入することも禁止します。今までと全く同じ手続きです。
    この状態での獲得血液量は、おそらく700万人であり、現状と同じとみなします。今まで無償で提供してたんだから、彼らはこれからもそうするはずじゃん、と。
    #実際には、カネに釣られて、無償はやめて有償に切り替える人が出るけれど、ここではとりあえず考えないことにする。結論に対して量的な影響は与えるけど、結論の質的内容は変えないから。

    2. の方は、完全自由市場で、買い占めて価格を吊り上げるのも、まぁ許します。その代わり、献血者に金銭の対価を与えることによって、国内で不足している最後の300万人分を集めます。

    さて、輸血治療をするときには、1で集めた血液と、2で集めた血液のいずれから血液を貰うか選べるようにしておきます。
    1だと、お金はほとんどかかりませんが、現状と同じくらいの確率で、血液が当たらない可能性があります。
    2だと、ものすごく価格は高くなりますが、おそらく輸血の獲得可能性も1より高いはずです。金持ちなら、こっちから喜んで買うでしょう。同時に、その人は1の方法で血液を待つ患者を減らす効果を持つので、1で待っている人々への輸血可能性が若干上がります。

    これで大体いいと思いますが、いかがでしょう?
    なお、血液の買占めに関しては、あまりに価格が上がりすぎたら、2の方式での需要が下がって、そのうち価格が下がって適正な価格になると、「経済学的に」信じておくことにします。

    また、Felice さんの掲示板で「自分が緊急搬送されているときには、どんな血が欲しいかなんて言っている余裕がない」と書いてありました。
    たぶんそれは、(今より高い)医療保険に加入することで、将来必要になるであろう輸血料金を先払いしておいて、自動的に高い血を買うという解決方法だと思います。

  5. こんなに使える経済学

    「臓器売買なしに移植を増やす方法 – 高宮浩司」ですってよ、奥さん。
    ここ数日、当blogのホットトピックが臓器売買の話(医療市場の是、医療市場の是2)な…

  6. 大彦

    非常に興味深いネタなのですが、既にビールを十分飲んでしまっているし、参入が遅れたおかげで長文を延々読まなければならない状態なので、ななめ読みで脊髄反射。

    医療制度への市場原理の導入は非常に興味深いアイディアですね。以前とある内科で「最近、○○のじいさんの顔を見かけないねえ」「調子が悪くて病院に来られないんだってさ」って世間話をしている高齢者の会話を聞いたときに、医療制度の非合理性にちょっと首をかしげました。年寄りの医療費が安すぎるせいで、病院が井戸端会議の会場にされてるんですよ。

    血液の不足は、血液の提供を国民の義務にすれば解決するんじゃないのかな? 兵役みたいな感じで、血役ってのがあって、所得税の一部を自らの血液で払うの。「血役控除制度」みたいなの。売血みたいに貧乏人だけをターゲットにするんじゃなくて、一般の給与生活者をターゲットにすることで、提供された血の汚染確率を下げるわけ。だめかね?

  7. 木公

    僕もウィスキーのロックを2杯いってしまったから、脊髄反射だけど。

    「血役」は思いつかんかったわ。血液とのかけことばになってるあたりがおしゃれ。

    単純に考えただけれど、医療に必要な資源は血液よりも現金の方がウェイトは大きいと思う。現金(所得税)を減らして、血液を増やすという方法はあんまり良くないと思う。
    政府の現金収入が減った分を、患者が国庫に納めるという話ならありかもしれないけれど。(しかし、それだと貧乏人への医療割り当てが著しく減るかもしれないという、おなじみの問題が発生する)

    いや、本気で「ケツエキ」のオヤジギャグは、アルコールがまわった身には大爆笑だけど。

  8. 木公

    そうそう、確か『まっとうな経済学』だったと思うけれど、病院の井戸端会議の合理性について一応説明が与えられていた。

    病院にいくと「待たされる」というコストがかかるため、そのコストを負担するに値するだけ病状の酷い人しか病院にいかなくなる。そういうわけで、病状の軽すぎる人が病院に来ないというスクリーニング機能が働くって話。

    まぁ、そりゃそうだけれど、大彦君と同様に、それにしては社会全体で負担するコストが大きすぎると思ったけど。

  9. 大彦

    木公さん,
    > 単純に考えただけれど、医療に必要な資源は血液よりも現金の方がウェイトは大きいと思う。現金(所得税)を減らして、血液を増やすという方法はあんまり良くないと思う。

    確かにそうですね。じゃあ、やっぱり控除じゃなくて、国勢調査の時に採血官がやってきて無理矢理血を採っていく、という方法かな。でも、もしこれを完全に実施するとなるとコストがかかりすぎるし、成功したとしても血液が余りますね……。

