今日は、第3回こころの未来ワークショップ 「日本文化とこころの行方-『こもる』ことの意味」(主催: 京都大学 こころの未来研究センター)に行ってきた。
プログラムはこんな感じ。
13時~13時15分 はじめに
吉川 左紀子(京都大学こころの未来研究センター センター長)13時15分~14時15分 ひきこもり:現代日本社会の”行きづまり”を読み解く
マイケル・ジーレンジガー(カリフォルニア大学バークレー校/ジャーナリスト)14時15分~15時15分 文化と自己:ゆらぐ現代日本の構造
北山 忍(ミシガン大学/文化心理学)15時30分~16時30分 日本における若者の病理の変化:ひきこもりと行動化
河合 俊雄(京都大学こころの未来研究センター/臨床心理学)16時30分~17時 総合討論
マイケル・ジーレンジガー
北山 忍
河合 俊雄
嘉志摩 佳久(メルボルン大学社会心理学)
吉川 左紀子
目玉は明らかにマイケル・ジーレンジガー氏。
彼は、現在はアメリカ在住のジャーナリストなのだが、支局長として日本に7年間滞在したこともある日本通。
昨年、『ひきこもりの国
(原題: Shutting Out the Sun: How Japan Created Its Own Lost Generation)
実は彼の本は事前に予習もしてなかったし、たいして興味も持っていなかった。
そんなわけで、ウチの業界では超有名人の北山忍先生を生で見たいというミーハーな気分で行ってきた。
超有名人の北山先生なのだが、今まで生で見たのは2回くらいだと思われる、モグリ業界人の当方。
でも、『自己と感情』はなんとなく買いそびれて、そのままになってしまっている。
そんな微妙な愛だけれど、微妙な生齧り感覚だからこそ、今日の話は楽しく聞けた。
メインテーマは、人の情報処理には「自動的な情報処理」と「意図的な情報処理」の2つのパターンがあるという話。まさに文字通りの意味で、前者は意識したりせずに勝手にしてしまうもの、後者は考えてから意識的にするもの。まぁ、その2つのパターンがあるなんて、当たり前といえば、当たり前だけど。
それに文化の話をからめると、日本人は人間関係に対する注意は自動処理されているけれど、人間関係を無視することは自動ではできず「意図的に」行わなければならない。
#この実証実験は、北山チームがいろいろやってる。
#とある実験のデモ写真の女性が、しけちゃんぽかった。
#IQテストするときに人の顔のイラストが部屋に張ってある実験。
で、それを下敷きに、引きこもりと現代社会に関する試論を述べていた。
現代日本では、人間関係を過剰に無視するよう勧められる風潮にある。
そういう風潮は、人々の「意図的な情報処理」を優越させることになり、自動的な情報処理(心のあり方)に不整合を引き起こして、何かしらの問題行動を引き起こすのではないかという試論。
最後の主張は今後の検証を待たねばならないところだとは思ったけれど、お話全体としては「北山・社会心理学」の入門編としてとても勉強になったなり。
生で見るのは3回目くらいだけれど、話術も面白くて、楽しい先生だったなり。
#そして、太ってメガネかけて、ヒゲをはやしたオーニョさんに風貌が似てたなり。
“『ひきこもりの国』を著した日本通の外国人”という知識以外、何も仕入れずに会場に向かった。
「どーせ、デーブ・スペクター程度の適当な日米比較論をぶっこくだけでしょ」
と冷ややかに考えていたのだが、どっこい、どっこい、この人の話も面白かった。
ていうか、引きこもりの問題をミクロレベル(個人の性格、心の問題、家庭環境)に求めるのではなく、マクロレベル(経済指標とか文化)に照らして考える視点から話が入って、いきなり興味を鷲掴みにされてしまった。
面白かったデータとしては、例えばティーンエイジャーに「自分の将来の収入は、自分の親の収入を超えると思うか?」という質問をすると、日本人は20%弱しか肯定しないらしい。他国のデータはメモしなかったけれど、ブラジルだかどっかあたりだと70%ちかくが肯定するらしい。アメリカでも50%くらいだったか。
日本の若者、どれだけ将来に悲観してるねんって話だ。
彼の著作のメッセージもそこにあって、閉塞した社会に対する抵抗がひきこもりではないかと議論を展開するらしい。
この本、読んでみる価値あるかも。
あと、ジーレンジガー氏、日本人社会心理学者の話もよく知ってた。
Markus & Kitayama の「相互独立自己観/相互協調自己観」の話や、Masuda & Nisbett の「分割的思考/包括的思考」も、Yamagishi の信頼の話もおさえてた。
こういう著者の本なら、信用できるから買いだと思った。