先にお伝えしたとおり、本日開催された第25回サロマ湖100kmウルトラマラソンにおいて、sterai氏が 12:24:39 のタイム(速報値)で100km を完走した。
まずは彼の栄光を讃えたい。
さて、今回の彼の100kmマラソン初チャレンジに対して、僕はsterai さんの走破距離に応じて、100円/km の募金を行うと約束した。そして、彼が見事100kmを走ったので、僕は1万円を募金する義務を果たさねばならない。
募金と言っても、彼自身に賞金を支払うわけではない。彼の走行距離に応じて、僕が金を支出し、発展途上国の支援をするのだ。彼自身は金を受け取る権利を有しない。しかし、せめて支援先の選定には彼の意向も反映させることにした。
ふたりで相談した結果、日本ユニセフ協会の『ソマリア教育募金』支援プログラムを募金対象と決めた。
教育関連の基金を対象にしたいというのは、sterai 氏の当初からの希望であった。最終的に『ソマリア教育募金』支援プログラムを選んだのは、出資者である僕の権利と責任による。
善は急げ。募金処理を完了した。
ところで。
口やかましい人は
「日本ユニセフ協会は、国連の直轄組織ではないし、募金額をピンハネしている。募金の全額が支援に使われるわけではない。そんなところに募金するとは、木公の無知、軽率さ、および偽善者の手下に成り下がっていることを軽蔑する」
と言うかもしれない。
確かに、日本ユニセフ協会は国内で集まった募金の約20%を国内事業費に使用し、その残り(つまり募金総額の80%)しか国連ユニセフに送金しない(収支報告はこのあたり)。
それを日本ユニセフ協会の「恥知らずなピンハネ」と考えるか、より多くの「募金を集めるための必要経費」と見るかで意見が別れるところだろう。ネット世論では、どうも前者が優勢なようだが。
しかし、僕は後者の立場に立つ。効率よく募金を集めるために、ある程度の経費を使うのは仕方あるまい。ちなみに、僕は山形浩生「募金の経費が理解できない人たち。」を意見の拠り所としている。
効率よく募金を集め、経理ミスが発生して金が失われないように正確に処理するためには、優秀な人材が必要だ。そして、能力に見合った報酬を支払わなければ、そういった人材も集まりにくい程度に、世の中はシビアだ(たとえば、ボランティアの全員が無能で不誠実だとは思わないが、無給で集められたボランティアが何百億円もの金をミスなく処理できるとは考えにくい)。今回、「教育関連の基金」という条件で募金先を探すにあたっても、日本ユニセフ協会の記事がとても参考になった。こういった記事の取材費や、分かりやすい文書を作り配布する費用も、全てが無料でできるほど、世の中は楽園ではない。
自分が汗水たらして稼いだ給料でさえ、税金で天引きされるんだ。それと似た様なことだと思えば、仕方がない。どんなことにも経費はかかってくるのだ。募金にも国家の運営にも。
それでも、約20%のピンハネが浪費されると思い、ソマリアの子供たちの取り分が少なくなるのをどうしても許せないという人がいるかもしれない。
なら、こうしよう。僕が20%分上乗せして募金しよう。sterai氏の走行距離に応じた募金額 1万円はソマリアの子供たちのために使われる。日本ユニセフ協会がピンハネする分は、僕がそっくり支払っておく。
だから今回、12,500円の募金手続きをした。
最後に。
なんだかんだ言って、僕は偽善者なのです。募金するのも、完全な善意からではなく、所得税の支払に関して所得控除が得られるという(微々たる)メリットがあるからです。もし、そういった優遇制度がなかったら、募金していなかったと思う。だから、ある親切な人から、国外の募金先の紹介を受けたけれど、日本の税制優遇が得られないので無視してしまいました。この場でこっそりと謝っておきます。
今日、たまたま、先の山形浩生が訳した『無一文の億万長者』を入手した。訳者のあとがきにこんなことが書いてあった。
どこに寄付しようかと考えることは、いったい自分がどういう社会を実現したいのかということを考える機会でもあり、その意志を表明する機会でもあるのだ。
教育を受けることすらままならず、人生を楽しめないような人がより少なくなる社会を実現したい。より多くの人が、自分の生存や社会の発展にとって何の意味があるのか不明瞭なこと(たとえば、炎天下を12時間かけて100kmを走るとか、それをネタに下手くそな文章を書いて発表するとか)を実行する余裕を持ち、なんだかよくわからないけれどニコニコしたり感動できたりできる社会を実現したい。