ネットゲームが楽しい理由
山本・松井・開・梅田・安西「計算システムとのインタラクション –楽しさを促進する要因に関する考察」(1994. 認知科学, 1(1), 107-120) を読んでた。
#アブストラクトや、TeX、Postscript のソースが入手可能
実験参加者をコンピュータの前に座らせ、「しりとりゲームをしてください」という実験。相手の顔は見えないし、声も聞こえないし、チャットとかでおしゃべりもできない。
ていうか、実験参加者は自動応答するコンピュータ・プログラムを相手にゲームをやらされる。
ただし、実験参加者を2つの群に分け、
条件1: 「相手はコンピュータだ」と本当のことを教える
条件2: 「相手はネットで繋がった人間だ」とウソを教える
という操作を行った。
その結果、どちらの条件でも全く同じように動作するコンピュータ・プログラムを相手にしているにもかかわらず、「相手は人間」と教えられた方がより長い間しりとりゲームを続けた。
つまり、機械やコンピュータとインタラクション(相互作用)するよりも、生身の人間とインタラクションする(と思った)ことを人々は楽しいと感じるわけだ。
確かに、ファミコンで1人でドラクエをするよりも、多人数型RPGのUO(Ultima Online)とか、SWG(Starwars Galaxies)の方が楽しいわなぁ。
そして、UOなんかでは、コンピュータが操作するモンスターに殺されるよりも、生身の人間が操作するキャラクターに殺された方がドキドキするし、ムカツクわなぁ。でも、ムカツクけど、それがまた病み付きになるんだなぁ。
残念ながらこの論文では、「なぜ、生身の人間相手だと楽しくなるのか」という本質的な問に対する明確な回答は述べられていない。しかし、実験研究としては単純にして明解な点が評価できる。
さらに評価できる点を挙げるならば、研究の先見性。
この論文が出版された1994年といえば、市井にインターネットが普及する前の世界。
その時に、「ネットで人々が交流することは、どんな帰結をもたらすか?」という問題意識を立て、実験した先見の明に舌を巻いた。
インターネット前夜、表計算やワープロという「個人利用」のレベルでは、コンピュータは十分すぎる性能を持っていた。それにも関わらず、コンピュータはあまり普及してなかった。
ところが、インターネットの夜明けとともに、コンピュータはあっという間に世間に普及していった。人々がコンピュータに望む性能は、計算能力ではなく、他者とのインタラクションの補助だったんだなぁということが、15年前のこの論文ではっきりわかった(気になった)。
ところで、学術界に全く興味のない読者にとっても、
「著者の一番後ろにくっついている安西祐一郎は、後に慶應義塾大学の総長になった人だよ。今でも現役の総長だよ」
と言えば、ちょっとは興味が出るだろうか?
軽薄な著者紹介の歴史
で、論文自体も面白かったのだが、著者紹介の文章がまたブッ飛んでて笑えた。
「麻雀メーリングリストのメンバーである」とか、「全国各地を点々としている」とか、「”笑顔で楽しい研究”がモットー」だとか、他の学術雑誌ではあまり見かけないような、カジュアルな紹介文が掲載されていた。
#見出しには「軽薄」とネガティブな言葉を使ったけれど、僕はこういうの大好きだよ。力が抜けてていいじゃん。
これは、なんだろうか?
気になったので、
可能性1: 出来立ての雑誌だったので、サークルのノリが強かった
可能性2: 『認知科学』という雑誌のカラー
可能性3: この論文の著者らのみが独特
という、3つの可能性を考えた。
可能性1 の検討のためには、同時期のほかの論文を見ればよい。
1本前の論文を見てみると、かなりオカタイ。
しかし、バックナンバーが入手しづらく、これ以上の調査はできなかった。
そのため、同じ頃の他の論文はまだ調べていない。もし情報をお持ちの方がいらっしゃったら、教えて欲しい。
#家から早歩きすれば10分の距離にある国会図書館(関西館)に行けば入手できるだろうけど、僕の都合の良い時間に開いてないんだなぁ
可能性2 を検討するために、職場の図書館にある1999年のバックナンバーを見てみた。
カジュアルな紹介文が雑誌『認知科学』に特有の文化なら、いつの時代でもカジュアルな紹介文が出ているはずだ
で、その当時の著者紹介をパラパラと眺めたところ、いずれの著者もクソ真面目な紹介文を書いている。
となると、可能性3が濃厚かなぁ、よー知らんけど。
ちなみに、1999年の『認知科学』といえば、当blogのコメント欄にもよく書き込んでくれる某氏の論文が出ている頃と言えば、思い当たる人も多かろう。佐伯・山岸がエディターを務めたあの特集号だ。
翌年には、その某氏がカッコイイ巻頭言を書いていたりするわけだが。
#そして、スキャンダルでほぼ過去の人化してしまったアノ先生の名前とかも。
若気の至り
ところでさ、著者紹介文といえば、1999年のどっかの号の編集後記に、編集担当の人のグチが書いてあった。
ちょっと乱暴な口調で要約すると
「アレだけ口が酸っぱくなるほど “著者紹介文と写真を添えて最終原稿を送れ” と言っているのに、どいつもこいつも送って来やしねぇ。手間が増えてムカツクだけだから、紹介欄なんて無ければいいのに」
みたいな内容。
「記名で皮肉を言うなんて、アナタ勇気ありますねー」とか思いつつ、編集者の名前を見てみると、微妙に見覚えがあったり。
「それほどポピュラーな名前でもないのに、同姓同名がいるなんて珍しいねぇ」とか思いつつ、所属を見てみると、激しく見覚えがあったり。
つーか、僕の勤め先じゃん。
ていうか、それを書いた人、僕の直属の上司じゃん。
そんなところで、そんなことやって、そんなこと愚痴ってたんですね。
ちょっと親近感が増してみたり。
即座に図書館から引き返し、上司を捕まえ、自分が目にしてきたことをクチクチと問いただしたところ、彼は耳をほのかに赤くして
「だって、本当に誰も送ってこなかったんだもん・・・」
と、ちょっぴり弁明していた。
『認知科学』は奥が深い
そんなわけで、普段あまり真面目に読んでないけれど、『認知科学』はいろいろと面白い。
Interesting の意味でも、funnyの意味でも。
かなり強烈に「今さら!」というツッコミが入るだろうことは予想に難くないが、その誹りを甘んじて受けよう。