僕はMicrosoft Windowsのパソコンを使っている。1994年に自分用のパソコンとして、Windows 3.1 のインストールされているものを買ってから12年経つわけである。
ちなみに、干支なら一回り、占星術でも12宮に意味があるし、キリスト教なら12使徒ですね。
学生時代、Apple の Macintoshに身も心も捧げている同級生がいた。そりゃもう、妄信的に。
「マウスボタンなんて1個あればことが足りるのに、なんで2個も付いてるの?」だの(当時、Sun のワークステーションにはなんと3個もボタンが付いていた!)、Apple がリリースしたなんとか(名称忘れた)という動画形式を自分のノートPCで再生してみせて「こりゃすごいよ。もうWindowsは売れなくなっちゃうね。みんな Macintosh を使うはずだよ」(現在、そのファイル形式は僕の記憶から抹消され、僕はWindowsでmpeg形式にたいへんお世話になっている)と言ってみたり。
そのイヤミな態度はまるで「Macintosh の良さがわからずに、Windows を使っている人間は白痴も同然」だと思っていた節がある。
そのしたたかなやり口でソフトウェア業界の巨人に成り上がり、それでいてみんなからカラカイの対象になっていたビル・ゲイツを憎く思っていなかった僕は、Windows の弁護と Macintosh への攻撃のために、彼にこんな寓話をしてあげた。
まずは、Windows と Macintosh のメニューの出し方を比べてみろ。Windows の「スタート・バー」は画面の下にあって、クリックすると上に伸びてくる。それに対して、Macintosh のそれは上にあり、クリックすると下にメニューが伸びてくる。
ここで一度、地球の重力を考えよう。モノは上から下へ落ちる。逆に、下から上へモノを持ち上げるのにはエネルギーが必要だ。現代では、油圧ジャッキなどの機械を用いてそれを実現している。科学技術の賜物だ。
話をメニューに戻そう。Macintosh は上にあるものを”落下”させているだけだ。それに対して、Windows は”モノを持ち上げる”ということを実現している。つまり、Macintosh はカラスが硬いカラのある木の実を上空から地面に叩きつけて割っているのと同じだ。Windows は硬いカラを機械や道具を使って割っているのだ。どちらがより文明的で、現代的だい?
Windows がアインシュタインの物理学だとしたら、Macintosh はニュートンの万有引力の法則程度の段階にあるってことだ。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを眺めているしかなかったのさ。Apple にはお似合いだね!
実際のところ、どっちが良いか悪いかは永遠にわからない。
P.S.
「ダ・ヴィンチ・コード」読み終わった。
黒い円筒の暗号だけは、すぐにわかった。
結局のところ、どっちが良いか悪いかは永遠にわからない。