柳家喬太郎という落語家がスランプに陥ったそうだ。そんな時、落語会の催しで師弟の対談ショーが行われたという。師匠の柳家さん喬は、一番弟子でもある喬太郎を暖かく励まし、最後にこう付け足したそうだ。
弟子は師匠の名を残すことが出来る。おまえが立派になって、どこへ行っても「さん喬の弟子の喬太郎」と言われる。ありがたいことだ。師匠は弟子を大きくしてやることは出来ないが、弟子は師匠を育てることが出来るんだよ。
電車の中でモーニングを読んでいて、さっきまで「誰も寝てはならぬ」で頬を緩めていたはずの僕なのだけれど、思わずグッと来て、落涙しそうになった。
僕の指導教官だった人は、さん喬のように機転の利いた事の言える人ではないので(つーか、落語家と比較してはだめだよね)、彼があのようなセリフを言うことは絶対にないのだろうけれど、なんだか自分の指導教官に言われたような気がして。
ていうか、自分が師匠を大きくしているなどという、不遜なことは考えないだけのつつましさを僕は持ってるけど。
つーか反対に、自分が師匠の顔に泥を塗ってんじゃないかという不安には襲われたりもするけれど。
そんな感じで、グルグルぐるぐる考えながら帰ってきたら、封書が届いてた。
どこの神様のいたずらか知らんけれど、涙腺が決壊した。
・・・嬉しいよ。嬉しいんだけれど、どっかの神様のいたずらのせいで湿っぽくなってしまって、明日の準備が終わらねー。