4章からなる作品群のいずれも全く同じ書き出しで始まる。
一部には「同じ話を何度も読ませるなんて詐欺だ。しかも、あちこちコピペの痕が見えまくり。金返せ」と憤る人々もいるかもしれない。
確かに、主人公がパラレルワールド・ネタに巻き込まれ、どれが本当の自分なのか分からなくなってしまうという題材は、ある意味、手垢がつきまくっていると言っても過言ではない。
しかし、僕はパラレルワールド・ネタが嫌いではない。
様式が決まっているからこそ、作り手の個性や構成の妙が際立つわけで、読み手としては作者の力量を楽しむことができるから。
最近では、映画「ヱヴァンゲリヲン」が旧TVシリーズとの対比の下、パラレルワールドを描こうという意欲を見せていて、かなり注目している僕がいるし。
実際、映画も満足して見たし。
ただし、平成以降のガンダムの百花繚乱ぶりは苦々しく思っている。
ターンAガンダムにおいて、富野が全てのガンダムの世界を一つの世界観の中に組み込む離れ技を見せてくれたが、その後、むしろターンAの方がなかったことにされていて、もうガンダムOOとか全然見る気がない。
閑話休題。
「四畳半神話体系」の古典的パラレルワールド・ネタでは、いったいどこが楽しめたか。
それは、まさしく森見のお家芸でもあるのだが、そのムダに格調高くてレトロな文体である。
大学三回生の春までの二年間を思い返してみて、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとく外し、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ってきたのは、なにゆえであるか。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
このフレーズが本書の中で4回も繰り返される。
そして、4回とも爆笑してしまう僕がいる。
これだけで楽しい。
ただ、一部には「仏の顔も三度までと言うではないか。四度も繰り返すのは、なにゆえであるか。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。」と憤る人々もいるかもしれない。
確かに、僕も3章を読み終わった時点で
「これがもう一回続くのか。さすがに我慢強い俺でも、さすがにマンネリ化してきたな・・・」
と思わざるを得なかった。
そう思わせたところで、ちゃんとオチをつけてくれる森見のサービス精神よ。
最終章では、それまでの3章を俯瞰し、メタ視点からパラレルワールドを展開している。
全章を通じて、奇想天外な森見ワールドなので、その中で起きる奇妙奇天烈な出来事の因果関係を一々気にしても仕方がない。
だから、気にしないで読んでいたのだが、
「なんで、そんなに大量に蛾が出てくるの?」
と、さすがの僕もちょっぴり気になって仕方がなかった。
その理由が、最終章できちんと説明されている、妙。
森見登美彦は、相変わらず当方のツボを抑えてくれる。
オモロイ作家である。
さらに言えば、彼の作品は全てがどこかしら繋がっていて、どこかしらパラレルワールドの様相を呈している。
「四畳半神話体系」は、これのみに閉じているのではなく、森見作品全体のメタ作品になっていると思われる。
その点で、重要な1冊かもと思った。