英語タウンというサイトの西森マリー氏の連載「アメリカン・カルチャーを知る英語講座」というコーナーが割りと好き。
僕ら(と言っても、そう思っているのは僕一人かもしれない。自分の考えが世間一般の人と共有されているという保障はない)は普段、アメリカと言えば「自由で革新的な国」と思っている。よそ者にも分け隔てなく接し、多様な意見をぶつけ合いつつも個性を尊重し、常に変化を求める国であると。
しかし、「先の連載では「んなこたぁない」と、現代アメリカ合衆国の実情を知らしめてくれる。
第1回の連載「赤いアメリカ・青いアメリカ (Red and Blue America)」の冒頭は、
アメリカには、ハリウッドやクリスティーナ・アギュイレラなどにリベラルなアメリカと、ロディオやハンティングが好きな超保守的なアメリカ、という二つのアメリカが存在します。
確かに、ハリウッド映画やアメリカン・ポップスでしかアメリカ文化に接してなかった僕は、前者のアメリカしか理解してなかった。
カリフォルニアでアーノルド・シュワルツェネッガーが知事になるといったブッ飛んだことが起きる一方で、保守的なジョージ・ブッシュが大統領に再選するなどこれまたブッ飛んだことが起きる理由がなんとなくわかった。
奥が深いねぇ。
アメリカの文化とか地理に疎い当方なので、舞台となっている田舎の町がアメリカのどの地方をモデルにしているのかはっきりとはわからなかったけれど、多分保守的な地方が舞台なのだろう。
僕のつたない知識を総動員した結果、郊外の田舎町であること、よそ者に割りと冷たい事、ご近所コミュニティーが発達していること、家族団らんしながらベタベタな野菜の煮物のようなものを食べていること、有色人種がほとんど住んでいないこと(登場人物で1人のみ)、あたりからそう勝手に思った。
そんな町に、手の代わりにハサミの付いている異形の人間が来るもんだから、大騒ぎ。
確かに、最初は歓迎ムードだけれど、いったんボロが出るや否や、その排斥ぶりはすさまじい。これかー、これがアメリカ人の排他性なのか。
その代わり、最初はツンツン→最後はデレデレ(こういうのを「ツンデレ」って言うんですか?違うんですか?)なヒロイン(ウィノア・ライダー; 初めてこの女優さんを見ました。かわいいね)がストーリーの良いコントラストになっているわけですが。
そんな中で、悪く言えば社会性欠如、よく言えば純朴な青年なエドワード(シザーハンズ)がヒロイン家族と心の交流をするってお話ですね。
しかしそれでも、一家のお父さんは結局最後までエドワードと距離を置いて付き合っている感じ。うーむ、これが保守的なアメリカかぁ、と思った。
ところで、某知人女性と話をしていたとき、「シザーハンズ」を未見の彼女は
「心温まる、ラブロマンスなんでしょ?」
と言っていたが、今日この映画を見た僕の印象は、そんな表層的な物語ではないと思った。
じゃあ、「孤独な青年と社会の関わり」の話かって言うと、そんな教訓めいたお話でもないと思った。
こんなこと言うと身も蓋もないけれど、
「どうして雪は降るんだろう?」
という素朴な疑問に答える、とてもファンタジックなお話だと、僕は解釈しています。
そして、この映画を見終わった後、さっぽろ雪まつりの時にコバンザメのように行われている「すすきの氷の祭典」の氷像を見たくなりました。
氷の彫刻の透明感、大好きです。
生まれ変わったら、彫刻家(氷専門)になってみたい。
毎年冬になると、大好きな女性のことを思い出して氷の像を作る青年。
毎年冬になると、大好きだった青年のことを思い出しながら雪景色を眺める女性。
感動して泣きそうです。