Alm 市長が考えた10のこと2005年1月中旬から2006年3月中旬まで、実に14ヶ月に渡って Mos Symphonia の市長を勤めさせていただきました。 「Alm の施政は成功だったか、失敗だったか?」と聞かれれば、自分では「成功」と答えたい。少なくとも、10人くらいの人はこの意見に賛成してくれるのではないかと信じています。できれば、100人くらいに同意してもらいたいけれど。 「Mos Symphonia の運営は喜びだったか、苦痛だったか?」と聞かれれば、「喜び」と答える。こればっかりは、完全に主観にしか立脚できないので、同意してもらう必要はありません。 ただし、のほほんと市長をやっていたからこそ、この成功や喜びがもたらされたとはこれっぽっちも思っていません。皆さんの気づいているところや、気づいていないところで、いろいろ考え、実行し、反省 (Plan-Do-See サイクル)をしていました。自分を美化して言うなら「水上では優雅だが、水面下では懸命に水をかいている白鳥」であり、その例が僕に似つかわしくないと思うなら、「PC画面の前で、顔を真っ赤にして興奮したり、飯も喉を通らないほど落ち込んだり、平均的に見れば汗と涙と鼻水を垂れ流しにしながら七転八倒、悪戦苦闘した情けない日々」と言ってくれてもいいです。 そんな僕がエッセイ感覚(もしくは、マスターベーション?)で記す、"Mos Symphonia 政策・運営論" です。 1. 自由放任 †何事も「まぁ、勝手にやってくれ」というのが、僕の一貫した考えだった。 市民になりたい人は勝手になればいいし、街を出たいと思った人は勝手に出て行けばいいし。 子供じゃないんだから、こっちからクドクドと「アレしろ、コレやっちゃダメ」なんて言う必要も義務も無いと思っていた。 ひとつ象徴的なこととしては、街の領域内に建築制限は設けなかった。 実際、自由に家を建築できるせいで、何度かトラブルも発生した。街の中でどうしても広場として残しておきたい場所があった(例えば、カンティーナの目の前)。そういった場所に、そうとは知らずに家を立ててしまった人がいて、旧市民たちがいきり立ったことがあった。その事件が、2ちゃんねるでゴシップネタとして扱われたときは、水面下での火消しにほとほと胃を痛くした。顛末としては、その人に、市長として僕がコンタクトを取り、こちらの事情を説明し、相手も未知による過失を認めてくれたおかげで、ごく短期間のうちに解決に至り、それ以上の事なきを得た。 良い方に向かった例は、はるかに多い。昨年の春先まではそれこそ毎週のように、誰かが領域内に善意で家を建ててくれた。中には事前に連絡をとってから建ててくれた人もいるが、事前のコンタクトも無く突然家を建てる人たちもいた。かといって、後者のような人々を非難したいわけではない。僕が「自由放任」というポリシーを打ち立て、彼らもそれに従って勝手に家を建築したのだから、咎められる理由は何も無い。その代わり、僕は誰かが家を建てる度(市長にはメールで報告が入る。また、家を建てるだけでは市民にはなれず、個人は明示的に市民になることを選択しなければならない。そうしなければ、"街に家は存在するが非市民"となれる)に、その人へ「建築ありがとう。できれば、市民になってください。楽しいことがいっぱいあります」とマメにメールを送った。 建築に関するこれらの例は、相手がたまたま"紳士・淑女"であることに救われていた。しかし、そういった"紳士・淑女"が多かったことは紛れも無い事実であり、そういった人々をルールでがんじがらめにすることは、彼らに対して失礼であるし、彼らのいいところを摘み取る結果にもなると考えていた。 そのようなわけで、全ては市民や他のSWGプレイヤーの采配に任せ、「自由放任」という態度をとっていた。それが成功のひとつだと思っている。 この節を閉めるにあたって、先の「2ちゃんねるでゴシップネタにされた」時の話にもう一度触れる。 つまり、「自由放任」は絶対的なガイドラインではないということである。人により、状況によりとるべき方法は異なってくる。それを忘れてはいけない。