今日は慶応のSFCに行ってきた。
某学術会議で、セッション座長を務めることになっていたからだ。
セッション座長といえば、三つ子の魂百まで、っつーか “学部3年の魂サラリーマンまで” の当方である。
僕が大学3年生のとき、助手室に
「セッション座長の唯一の心得は、時間通りに終わらせること」
という紙が一番目立つところに貼られていたのを、今でもよく覚えている。
そして、その言葉の主として、某指導教官の名前も書いてあった。
元上司がある学会で座長をしていたそうだ。
そのとき、質疑応答が紛糾し、セッションの終了時間を大幅に超過してしまったそうだ。
その件に関して、某指導教官から「議論をうまくまとめて、時間内に終結させるのが座長の役目だ。それができなかったとは何事か」とこっぴどく叱られたとか。反省のために、元上司が自分で貼ったという話を聞いた。
#ていうか、すでに元上司は異動していて、後任者の部屋に貼られっぱなしだったのだが。
学部3年生だった僕は、まさか将来自分が座長をやるような立場になるとは想像していなかったのだが、その心得だけはずーっと覚えていた。
そんな僕が、今日のセッションで2時間の予定のところを15分も超過した。
6人の発表者がいて、そのうち2人がPCとプロジェクタの接続にトラブって合計5分以上は時間を浪費したという事実もあるが。
しかし、それでも10分ちかくは、僕のマネジメントの失敗だ。
悔しくて泣きそうになった。
6人の発表者はいずれも学生さんで、あまり慣れていない様子だった。
ちょっと慣れれば、セッションが始まる前にプロジェクタのチェックをしておくなんてことは常識中の常識なんだけれど、それすらも気が回らないくらいのビギナーだったのかもしれない。
そんなもん、指導教官なり講座の先輩なりが教えるのが当たり前なんだけれど、不幸にして彼らはそういうことを教わらなかったのかもしれない(一人は留学生だったし)。
ここで僕が一言教えてあげないと、将来の学会で同じように迷惑を引き起こすかもしれない。だから、僕がハッキリと言ってやるべきだと思った。
一方で、初めて(と予想される)参加する学会で座長のおっさんに怒られたら、それだけで萎縮してしまってもう二度と学会発表ができないようになってしまうかもしれない。
どうしたものかと考えて、
「時間超過したのは座長の私の責任です。確かに機材のトラブルもありましたが、事前に機材のチェックをするよう指導するのも座長の勤めであり、それを怠った点は申し開きできません。」
と、自分を下手人にすり替えて謝罪してみることにした。
この話を聞いて、件の学生さんたちが発表会のマナーについてきちんと悟ってくれるとよいのだけれど。
そんなことを思いながら、カッコつけな自分に酔って泣きそうになった。
僕らのセッションは時間割の最後だったので、みんなが一斉に帰る時間帯。バス停は混雑していた。
バスのルートは2つであり、”JRルート” と “私鉄ルート”。
私鉄ルートの方が所要時間も乗り換えも便利なのだが、その時点で僕の忍耐力をはるかに超える行列ができていた。
腹も減ってきたし、見ていると泣きそうになった。
JRルートも多少混雑していたが、待つ必要はなさそうだった。乗り換えの多少の不便は我慢して、こちらに乗り込んだ。
座席はほとんど埋まっていて、立ったままの人も少なくなかった。しかし、入り口のすぐ横にある2つの「優先座席」には誰も座っていなかった。僕と前後して乗り込んだどっかの中年の先生と目が合った。その瞬間、工藤静香のように「♪目と目で通じあう」感じで、優先座席に2人でドカッと座り込んだ。
その中年の先生以上のお年寄りや体の不自由な人は見当たらなかったし、僕が座ることによって通路も1人分だけ広くなるわけだし。座らない理由はまったく無い。
タナボタで座れる喜びに、うれし泣きしそうになった。
バスが走り出して、次の停留所(SFCの門の前)で止まった。
何人かが乗り込んできて、僕の目の前に老紳士がお立ちになった。手足も細い感じで、なんだか立っているのも頼りない感じ。
そこは偽善者の当方のこと、即座に腰を半分上げて、彼に席を譲ろうとした。
「オレは、70になるまで座らねぇと決めてんだ。おらぁ、まだ69だよ!」
と、江戸風というか、横浜風というか、そんな感じの乱暴な言葉で断られてしまった。
せっかく喜んでもらえると思ったのに断られて、その上少々礼儀知らずな言葉にショックを受けた。
悲しくて、泣きそうになった。
しかし、混雑した周りの目もある中で、自分だけが恥をかかされたままなのも腹立たしい。
しばらく我慢していたのだけれど、
「クソジジィがっ!意地張ってねぇで素直に座ればいいじゃねーか。ほらほら、停止・発車のたびにふらついてるじゃねーか」
