【自由図書部門】にエントリー、『大奥』(よしながふみ)の読書感想文です。
この物語を端的に言い表せば、「男女逆転大奥」ということになります。
はい、わかります。あなた今こう思いましたね?なんだ、イケメン男たちが女将軍の寵愛を競う物語か。女が作者だし、きっと自分の願望をかいた妄想話なんでしょ。男同士がドロドロ嫉妬し合って、食べ物に毒を入れたり廊下でライバルをつき倒したりして、女が偉そうに男を選ぶ・・・俺はそんな話を好んで読むタイプじゃないんだよ、と。わかります。ですが、これはそんな物語ではありません。
舞台は江戸時代。男子にのみ罹患する伝染病によって、日本の人口の男女比は一対四にまでなってしまいました。伝染病なので、あまり男を外に出すわけにはいかない。家に置いて大事に育てなければいけない。そのため、女が働き手の役割を一手に担っています。女が買われるのではなく、男が買われます。快楽のためにではなく、子作りのために。大奥だけではなく、社会全体として男女の役割が逆転しているのです。しかし、そこにあるのは単純な逆転ではなく、男女の肉体的・精神的な違いを反映した「逆転」です。
しかし、それにしても。それなら、なんで将軍が男なわけ?女将軍に大奥が必要な理由もわからない。いくら男を集めたってたくさん子どもができるわけでないし、無駄じゃん。そんな読者の不満は、物語中で徐々に解消されていきます。うーん、これなら将軍職に女がいても仕方ないのかもしれない・・・、あっそうか、この場合には男を集めた大奥は確かに必要だな――そう思うようになれば、あなたはもう物語の中にとりこまれていると言っていいでしょう。鎖国も、生類憐みの令も、「女将軍だから」起こったことだと思えてきます。細かいエピソードの積み重ねによる説得力に、これが史実だったのではないかという錯覚すら覚えるようになります。それは、ひとつには、きちんと資料を精査したと思われる、史実を巧妙にからめた重厚なストーリーテリングのおかげでしょう。当たり前ですが必ずしも史実通りではないため、このエピソードをこう扱うか!と、何度も唸らされました。一巻で吉宗が大奥の美男子どころを市井に返したあたりには、初っ端からやられました。そりゃないっすよ、吉宗さん!
話は変わりますが、龍馬伝、人気ですね。龍馬の歩んだ軌跡は、ほとんど正確に日単位でわかっているそうです。それなら、年表だけ眺めていれば十分ではないでしょうか。何月何日、龍馬はどこそこに行きました。それで彼の行動は十分にわかるはずです。わざわざドラマで再現されたものを見ることに、どんな面白みがあるというのでしょう。私の見たてによると、その理由は、登場人物の心情描写と、それによる登場人物の動機づけの明確化にあります。そうか、ここでこう考えたからこんな行動をとったのだな。あの政策はこんな背景があって生み出されたのか。たとえそれが事実ではないと知っていても、それがあるから面白い。「大奥」では、先述したように、皆が知っているエピソードを男女逆転状況と絶妙に関連させるテクニックが誠に素晴らしいのですが、そこに非常にきめ細かい心情描写が加わることにより、さまざまな史実の「背景」がリアルに浮かび上がってきます。現実感たっぷりです。
しかし、そんなことよりも、心理描写、それだけで、ものすごく、面白い。大奥なんてただでさえ偏った世界なのに、男女が逆転して何も起こらないはずがありません。登場人物は、それぞれが、自分の業と、どうにもならない運命を受け容れて生きていきます。それはそれぞれの性別のせいでもあるし、時代のせいでもあるし、自らの職責のためでも、持って生まれた性質のためでもあります。
たとえば、二巻からその生涯を描かれる家光は、伝染病が流行り始めた直後の将軍であるため、前時代の価値観を引きずりながらも新しい時代に適応させられてゆくしかありませんでした。彼女は、聡明で情が深い分だけ苦しみ、絶望し、やがてすべてを諦めて自らの職を全うしていきます。彼女を支えたお万の方(男)も、無理やり僧から還俗させられ、やがて彼女を愛するようになりながらも、思うようにならない運命に翻弄されます。僧として高潔に生きていたはずの自分と、醜い感情に支配されてしまう現実の自分。そのギャップに悩みながらも、本当はもっと感情に支配されてしまえれば楽なのに、とも思う――。彼は苦しんだ末、いくつかの大きな決断を下します。読みながら,彼の決断に「どうして!」と思いつつも,「そうか,こういう決断をしたか,仕方ないよな」とも同時に思わされました。
納得のゆく男女逆転を描きながら、同時に男女の逆転できなさを描く。特殊で普遍的な物語です。