連続テレビ小説「だんだん」 第10回

連ドラ日誌もそろそろ潮時かなぁと少々思い始めている当方が「だんだん」の10回目の放送を見ましたよ。

今日の放送は、「母親は誰か?」問題に焦点。

めぐみ(三倉茉奈)は松江で一緒に住んでいる嘉子(鈴木砂羽)こそが自分の母親で間違いないと信じ込んでいる。その前提から出発し、自分たちが双子ということが誤りであるという持論を展開する。

【めぐみの三段論法】
1. 自分は嘉子の子であることに間違いない。
2. 優しい性格の嘉子は、自分の子どもを手放さない。
3. ゆえに、血を分けた姉妹が京都にいるはずが無い(双子ではない)

いろいろツッコみたくなってくるわけだが、視聴者が突っ込むまでもなく、のぞみ(三倉佳奈)が電話越しにそもそもの前提(嘉子が母)が誤りであることを伝える。京都にいる一条真喜子(石田ひかり)が二人の母親である根拠(産科医の失言)を述べる。

このときののぞみの口調はかなりキツめであり、めぐみのことを「頭が悪い」などと言ってのける。いや、確かにさっきの三段論法の件とか頭悪いのはわかるが、見ている視聴者もハラハラしてくるほどの剣幕である。たった1日あっただけの人物に対して、あそこまで言うことのできるのぞみの度胸(というか、脚本の無遠慮さ)にドキドキしてしまう当方でありました。


その後、松江の田島家でシジミ・コロッケの夕食のシーン。コロッケにソースをかけるか、醤油をかけるかで、家族の嗜好が二分される。めぐみと父(吉田栄作)はソース派、弟と母は醤油派であった。「食べ物の好みは遺伝するとインターネットに書いてあった」という弟の話を聞き、自分と母親との血の繋がりを否定的に考え始めるめぐみ。

おーい、めぐみちゃん!
インターネットの話を信じるなら、弟と父の血の繋がりも心配してやれよ。ソース好きの父と、醤油好きの弟の間にも遺伝的関係がないってことじゃないか。

もちろん、賢明な読者諸氏ならば、ソース好きの父と醤油好きの母から子が生まれた場合、50%の確率でソースか醤油かが決まるはずだから、まったく田島家におかしなことはないし、悩みのタネになるはずもないとおっしゃるでしょう。
まったくその通り。ただ、めぐみちゃんはまだ高校3年生で、そういう論理的な思考ができないのかもしれない。

脚本の中で「めぐみは論理的思考が苦手」という人物設定がなされているならば(将来に渡って、似たようなエピソードが出てくるならば)、めぐみの勇み足を見事に描き出した脚本家の腕を喝采したいと思います。
しかし、そういう人物設定の考慮なしに、単に出生の秘密に対する疑惑を盛り上げる小ネタとして書かれただけなら、脚本家の浅慮に呆れたいと思います。

同様に、のぞみのキツい口調も、彼女がそういう性格付けをされているなら、電話口での罵倒もうなずける。しかし、ライバル舞妓とのやりとりを見た限りでは、のぞみはいわゆる「いい子ちゃんキャラ」に見えてくるので、今日の姿はちぐはぐに感じられた。ライバル舞妓がかなりイヤなやつなので、それと対比させるためにも、のぞみはいい子ちゃんで押していった方がわかりやすそうなのに、そうしないことには何か脚本上の意図があるんだろうか。

10回見てきましたが、いまだに話に没入できない当方がいます。脚本家の力不足で面白くないのか、今は雌伏の時で今後爆発的に面白くなっていくのか、もうちょっと様子を見続けたいと思いながら、明日の放送に期待。

コメント (2)

  1. sterai

     ドラマを観ずにこれを読むことで擬似的に体験しておりますので、挫けずにもう少し続けてください。

  2. 木公

    ありがとうございます。もうちょい続けます。

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