    > 病院にいくと「待たされる」というコストがかかるため、そのコストを負担するに値するだけ病状の酷い人しか病院にいかなくなる。

    あはは、なるほど。でも、暇な年寄りの1時間と忙しいサラリーマンの1時間は等価じゃないと思うんだけどなあ。

  10. 木公

    一言だけ。
    人道的な話を無視すれば、強制徴収で余った血液は輸出して現金に換えればよい。徴収にかかるコストもある程度回収できる。

    でもやっぱり、なんか賛成しにくいアイディアだけど。

  11. 大彦

    木公さん,
    > 強制徴収で余った血液は輸出して現金に換えればよい。

    あ、それは思いつきませんでした。でも、日本が世界に誇れる資源は血液、ってことになると、なんかいやな感じ……。

  12. 木公

    血液の世界価格がどのくらいか分からないので、実際には日本産の血液が外国で売れるかどうかは、僕には分かりません。

    血液の世界価格は、おそらく血液徴収人の時給に大きく依存するでしょう。想像するに、日本人の血液徴収人の時給は、発展途上国の血液徴収人の時給をはるかに上回るので、発展途上国産の血液に比べて日本産は国際競争力がないと思います。
    #実際に、現在の日本は血液輸入国らしいし。

    酔った勢いで「血液を輸出すればいい」って言ったけれど、本音ではきっと売れないと思ってる。国際競争力を高めるためには、高価格の分だけ付加価値をつけることが必要だけれど、血液は付加価値のつけようのない財だし。
    #血液パッケージに萌えイラストとか、声優の限定サインとかつけるか?

    酔っ払いが妄想をぶっこいても不毛だと気付き始めたので、今日は寝ます。
    みなさん、お付き合いありがとうございます。

  13. 木公

    野次馬の皆さんへ

    僕と Felice さんとの間のバトルは、一時休戦ということで話がまとまりました。しばらくは沈静化するものと思います。

    香ばしい状況をウォッチしていた皆さんの楽しみを奪うのは心苦しいところではありますが、まぁそういうことで。

    ウォッチャーの皆さんにとっては、どんなやり取りがあったのか気になるところではあるでしょうが、男女の密約の内容については他言しないのが色男の条件なので、僕の口からはなんともはや。

  14. Felice

    連日こちらのリンクからアクセス頂いておりますが、わたしはブログ形式を採用していないため、該当箇所を見つけづらく、閲覧者には不自由をかけていることと思います。そこで、以下のように該当箇所のみをピックアップしましたので、どうぞご覧ください。

    http://www11.big.or.jp/~magmell/essay/health01.html

  15. Felice

    わたしのメールの内容をここで虚偽の内容にすり替えて紹介していること、およびセクシャルハラスメントに対して抗議し、謝罪を求めます。
    <「男女の密約」
    男女関係も、密約もない。あなたはわたしが女性でなければ、このような記載はしなかったと考えられ、これはハラスメントです。

    次に、以下2点確認します。
    1.あなたが先に提案した「貧乏人は救急搬送しない」という案に対して、わたしが意見したところ、「自分は貧乏人を切り捨てる気はない」と明言した。これは先の提案を撤回し、「貧富の差なく必要であれば救急搬送する」という現行(わたしの意見でもある)に同意するということか?

    2.あなたはわたしの掲示板で「医療市場を作るときは、(貧困層を支援する)保健事業がセットでなければならない」と書いた。一方でその保健事業の内容は明らかでなく、市場が導入されたときに貧困層が被る不公平がどのようにフォローされうるか説明されていない。現時点であなたは具体的支援案を持っていないのであれば、先の発言併せると医療市場の導入は否定されるべきである。同意するか?

  16. 木公

    「男女の密約」と書き、Felice さんに不快感を与えてしまったことは謝罪します。申し訳ありませんでした。
    なお、Felice さんが女性だから特に貶めようとして使った表現ではありません。もし男性相手だったら「男同士の約束」とか「男と男の暑苦しい抱擁」とかなんとか、やっぱりその手の表現を使っていたと思います。他の女性に対して「美人人妻との逢瀬」とか書くこともしょっちゅうですし。ジェンダー・バイアスのかかった表現を使うことは手放しに褒められたことではありませんが、これは当blogのスタイルの一つです。

    1. について
    >あなたが先に提案した「貧乏人は救急搬送しない」という案
    そんな案は提案していません。
    それは、僕の文章をFeliceさんが読み誤ったものです。

    >「貧富の差なく必要であれば救急搬送する」
    には同意します。
    ただし、必要性をどう判断するかという問題が残ります。判断の方法は「無条件にする」とか「支払能力で決める」とか「くじ引きにする」とかいろいろあると思います。どれがいいかは簡単にはきまる問題ではないと思います。

    先の僕の提案は、いろいろと修正する必要はあると思いますが、一つの意見としては撤回する必要はないと思います。

    2. について
    >市場が導入されたときに貧困層が被る不公平がどのようにフォローされうるか説明されていない
    基本的なやり方は、富裕層から今以上に医療費を取って、それを貧困層に転化するという方法を提案しています。
    具体的なやり方は、すみません。分かりません。

    方法があるかもしれないので、誰かお利口な人がアイディア出しを手伝ってくれれば良いなぁ、と思っています。

    意見のたたき台としては悪くない提案だと思っていますので、特に否定もなにもしません。

  17. Felice

    不快感を与えただけでなく、「虚偽を記載した」ことを認めてください。

  18. 木公

    ジョークという意味で虚偽です。

  19. Felice

    事実として「密約」は存在していません。
    わたしは最初に「虚偽にすり替えて表現していること対する謝罪を求める」と書いています。
    虚偽に対する謝罪を求めます。

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