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原由子「イロイロのパー」

原由子のアルバム『MOTHER』(1991)をレンタルして聞いている。

ご存知の通り、原由子はサザンオールスターズのメンバーで桑田佳祐の妻。Wikipediaの記述によれば、本作は原由子が出産を経て活動を再開した後に初めて出したアルバムであり、桑田佳祐がプロデュースしたものであるという。

実は僕は、サザンオールスターズには縁遠い。彼らの歌はほとんど聞いたことがない。それでも、さすがにヒット曲くらいは知っていて、聞けばサザンの曲だと同定することはできる。「勝手にシンドバッド」とか「みんなのうた」とか「マンピーのG★SPOT」とか、桑田の「すべての歌に懺悔しな!!」とか。あと、「いとしのエリー」はカラオケで歌ったこともある。知人のえりちゃんのことが大好きだし。

国民的バンドと言っても過言ではないサザンオールスターズなのに、なぜ僕は縁遠かったのか。理由は割とはっきりしていて、僕の幼少時の話だ。僕の父が「こいつらは低俗だ」と言っていた。テレビに映るとチャンネルを変えろと騒ぎ立てるほど毛嫌いしていた。その様子がなんとなく脳裏に焼き付いていて、僕にとってサザンがタブーになったのだと思う。知人のえりちゃんに言わせれば、僕は「永遠の反抗期」のまっただ中にあるほど両親とはことごとく対立してきたわけだが、どういうわけかサザンに対する印象だけは合致していたわけである。あな恐ろしや、三つ子の魂。

さて。
先日、僕は朝倉かすみ『幸福な日々があります』を読んでいた。結婚10年目で、特に諍いのあるわけでもない、傍から見れば円満な夫婦であるにもかかわらず、妻が一方的に離婚を切り出すというお話。新婚時代と現在の状況が交互に対比的に描かれ、妻の心境の変化と不変性が物語られるという小説。

この小説の中で、主人公である妻の思い出の曲として何度も出てくるのが原由子の「あじさいのうた」であった。ところが、僕はその歌をよく知らなかったので、主人公(と、筆者)が何をそんなにこの歌にこだわるのかさっぱり理解できなかった。そこで、小説は読み終わってしまったけれど、「あじさいのうた」が収録されているアルバム『MOTHER』を借りてきて復習をしたという次第。はたして、「あじさいのうた」は相手への愛情をゆっくりゆっくりと育んでいくような、それでいて欲しい物が結局手に入らずもどかしいような、しっとりとした歌であった。なるほど。
そして、サビの部分は確かにどこかで聞いた覚えのあるものだった。

そろそろ前置きを終える。そして、以下は性的な内容を含むことを注意喚起しておく。

原由子の『MOTHER』を聞いていて「イロイロのパー」という曲にギョッとした。その時、僕はこのアルバムを出勤途中の車の中でかけていた。聞くとはなしに聞いていて、いつもなら歌詞はほとんど意識しないのだが、この曲だけはじっと歌詞の意味を考えこんでしまった。1度再生が終わると、即座にリピートしてもう一回聞いた。
エロいのだ。

作詞・作曲は桑田佳祐。男女の性交をドギツイ言葉で歌いあげるというもの。内容はオゲレツなのに、原由子が澄んだ歌声で爽やかに歌うというギャップがますます卑猥さをかきたてている。自分の妻にエロソングを歌わせて発表するという桑田佳祐のノリにも感心する。これまで、20年近くも当方の女性卑猥ソングのナンバーワンを誇っていたYoko Ono “KISS KISS KISS” もついにその王座を明け渡す時がきたようだ。

僕が「イロイロのパー」で一番気に入っている歌詞は以下の部分。

天国が待っている Ah Ah Ah
泣きながら嬉しがる Ii Ii Ii
喉まで そびえて
奥まで とどけて

オーガズム感がハンパねぇ。

そして、特に気になるのが「喉まで そびえて」というフレーズ。「そびえる」をgoo 辞書で調べてみると、「山などが非常に高く立つ」という意味のほか、「ほっそりしている。すらりとしている。」という意味がある。ここから僕が想像する映像は、絶頂に達した女性が仰向けのままエビ反りになり、顎を上に突き出し、喉がピンと張って弧を描くイメージ(こちらのヨガのポーズの首と顎が比較的近い; エロ写真じゃないのでクリックしても大丈夫)。すげぇ気持ちよかったんだろうな、と。そのまま失神するくらいの絶頂に達したんだろうな、と。

ただ、同じ箇所から、別のイメージも浮かび上がってしまった。それは、ディープスロートなフェラチオをしている可能性。そびえているのは女性側ではなく、男性器である可能性。上記の通り、「そびえて」には「ほっそりしている」などと女性的な印象の意味もあるのだけれど、やはり第一義的には大きなものがそそり立つという印象であり、男性的なイメージだ。当然、男性でそそり立つと言えばペニスしかないわけで。それを「喉まで、奥まで届ける」というのは、もうディープスロートしかないだろう、と。

果たして、この一節は女性の喉や顎の様子を記述しているのか、フェラチオについて歌われているのか、はたまた別の状況を表現しているのか、僕にはよくわからない。もし分かる人がいたら教えて下さい。

あと、歌の最後に出てくる「産毛パリパリ」というのがどういう状況なのか、こちらも分かる人がいれば教えて下さい。

なお、「イロイロのパー」の歌詞と試聴はこちら

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