最近、「伊達直人」(『タイガーマスク』)等、マンガの主人公を名乗り、児童施設へ匿名の贈り物をするのがブームになっているっぽい。
特に悪いことだと思わないし、もっとドンドンやってくれりゃいいと思う。
ただし、僕はどちらかというと、「世の中カネだぜ」と思う方だし、「善いことしたら言いふらしたい」タイプなので、今回のブームにはのらないけど。
#そのかわり、何かのイベントごとに現金で寄付をするように心がけているし、blogでそのことを吹聴したりする(直近ではクリスマス)。
マスコミも、彼らの匿名の贈り物を美談として連日取り上げている。
そんな中、真摯な取材の結果から正直にそういう記事になったのか、「うちは逆サイドから眺めてみることで、独自性を出すよ」という目論見なのか知らんけど、以下のような記事を見つけた。
広がる「タイガーの輪」、受け取り側には戸惑いも… (カナコロ)
同じく寄付が届いた児童養護施設の職員の一人は「もちろんありがたい」としながらも、複雑な表情。子どもたちには「多くの方々に支えられて生活ができている」と教え、寄付者には直接感謝の気持ちを伝えるよう指導している。顔の見える関係こそ、教育の根幹と考えるからだ。だが、漫画の主人公の名前では「お礼の言いようがない」。
匿名のままだと、子供にお礼を言わせることができないから困る・・・というのだ。
ずっこけた。
僕なら(みんなもそうだと思うけど)、
「今日あなたが受けたご恩は、将来あなたが大きくなったら、その時に困っている別の誰かを助けてあげることでお返ししなさい。贈り物をくれたご本人にお礼はできないけれど、あなたがそうすることをきっと誰よりもその人は喜んでくれますよ。」
と子供たちに話して聞かせるけどな。
資源をくれた人に、直接対価(多くは貨幣だけど、ここではお礼といった心理的対価も含む)を支払うのではなく、第三者に対して返報する交換形態を「一般交換」というんだっけ?学生の頃に習ったような気がするよ(講義室でも、日常生活でも)。
対概念として「限定交換」というのがある。これは、資源をくれた人に直接対価を支払う形態。例えば、お店でモノを買うのなんかが典型例だよね。品物を受け取る代わりに、相手に直接代金を支払う。
一方、「一般交換」では、資源をくれた人に直接返さない。別の誰かに返す。
例えば、学生時代や新入社員の時代に、先輩や上司に飯/酒をたんまりおごってもらった経験は誰しもあるだろう。そして、そのまま彼らに飲食代を返すことなく踏み倒した人がほとんどだろう。
しかし、そんな僕らでも後輩や部下に対しては、僕らの先輩や上司がしてくれたのと同じように、タダ飯をおごってやる。
その時に実感するはずだ。「自分が先輩や上司に返せなかった分を、この後輩や部下を通じて返しているのだ」と。そして、自分におごってくれた先輩や上司も、さらに上の人々から同じようにされてきたのだと知っている。
しかし、どうも「一般交換」の存在や価値や法則の方は忘れられやすいようだ。
なんで件の児童施設の職員は「直接お礼を言えないから困る」などと、限定交換が不成立になることを嘆くのだ。
一般交換で返せば済む話じゃないか。
匿名の送り主が、せっかく一般交換の輪を広げようと口火を切ったのに、なんでいきなりそれを消し去ろうという考え方が出てくるのか。理解に苦しむ。
でもって、件の記事も「センセーショナルな話題に関して、ちょっと否定的な見解を述べて、さらにセンセーショナルに書きたてよう」という意図が見えるような気がして、げんなりしたのであった。