太字で書いておいたが、そしてこれは、このエッセイ全体に共通して言えることである。 たまたま、Mos Symphonia は「自由放任」で成功しただけである。 2. 独裁 †あえて、前節と逆のことを述べる。 ある人は本当にアイディアに煮詰まって困っていたためであろうし、ある人は市長である僕に話を通すのがスジだと考えたためであろうが、いろんな事柄に関して頻繁に相談されたり、意見を求められたりした。 街の運営方針は、毎週土曜日の夜に行われる「市民会議」で民主的に相談の上決定するというルールを"独裁的"に決めたのも僕であるし、その市民会議の席上、議論が発散すると僕の鶴の一声で結論を導いたのも独裁者である僕だ。 しかし、言いたい。「民主主義」を"多数決"と同義で捉えるのは誤りであろう。 僕の観察の限りでは、市民のみんなは、市民会議の結論(多くの場合は、巧妙に僕が導いた)に納得していた様子であるし、議論を戦わせるというプロセスを楽しみ、そのやり方に納得していた様子である。そんなわけで、"僕の定義"による民主制は保障されていたと信じている。 ただし、自分を弁護しておくと、何も自分勝手な主張を独裁的に行っていたわけではない。あくまで、「みんなが納得するような結論」を考えに考え抜き、要所要所で、すっとさりげなく滑り込ませるようにしていたに過ぎない。そして、納得が得られるような結論を事前に準備しておくという努力を怠ったことは無い。毎回、市民会議の前には、議題にしたいことをみんなに聞いて回っていたし、議題があればそれに深く関わりそうな人や、場合によってはもっとも関係がなさそうな人などにヒアリングを行い、思慮深い裁定を下すよう努力していた。 独裁のスタイルをとるのは簡単である。しかし、独裁によって少しでも望ましい結果を導こうとするならば、事前の準備や思慮深い考慮など、「独裁される人」以上の心身的苦痛、簡単に言えば努力が必要なのである。 3. 噂への対応 †自分で自分のことを「2ちゃんねらー」だとはまったく思わない。その黎明期から存在は知っていたし、たまに面白いスレッドがあったりするので暇つぶしに眺めたりすることはよくある。ただし、いわゆる「2ちゃんねらー」のように、2ちゃんねるに依存したり、常駐したりはしていないつもりである(それでも、日本人全体から見れば、かなり「2ちゃんねらー」寄りだろう。例えば、うちのおかーちゃんよりは、僕の方がはるかに2ちゃんねるに近い存在であるし)。 そんな僕でも、Mos Symphonia の市長を一生懸命やっていた時代は、かなり頻繁に 2ちゃんねるの SWG スレッド各種を閲覧していた。 人々は馬鹿ではない。ゆえに、2ちゃんねるの情報の質の的確な判断はできる。 この信念は、全体に対して大きな影を落とす可能性がある。例えば、一例を挙げると、「Alm とその取り巻きは、チート・プログラムを使っている」という根も葉もない噂が流れたとする(そんなプログラム、SWG に関しては寡黙にして聞かないからきっと無いだろうし、僕らは誓ってそんなもん使ってない。あくまで例)。そんなプログラムは存在すらしていないと、みんな簡単にわかるだろう。しかし、ある人が、「他の人はそれを信じるかもしれない」と思ってしまうと面倒だ。自分が Alm と付き合っていることによって、その(偽)情報を信じた人から、自分もAlmの取り巻きチーターだと思われる恐れがある。ゆえに、Alm と付き合うのはやめよう、と思うわけだ。その結果、僕の交友関係はメタメタになってしまう。 チート・プログラムの例で挙げたような状況は、簡単に発生しうると思った。しかし、事前に人々の目や耳や心に蓋をするのは困難である。 さて、ここまでは「2ちゃんねるでの情報は嘘が多い」という前提で話を進めてきたが、中には真実も含まれている。問題は、どんな情報であれ、裏づけを取らなければ真偽の判断はつかないということである。 しかし問題は、一部には、真に正しい情報を提供しているけれど「自分は情報を提供するだけで満足。信じたくなきゃ信じなくてもいいよ。だからソースは載せない」という態度の人がいないとも限らないことだ。