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モテなくてもいいもん。開き直るもん。

ガラにもなく文芸雑誌など買ってきて読んでみたり。
俺はどこの似非文学青年だ。

“yom yom 2007年10月号” の冒頭に柴門ふみが「心のヒダ」という短文を書いていた。

私は若い頃ひねくれていたので、いくら内面の美しさを磨けと言ったって、結局男は美人ばかりチヤホヤし、心のキレイな娘の良さなど気づいてもらえないのだと強く思い込んでいた。そのため外見も内面も磨かずに十代の大半を過ごした。


あれ? これと似てる話をさっき読んだぞ。

男性の中には
「自分は面食いではない、容姿よりも性格を重視する」
と言う人もいますが、そういう人でもある一定の容姿に対する好みとかベクトルとかはあって、一般的な美人ではなくてもこれがこの人の好みなんだな、というツボがあります。男性は自覚しているよりももっと明白に女性の容姿を選別している。

当方が心の中で「コヤツ、やるな」と不遜ながら注目している Felice タソの今日(10/25)の日記じゃん。

それはさておき、Feliceちゃんの日記を読むこと数時間前、近所のコンビニでモーニングを立ち読みしていた。
当方の立ち読みメニューは決まっていて、「島耕作」(今はなんと専務だよ!)、「誰も寝てはならぬ」(この前単行本も買ったしね)、「僕の小規模な生活」(最近連載が始まり、密かに大注目中。駆け出し漫画家のしょぼい日常)あたりを読めば大体満足してしまう(この文のリンク先は、いずれもモーニングの公式サイトに飛ぶ)。
あと、既に18年くらい連載が続いている秋月りすの「OL進化論」も外せないけど。

今回の「OL進化論」の最後の4コマに、僕のこれまでの人生の失敗を如実に指摘されたような気がして、ちょっとヘコんだ。
ある男が、自分は女性アイドルグループの中ではちょっと地味で目立たない子が好きだと言う。
さらに、学生時代好きだった女の子は、学校一の美人の友達でこれまたやっぱり目立たない子だったと言う。
つまり、自分はものすごく可愛い子は好きにならない、と。
それを、これから口説こうとする女の子に話してしまうもんだから、その女の子が気を悪くして失敗してしまう。

そうだよ、これが僕の人生の失敗だよ!
「山瀬まみが大好きだ」と言い過ぎてしまったかもしれない。
ついでに、「今まで付き合ってきた女の子は、みんな山瀬まみ系の女の子だった」とまで胸を張って言いふらしてきた。
この異性趣味の首尾一貫性が俺の人生の足を引っ張りまくりなんじゃん。
ダメだこりゃ。
まぁ、いいんだケドね。

でも、冒頭で引用した柴門ふみの文章の結論は、外見も内面もある程度歳をとればテクニックである程度ツブしは利くから、若いうちは背伸びせずに自然体でいればいいよ、というものだった。
当方はもう若くはないが、年齢のことはうっかりと忘れて、自然体で生きていくことにしよう。
山瀬まみが好きで何が悪いか!? と。

それに「人生万事塞翁が馬」だし、どこで一発逆転があるかわかんないじゃん、人生なんて。
Felice さんも書いてるように、20年前には子供だましだとバカにされていた漫画が、今では日本を代表するゲージツ作品に化けてしまったわけだし。

それどころではないのではなくて、こんなとこなんて見てないかもしれませんが、細かいことでクヨクヨしてないで、人生開き直って生きてみるのもいいんじゃないでしょうか。>某

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