女の子とデート(デート?デートなのか!?)の途中で、性の話をした。
しかも、僕の車で、ラブホテルのそばを通過していた時のことである。
ところで、もう何年も前に読んで、何が書いてあったのかほとんど覚えていない(ていうか、全部読んだのかどうかも定かではない)本に、宇沢弘文「経済学の考え方
冒頭で、経済学は「暖かい心と冷たい頭脳」を有する学問だと書いてあった。
この部分だけは今でも忘れないで、学者の端くれとしていつも心に留めておくようにしている。
とかく経済学といえば、”いかに他人を出し抜いて自分が得をするか”に関する学問だと思いがちなわけだ。
しかし、宇沢は
・・・経済現象を理解するという科学的、知的な努力であると同時に、すべての人々が同じようにゆたかな生活を営むことができるような状態をいかにして作り出すかという実践的な要請を持っている。
宇沢弘文「経済学の考え方」p.8
と、「暖かい心と冷たい頭脳」が車の両輪であると説いている。
このことは、多くの学問に関わる基本原理だろう。
いわゆる「エコロジー」とか「ロハス」とか「地球に優しい」の重要性が叫ばれているらしい昨今。
「バイオテクノロジー」とか「ゲノム解析」とか「クローン技術」がスゴイらしい現代。
一見、流行語を羅列しただけに思われそうで、実は生物学を「暖かい心と冷たい頭脳」に分類して挙げてみたわけで。
“暖かい心”派の人々(「地球に優しい」とか派)は、クローン技術とかを点に唾する悪魔の所業だと非難してるんですか?
“冷たい頭脳”派の人々(「クローン技術」とか派)は、地球に優しい生き方優先を偽善に過ぎないと黙殺してるんですか?
世事に疎い当方にはよーわからんのですが、なんかそういう不毛な論争に見えたり、見えなかったり。
「暖かい心と冷たい頭脳」の両方に目配りできる論客はいないんだろうか?
彼は日本を代表する動物行動学者で、ドーキンスのかの有名な「利己的な遺伝子
ドーキンスの本を訳しちゃったりするくらいだから、彼は「生物(ていうか遺伝子)は利己的に振舞う」という視点を持っている。
本書「春の数えかた」の中でも、ほのぼのとした印象を与える書名とイラストに反して、生物がいかに他個体/他種族を出し抜いて、生きているか(子孫を残しているか)を一貫して”冷たい頭脳”をもって語っている。
その一方で、小さい頃から野山歩きや昆虫採集が趣味であったという筆者。
やっぱりほのぼのとした印象を与える書名とイラストに沿うように、季節の移り変わりを日本の自然(特に植物と昆虫)に照らして”暖かい心”から随想している。
そんな筆者の二面性が見事に昇華されているのは、pp.140-155(「幻想の標語」および「人里とエコトーン」)にかけて記されている2編のエッセイ。
“冷たい頭脳” で生物を捕らえつつ、いかに我々の “暖かい心” を満たした自然環境を実現すべきかを提言している。
目からウロコだった。
最大の見所は、上記箇所であるが全36編の随筆は、日本(時折、海外のことも書かれてる)の原風景へのノスタルジーをかき立てるものや、生物学の理論的背景を説明するものなどがバランスよく配置されており、どっちの側面に興味を持つ人にも飽きさせない工夫がされている。
そんなわけで、冒頭の話に戻るわけだが。
“暖かい心” (ていうか、むしろ熱い心、というか、熱いナニ)で女の子と2人で「性の話」をすりゃあいいものを、
「オスのクジャクの羽って、立派じゃん?あれって、木に引っかかったり、敵に捕まりやすくなったりして、生存のためには不利だよね。”自然淘汰” の話と矛盾してるじゃん? 実は、生物を考えるときには自然淘汰だけじゃなくて、”性淘汰” という話もあって・・・」
と、”冷たい頭脳” で語りまくってしまい、ある意味大失敗してしまい、気がつけばラブホテルははるか後方で、周りに牛丼屋しかなかった、寂しいデート(デート?デートなのか!?)だったわけである。