証拠が提示されないからといって、誤った情報であるとは必ずしも断言できないのである。 正直に言うと、2ちゃんねるなどで流されていた、Mos Symphonia (や市民)に対するネガティブな噂は真実であることが多かった。幸い、僕自身が攻撃を受けたことは少なかったが(無いわけではないのだ。建築制限をしない馬鹿な市長とかね)、街や市民が悪く言われると自分のことのように悲しかった。同時に、自分の行動なら自分で律することが可能だが、他人の行動を100%コントロールすることは不可能なので、歯がゆさを何度も味わった。 かといって、無気力感にさいなまれているだけでは何も解決しないので、これまた時にはさりげなく、時には直接的に諭して回った。幸いにして、みんな聞き分けがよく、特定の悪い噂が後を引くことは少なかったように思う。これは良かった。 まとめると、噂への対応は2つだと考える。ひとつは「ある噂に対して人々がどのように振舞うか予測し、対応を事前にとる」こと、もうひとつは「起きてしまったものは仕方ないものとして、その代わり、真摯な事後策をとる」こと。よく考えたら、クドクド言うほどのことでもなく、至極当たり前のことだった。 4. マネをしない。マネをさせる。 †乳幼児の研究を専門に行っているある先生*1が、あるときにこんなことを言っていた(メモや録音があるわけではないので、記憶に基づいた要約)。
これと似た思いを、僕は Mos Symphonia という街に対して持っていた。 しかし、当初から、街の内部に向けては、(当時としては)目新しい、個性的なことをいろいろやっていたと自負している。今でも一部で語り草になっている、「街の名前の住民投票」とか。市庁舎を作る直前、その場にいた10名ほどが各々複数の名前候補を述べ、そのマシンガンのように流れる名前候補を僕は端末の前で必死に画面を追いながらメモを取り、20個近い街の名前がそろったところで、パブリックチャットのみで投票を行ったという、アレである(僕が候補としてあげた「Anti Tusken Base」が予選すら通過しなかったことは、今でもちょっと恨んでいるが、それはまた別のお話)。そのほか、みんなで「チャリティー・ハント」を行い、街の運営費をまかなう活動など。それよりも何よりも、タトゥイーンの辺境に街を作ったいきさつというのが、「タスケン砦が見えて眺めがいいし、ベスティン近郊に街を作ってる連中(馬鹿にしているわけではありません。それぞれの良さがあります)とは違った個性を発揮しよう」というアイディアにあるのだが。 そして、Krayt Corss、Mos Oasis に追いつけ、追い越せという機運が高まってきたあたりから、マネばかりしていても芽は出ないと思うようになってきた。中高生の子供を持つ親のように「他の子供(街)と違う」ことを、対外的にも目指し始めた。 特に、市民からの要望もあった。例えば、人が集まらないのでベンダーの商品の売れ行きが悪いといったことや、カンティーナにも目新しい人が来なくてつまらないといったことまで。今まで、他の街をお手本にやってきたのだが、それだと既存の街の方が実績もネームバリューもあるのだから、後進の Mos Symphonia が太刀打ちできるはずが無い。 まず行ったのは、ハンターの誘致である。ある市民が、Mos Symphonia の郊外は地形も平坦で、比較的大量の獲物が発生することを発見し、口コミや当サイトで宣伝を行った。そして、これは本当に偶然の幸運なのだが、システム変更に伴って、尋常ではない数の生物が Mos Symphonia 近郊に発生するようになった。一時は「シンフォ狩り」という言葉が流通するほど、狩りのメッカとなった。 同じころ、当サイトに様々な攻略情報が掲載されるようになった。ダンジョンの攻略法や、JEDIクエストの攻略法など、一部は他の情報系サイトよりも充実した情報が掲載されていた。