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俺と「ぼっこ」

本日、公衆の面前で当方が「ぼっこ」と発言したとの指摘を受けました。
非・北海道文化圏で不用意な発言をしてしまったと、深く反省しております。
「某氏のmixi日記を読みすぎたせいだ!」などと責任転嫁することなく、今後は自らの発言に注意し、大泉洋の尽力でここ数年はなんとなく全国的な市民権を獲得しつつある「なまら」などといった、わかりやすい北海道弁の使用に全力を尽くしていく所存であります。

「ぼっこ」とは、北海道弁で棒、棒切れなどをあらわす言葉である。
たとえば、「公園でうちのこどもがぼっこを拾った」とは、”公園でうちのこどもが棒切れを拾った” という意味である。同様に、ホテルの受付で「客室の電灯をつけるためには、カギについているぼっこを穴に差し込んでください」と言われたら、それは “客室の電灯をつけるためには、カギについているを穴に差し込んでください” と言われているに等しい。

なお、先のパラグラフで紹介した例文は、いずれも当方の某マイミクの人が、10月8日から18日ころにかけてmixi日記に記していた実例である。普段は、1ヶ月に1回日記を書くかどうかの彼が、どういうわけか今月は4つも日記を書いており、そのうちの半数が北海道弁に関する話題であり、しかも「ぼっこ」がらみの話であったことが当方の引き起こした事件の遠因になっているのではないかとも思えるのであるが、それをもって彼を非難するのは逆恨みも激しいと思われるので、当方はそのことを水に流すことにした。読者諸氏も、どうか彼を責めないでおいて欲しい。

彼の冤罪を晴らしたところで、いよいよ本日の事件の顛末を説明しよう。

今日の午前、奈良県内某大学において、講義をやっていたときに事件は起きた。
講義の中で三角測量の話題が出てきたのだが、その意味がわからない人がいるかもしれないので、わかりやすい例を一言で挙げることにした。

「よく、道路や工事現場で、ぼっこを持って立っている人と、それをスコープで覗いている人がいますよね。あれが三角測量をしている人たちです。」

本人は、そこで「ぼっこ」などと言った自覚はまったくなかった。
僕の講義に出ている学生さんたちは 反応が薄くて、理解してんだかしてないんだか、わかんねーヤツら 引っ込み思案で恥ずかしがり屋さんばかりなので、僕の説明が分かってもらえたのか、それとも、その単語のせいで理解を阻害してしまったのか、彼らの表情からは読み取ることができなかった。ただ、自分はこれ以上分かりやすい説明はないと信じきっていたので、まさか通じないことはないだろうと思っていたのだが。

講義が終わった後、ネイティブ・関西弁スピーカーなのだが、多少の北海道弁には理解のある人が
ぼっこ って言ったやろ~
と、ニヤニヤしながら言い寄ってきた。

当の本人である当方は無意識だった故
「そんなはずはない。自分は流暢な標準語を話すことができるし、公の場では常にそうするように心がけている。ぼっこなんて言ったはずがない」
と抗弁したのだが、三角測量のくだりで確かに言ったと具体的な箇所をあげられると、自信が音を立てて崩れた。

したっけ、もう、自分が公衆の面前で北海道弁を使わさったことを認めるしかないべさ。
次回からは、北海道弁をポロッと出してしまわないように、なまら注意するべな。

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