19歳で独り暮らしをしてから、基本的にお風呂には入らない当方。
毎朝、シャワーを浴びて身体の清潔を保つことにしている。
しかし、数年ごとに「お風呂に入りたい」モードが高まる。
そして、ここ1週間くらい「お風呂に入りたい」モードの最中にある。
おそらく、あと3日もしたら「お風呂、いらない」モードに戻ると思うが。
この本、「ススキノエッセイ」というサブタイトルがついており、筆者(北大文学部中退だって。当方の先輩にあたる。彼は哲学科なので学科は違うけど。wikipediaで情報を見る)がススキノ界隈を日々飲み歩き、そこで出会った人のエピソードが面白おかしく書いてある。
1エッセイあたり、3ページくらいで終わるので、中断するのが容易で、お風呂で気楽に読める。
ちなみに、90年代後半頃、道新に週1くらいで連載されていたらしい。
ちょうど、「猫男」というタイトルのついた話を読んでいた。
なにしろ彼によれば、猫を飼っていない私は、人生の根本的な意義を理解しない人間であって、そして、そういうわけで、私の小説はベストセラーにならないんだそうだ。あるいはまた、事故対策、緊急時の対応、リスク・マネージメント、情報公開などの点で果てしなくみっともない失態を繰り返す『動燃』は「きっと、幹部に猫を買っているヤツが誰もいないんだよ。猫を見れば、というものの意味がわかるのに」ということなんだそうである。
(「さらば愛しき女と男よ」 p.206-207)
ふむ、この「猫男」によれば、猫を飼っている当方は「というものの意味がわかる」人間で、会社の幹部に最適なわけだ。
そんなわけで、僕の勤め先の会社は、明日にでも僕を役員に任命すべきだ。
もしくは、「予想外」のアノ会社も僕を経営陣に迎えれば、きっとナンバーポータビリティで一気にシェアを獲得できただろうに。
・・・とか、バカなことを考えてみたり。
というのも、お風呂場の扉を開けっ放しにして入浴しているわけである。
当方も寂しがり屋だし、あるにゃんも寂しがり屋なのである。
彼女は僕がどこに行くのにもついて来るし、僕も彼女にどこへでもついて来てもらいたいと思っているので、入浴時に扉を開けて出入り自由にしておくということは、双方の思惑が一致するわけである。
幾分できすぎなような気もするが、件の「猫男」を読んでいるあたりで、あるにゃんがお風呂場に現れたわけである。
相手をするわけでもなく様子を見ることにした。
あるにゃんは、水を恐れている。だから、少しでも飛沫がかかろうものなら、一目散に逃げ出してしまう。
しかし、同時に、あるにゃんは水に興味津々でもある。キッチンのシンクや洗面台に水滴がついていると、それをおっかなびっくり舐めたりしている。
そんなわけで、バスタブの縁についた水を恐る恐る舐めたりしている。
僕が体を動かして湯船に波を立ててしまうと、ビビリ野郎のあるにゃんはパニックになって走り出すので、こちらもじっと我慢の子である。
汗がダラダラ流れ出しながらも、身じろぎひとつせずにあるにゃんの様子を伺う。
あるにゃんは可愛いが、けっこう苦行である。
そしてついに、あるにゃんは、勇気を振り絞って、バスタブの縁によじ登った。
湯船に大量に湛えられているお湯に興味を示したようだ。
縁に座って、首を伸ばしてお湯を舐めようとしている。
今日は、花王のバブが入っているのであんまり舐めて欲しくは無いのだが、そこは彼女の勇気と胃腸の頑強さを試す意味でほうっておいてみた。
あるにゃんは、一口舐めるなり、ぶるっと顔を振るった。
バブ(森の香り)がまずかったせいなのか、”猫舌”のせいなのかはよくわからんが、とにかく彼女の予想を裏切るような水だったようだ。
それでも、2回舐めて飲んでいた。
それでも、お風呂は気に入った様子。
そのまま「箱座り」になって、まったりしていた。
あるにゃんの「お風呂トレーニング」は、今日はここまで。
少しずつ慣らしていって、いつか一緒に湯船に浸かるところまでいけないかと、密かに期待している。
ちゃんとお風呂に入れるようになったら、
「お客さん、こういうところは初めて?」
とかの、定番セリフを覚えさせて、世界初の「ソープ・ニャンド」とかを作ろうかと、ちょっとイケない妄想とかしてしまった。