ケチをつけるつもりは無いが、他の街のサイトは、あくまで自分の街の紹介に終始していたのに対して、Mos Symphonia は市民以外でも利用できるサイトを目指してスタートを切った(ある街の市長をやっていた人が「最近、自分の街のサイトよりも、Mos Symphonia のサイトをよく見ています」とジョークを言うほどだった)。 その他、Mos Symphonia より後進の街を見ていると、「市民会議」を定期的に行う街や、市民による「チャリティー・ハント」を取り入れる街などが現れ、"それって、(少なくとも日本サーバでは) Mos Symphonia が取り組んで、広く公開したやり方じゃん" と個人的に悦に入っていた。 ただし、僕が提案して失敗した施策ももちろんある。 話が発散したが*2、ここで述べたかったことを簡潔にまとめると、Mos Symphonia は「他の街のお手本になるべく、いろいろとチャレンジした。一部は上手くいった」という、自画自賛である。 5. 口先だけで、自分は動かない †MMORPGプレイヤーの傾向として、「自分は誰かの役に立ちたい」というものがあると思う。 イベントや街に必要な物資などに関して、僕は企画や方向性の概要を示すだけで、具体的な作業はほとんど市民に丸投げした。多くの人は喜んでアイテムを作ったり、追加アイディアを考えたりと具体的な作業に取り組んでくれた。 そもそも、僕は根気が無いので、物事を順序だててコツコツとやることができないというのもある。しかし、繰り返すが、僕が "口先だけで、自分は動かない" というスタイルを貫いたのは、人々の「自分は誰かの役に立ちたい」という欲求を満たすためである。 こう書くと、「Alm は他の人の "欲求を満たしてやる" なんて、かなり偉そうなヤツだな」と反感を抱く人がいるかもしれないし、逆に「Alm はみんなが個性を発揮して楽しめるチャンスを作り出していたなんて、立派な人だな」とちょっぴり褒めてくれる人もいるかもしれない。 しかし、それで物事が回ってたのだから、いいじゃないか、と。 6. インセンティブ・コンパティビリティ †前節の後半で述べたことは、小難しい言葉で言えば「インセンティブ・コンパティビリティ (incentive compatibility)」、日本語だと「誘因両立性」だと思うが、それをどのように達成させるかという問題として捉えられる。 人々の誘因や目的は十人十色である。人によって、やりたい事や動機は異なる。放っておけば、みんながてんでバラバラになってしまい、共同作業の結果やコミュニティ(街)はひどい結果に陥ってしまう。バラバラなインセンティブを統合し、全体として望ましい結果を導くことが、リーダー(市長)にとっての最優先課題であるはずだ。 蛇足であるが、「インセンティブ・コンパティビリティ」がいまひとつピンと来ない人のために、性的なたとえを紹介しておく(受験生の暗記物の多くが性的な内容に当てはめられているように、エロネタって記憶に残るんだよねぇ)。 話を、SWG の街運営に戻す。 では、どうやって「インセンティブ・コンパティビリティ」を高めればいいのか?セックスで成功するやり方はわかった、では、SWG の街づくりに関してはどうすればよいのか? ごめんなさい。一言では言い表せられませんし、非常に繊細な問題だし、ケース・バイ・ケースなので、王道はありません。期待していた人、本当にごめんなさい。 ただし、ここで言いたいことは、「解決策は一筋縄ではいかない。しかし"インセンティブ・コンパティビリティ"の概念とその重要さを知っている人は、リーダーとしてうまくやれる」ということであり、それをぜひ心に留めていただきたいということである。 7. 縁の無い人は仕方が無い †100人を超える市民がいたので(とはいえ、その中には複数キャラを扱う人々が含まれているが)、中にはウマが合わなかったり、目標を共有できない人もいた。いくら「インセンティブ・コンパティビリティ」を満たすやり方を考えようとしても、僕には考え尽くせなかった。 その時はその時で、「まぁ、仕方が無いな」と思うことにした。何も市民全員が市長である僕と水魚の交わりをしなくてはいけないという理由も無かったし。