主人公アントワーヌ・アラカンは25歳。生物学の学士号、アラム語の修士号、サム・ペキンパー映画論などをはじめとする多くの学位を持つ秀才である。彼の主治医に言わせれば「優秀で、知的で、教養があって、好奇心が旺盛で、ちょっと変わった存在、人なつっこくて、愉快で、少し散漫なところがあって、優柔不断、そしてやや心配症」な人物である。
現在は、パリ第5大学で非常勤講師を行いながら慎ましく暮らしている。そして、知的労働者によくあるように、少々厭世的で鬱傾向がある。
さて、博学な彼は、世界は必ず2つに分類することができるという、文化人類学的知見も披露してくれる。曰く、紅茶に砂糖を入れる人と入れない人、シャツをズボンから出して着る人と中に突っ込んで着る人、ザ・シンプソンズがいいと思う人とサウスパークの方が好きだという人、などなど。
なるほど。その伝でいけば、世の中は John Lennon に憧れる人と Paul MaCartney に憧れる人に分けられることを僕は知っている。
#念のために書いておくけれど、the Beatles の中心人物のふたりだよ。
僕は断然、John 派だ。
Paul のバラードの美しさ(”Yesterday”, “Let it be”, “the long and winding load”, “Here, there and everywhere”, “I will” など)は認めるし、ロックンロールのスタンダードを作り上げた実力(”I saw her standing there”, “Sgt. Pepper’s lonely hearts club band”, “Can’t buy me love” など)も立派だ。1942年生まれの彼が、2010年になっても精力的に第一線でステージをこなしているのもスゲぇと思う(日本の著名人でいえば、小泉純一郎、小沢一郎、松方弘樹、ささきいさお、俺の実父あたりと同い年だ)。
それに比べて、John は20年前に死んでいる(事件に巻き込まれて射殺されたわけだが)。
曲もどこかドンくさいし、ツウ好みっぽいものが多い(”Revolution 9″を筆頭に “Lucy in the sky with diamond”, “Yer Blues”, “Come together” など)。ビートルズ解散後の曲は “Imagine” だけはどういうわけか超有名だけれど、そのほかはどうもぱっとしない。
暇さえあれば “Oh Yoko!”なんて歌ってるし(夜中に 妻 Yoko Ono の名前をつい呼んでしまいたくなるとかいう歌)。とほほである。
生活もどこか破天荒なところがあった。
池もあるような広大な邸宅をイギリスに持っていながら、自由を求めたのか何なのか知らんけど、ニューヨークの手狭なアパート(それでも、僕らの住んでいる家よりはよほどデカいんだろうけれど)に引っ越しちゃったりするし。グリーンカードを取ろうとしても、過去にドラッグやってたりしたこともあって、移民局とかなり揉めたらしいし。ベトナム戦争に反対するなど政治活動も活発に行っていたようだ。
しかし、そんな不器用な人生の John に憧れるわけです。昭和の少女漫画のヒロインがクラスの不良少年に初恋しちゃうように、男の子なら一度は John のピースフルなんだけれどアウトローな生き方に憧れちゃうわけです。
You gotta live, you gotta love,
You gotta be somebody, you gotta shove.
But you know it’s so hard, it’s really hard.
Sometime I feel like going down.
「僕らは生きていかなきゃならないし、誰かを愛さなきゃいけないし、一角の人物にならなきゃいけないし、無理しなきゃならないし。ほんと、シンドイこっちゃ。ときどき落ち込んじゃうよ」
僕も、精神的に参ると、よくこの歌を口ずさんでしまう。
話を小説に戻そう。
主人公アントワーヌは頭がよかった。なまじ頭が良かったせいで、世の中の矛盾や偽善が透けて見えてしまい、生きにくい。John Lennon の “It’s so hard” のような心境に陥ってしまうのだ。
彼は普通の人に比べればかなり風変りではあるが、高潔な生き方をしていた。しかし、高潔な生き方は同時に常識はずれな生き方である。そのため、彼は疲弊してしまったのだ。
バカになれば(高潔さを捨てて、世間並の生活をするようになれば)、楽に生きられると思い実行に移した。
要するに、彼が「バカ」になろうと悪戦苦闘する過程が記された小説だ。
ただし、そのやり方が普通じゃない。常識的な生き方を獲得する方法が、常識はずれでバカバカしく、そこを味わうべき作品。
John Lennon の妻 Yoko Ono は昔も今も風変りな女性として有名。
この小説にも、少々風変りな女性が登場する。その禅問答のようなやり取りは、まるで John & Yoko のようだと思った。