と言おうと思って、床から彼のズボンに目を移し、さらに彼の派手なアロハシャツを経由して、パナマ帽の下の皺だらけの顔にガンをつけようと目を泳がしていくと・・・
泳がす目を、ちょっと寄り道させて、彼のアロハの半そでをチラッと見ると、立派なモンモンが入ってる。
「あれ?ペンキ職人の仕事帰りかな?紺のペンキで汚れちゃって、ちゃんと洗ってないのかな?」
とか暢気なことを考えながら、開襟の胸元を見ると、なんだかよくわからない健康ネックレスの下にも、年季入りの刺青が見え隠れ。
一気にビビッた。どうか、バスを降りた後とかに因縁をつけられたり、殴られたりしませんように、と泣きそうになる。
今日は移動中に読む本をいっぱい持ってきたんだけれど、それを読むことすら忘れて、ずっと俯いたままイスに座り続ける俺。どんな拷問かと思った。
「なぁ、アンタ学生じゃないだろ?」
と、そのじいさんに声をかけられたのは、5分ほど経ったころだろうか。
「いつもはこんなに混んでねぇのに、何事だ?」
と、僕にお尋ねになる。
「が、学会があったんです」
「学会ぃ?何の学会だよ?」
「あ、あの、その、コンピュータ関係です」
「ん?ああ、そっちの学会か。創価かと思ったよ。ガッハッハ」
実は、性根のいい人だったのかもしれない。
「にいちゃん、辻堂(JRの駅)まで行くのか?」
「はい。そこから新横浜に出て、このまま京都まで帰ります」
「新幹線か?だったら、小田原の方が近ぇんじゃねぇのか?」
「いや、小田原は不便なんで・・・」
「ああ、本数が少ねぇってことだな」
僕が恐縮している姿を見て、安心させようとして声をかけ続けてくれるのかもしれない。
言葉遣い(とガンコさ)によらず、優しい人かもしれないと思うと、泣きそうになった。
でも、それ以上話が続かなくて、再び沈黙。
僕はケータイをいじったりして、平常心を装ってみたり。
ケータイの先に目を移すと、じいさんがぶら下げている荷物が目に入る。
スーパーの買い物袋に、コカ・コーラの1.5リットルが入っているのが見える。袋の膨らみから察するに、ほかにもなにか入っていそうだけれど、確認できない。買い物袋のほかに、どっかの女性向けアパレルショップの手提げビニール袋っぽいものも提げている。開封して食べ残したと思しきポテチの袋が入っているのが見えた。
このじいさん、頭にかぶってるパナマ帽だけはパリッと決まってるけれど、それ以外の衣類はどこかくたびれてるし、持ってる荷物も決して並以上の生活水準にあるようには見えない(見えないだけど、本当はどうだかわからない)。
彼のことを勝手に不幸な老人だと決め付けて、彼の境遇に泣きそうになった。
彼の提げている荷物が、バスの揺れに合わせて、右へ左へ。
もう関わり合いになるのはやめようと思っていたのに、つい話かけてしまった。
「せめて、お荷物だけでも持たせてください。あなたのことを老人だと思って言ってるのではないのです。お元気な様子はよくわかりました。でも、目上の人を敬うのは当たり前のことなんです。あなたは目上の人だから、当たり前のことをしたいだけなんです。」
「ありがとうよ。兄ちゃんみたいのがいりゃ、日本はまだまだ大丈夫だ。気持ちだけでうれしいよ」
自分のことをコスモポリタンだと思っている当方なので、普段なら “日本の将来” とか “日本のため” なんていうフレーズを聞くとそれだけで反発したり、虫唾が走ったりするのだけれど、今回だけはそんな気がまったく起きなかった。
むしろ、何よりも嬉しい賛辞だと思った。
目玉を動かしたり、大きく瞬きしたりすると涙がこぼれそうだった。眉間に力を入れて、じっとバスの床をにらむことしかできなかった。
終点のJR辻堂駅で、僕も彼も降りた。
先に降りようとした彼は「気をつけて帰れよ」とだけ声をかけてくれた。
僕が遅れてバスを降りると、彼は改札に向かう階段を登ろうとしていた。
僕は、階段の彼とは逆の端を選んで、大またで駆け上がった。
改札を大急ぎで抜けて、ホームに降りたら階段から一番遠いところで電車を待つことにした。
電車を待ちながら、「そうか」と思った。
彼は、いつもと違ってバスが混んでいる理由を僕に聞いていた。ということは、普段は空いているということだ。
彼は、いつでも自由に座席に座れたのかもしれない。もっと言うなら、人から席を譲られた経験がほとんど無いとも考えられる。
今日、突然席を譲られたので、どんな風に答えれば良いのかわからなかった可能性がある。
70歳くらいは、中高生と同じように”難しいお年頃”だから、つい本心とは違って、テレ隠しでキツい言い方の返答をしたんだろうな。
そこまで考えて、電車が来た。
あとはもう知らない。