僕とウマが合わなくても、100人もの市民がいれば、その人も誰かしら気の合う相手を見つけることができるだろうと思ったし。お互いに無理して付き合っていやな思いをするくらいだったら、互いに不干渉でそれとなくやっていくに越したことはないと思っていた。 僕とウマが合わないという理由ではない(と信じている)が、何人かの人が「街を出たい」と腹を割って相談してくれた。僕は、街に参加するのも自由であれば、退出するのも自由だと思っていたので、特に引き止めることもしなかった(1人だけ、ものすごく引き止めたい衝動に駆られた相手がいた。その場では引き止めなかったけれど、何度かバッタリ出くわすたびに「戻って来いよ」とラブコールを送った。これ、俺的ルール違反)。それに「まぁ、縁が無かったんだから仕方が無い。ていうか、多少の縁はできたんだから、それだけでめっけもんだろう」と軽く考えるようにしていたし。 人の縁はなるべく大事にするようにしていた。 8. 「飽きる時間」を読む †ある人に「市長は、人を集めてイベントを起こすのもうまいが、それよりも、イベントを終わらせるのが上手い」と評してもらったことがある。あの時は、自分の影の努力が認められたようで、ひじょうに嬉しかった(そして、その人を「お主、見所があるな」と思った)。 グループで狩に出かけたり、エンターティナーが合奏していたり、場合によっては愚にもつかないおしゃべりをしているようなときでさえ、誰しも自分から「抜ける」とは言いにくいものである。真に楽しんで行っている活動ならば、放っておくまでのことであるが、「ちょっとツマンナイなぁ」と思いながら、言い出しにくくてズルズルとみんなに付き合うという経験は誰しもあることだろう。それはその人自身にとって大きなロスであるし、そのような経験が頻発するようであれば、人との共同作業を裂けるようになり、社会関係全体のロスに繋がることは明らかである。 そこで、僕は、人が「楽しんで入れる時間」、もしくは「集中力の持続する時間」で物事に区切りをつけるように仕向けていた。 客観的な数値はわからないので、自分の経験に照らして考えたのだが、何かをしていて心の底から「マジ楽しい!」と思えるのはおよそ10分で、どんなに長くても30分だと思った。それを過ぎると、チャットでは「楽しいね /smile」と言いつつ、端末の前のプレイヤーは「早く終わんねーかな」と舌打ちを始める。おそらく開始から60分たったころには、SWG のウィンドウはそっちのけで、web ブラウジングなどを始めることだろう。もちろん、個人のイベントへの参与の仕方でこの時間は変わってくるだろう。積極的に参加し、中心的な役割を果たしている人なら、この時間はもっと長くなるだろう。しかし逆に、周辺的な参加しかしていない人(そして、この種の人はきっとものすごく多い)は、それよりもはるかに短い時間しか辛抱できないだろうということに注意を払わなければならない。 僕が行った具体的な方法としては、できる場合には、事前にイベントの所要時間もしくは終了予定時刻をアナウンスするようにした。事前に決められている終了時刻が決められていれば、参加者にとってもスケジュールが組みやすいし、「時間なので帰る」とも言いやすいだろうからだ。もちろん、それでも「抜ける」とは言いにくいことはわかっていたので、僕が積極的に終了を告げるということをいつも忘れずに行った。 市民会議でも、特にアナウンスしたことは無かったが、1)会議全体の時間は1時間、2)議題ひとつあたりの時間は平均15分、最大で30分、と決めていた。特に、30分やっても結論の出ない問題は、頭を冷やして議論しなおさなければいつまでたっても平行線をたどる問題であることが多いので、そう決めた。時間がきたら、「次回の会議に持ち越し」もしくは「市長の独裁」とした。初期のころの市民会議は、時間が来てもみんなドンドンと話を続けたがっていたが、後期になるとほとんどの議題や会議全体が時間通りに終わるようになった。きっと、みんながそのやり方に慣れてくれたせいだろう(他の可能性として、プレイヤーも減り、やることも少なくなったので議題そのものがなくなったということが考えられる。または、「どーせ、市長が最終的にきめちゃうんでしょ」という無力感が蔓延したので、議論が不活発になったという可能性もある。本当だとしたらどちらも悲しい現実なので、ここでは気づかなかったことにしておく)。 教訓は、「あなたが楽しんでいるのと同じだけ、他の人も楽しんでいるとは限らない」ということである。 9. コミュニケーションの傾斜性 †僕は、相手との関係の度合いに応じて、コミュニケーションの頻度や深さを変えていた。 よく知らない人には積極的に話しかけ、一緒にあちこちへ出かけた。それとは逆に、仲が良くなるにつれて一緒に活動する回数を減らしていった。僕自身、初めはあまり意識していなかったが、街がある程度の大きさになったころからは、戦略的にそうしていた。 理由は明らかで、「新参者は、馴染みにくい」からである。せっかく縁があって街の住民になってくれたので、その関係は大事にしたいし、街の旧市民に一刻も早く馴染んで、彼らと一体になってほしいと思った。文句を言うつもりではないが、旧市民の側は、古くから見知った仲間とつるんだり、ツーカーで話が通じたりすることが多い。そこで、僕が新市民と旧市民との橋渡し役になる必要があると痛感したし、それこそが市長の務めだと思った。だから、新市民には、相手が嫌になるほどかまった。 ただし、残念なことに、僕がコミュニケーションに裂くことができる時間も、体力も、認知資源も限界がある。全ての人に対して同じように、深い交流をすることはできない。自然に、放っておいてもみんなと仲良くできる人(旧市民)に対する働きかけは減ってしまうことになる。それはもちろん嬉しいことではなかったが、市長としての義務感から、そして何より、市長として市民の輪が広がることの喜びを得られる報酬のために、積極的に行った。 誰に打ち明けることも無くそうしていたので、旧い馴染みの中には「最近、Alm がよそよそしくて、冷たい。オレ、何か悪いことしたかな?」と余計な心配をした人がいたかもしれない。そればかりは悪しき副産物だが、そんな思いをした人たちも、ここを読めば納得してくれるだけの分別のある人たちであるはずだ。 10. Just for fan †以上、9項目挙げてきた。 ここまで読むと「Alm はおチャラケタ振りをして、腹の中では人を操ろうとしたトンデモネー策士だ」と思う人がいるだろう。それは完全に間違った評価だとは、自分自身思わないので否定も反論もしない。 その代わり、僕を「策士」だと呼ぶ人以上に、「Alm は、自分を抑えて、街のために貢献したいいヤツだ」と思ってくれる人がいると信じたい。 全ては、自分自身楽しくてやったことである。 本当に僕は、SWG の中で、「自分が楽しい」(just for fan)*4 ことしかやってこなかった。 僕は、中の人のシンドイ日常から逃避するために、SWG にログインした。日常生活でできない、あんなことやこんなことをやるために SWG という世界を借りてチャレンジしていた。実際、日常生活では、会社の下っ端で、人を指揮する立場からは対極にある。普段は口下手で、女の子を前にすると舞い上がってしまって、気の利いたセリフひとつ言えない。 そんな素敵な世界で、何が嬉しくて、楽しくも無いことをやらにゃいかんのだ。 全ては自分が楽しむため、just for fan である。 最後に †きっとみんなからは省みられることのほとんど無い内容だし、書いた本人すらついさっきまで存在を忘れていたけれど、当サイトに「暮らしの決まり」というページがある。 このエッセイに書いたことの半分くらいのことが既に書かれていた。わざわざこんなエッセイをつらつらと書いて損した気分。 反面、初期に作った「暮らしの決まり」のポリシーに従って、よくぞやってこれたと思う。自分を褒めてあげたい。 そして、それに付いて来てくれた市民を誇りに思う。 僕は「Mos Symphonia の市長」であったことを誇りに思っています。 みんなが考えた○のこと †
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