朝倉かすみ『ともしびマーケット』

太宰治の『走れメロス』は面白い(青空文庫で読む)。
しかし、僕は長い間、その面白さの本質がなんなのかわからずモヤモヤしていた。中学生の読書感想文なら「友情とはなんて素晴らしいものなのでしょう」などと無難にまとめておけば国語のセンセーの覚えはめでたかろう。けれども、なんだかそれだけではないような気がしていた。

森見登美彦の『【新釈】走れメロス』のあとがきには以下のように書かれていた。

「走れメロス」は、作者自身が書いていて楽しくてしょうがないといった印象の、次へ次へと飛びついていくような文章。

それで僕ははたと膝を打った。確かに、太宰の『走れメロス』はまるで活字がひとりでに踊りだすかのような迫力と躍動感がある。それが『走れメロス』の面白さの本質なんだと理解した。

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カミカラとペンギン・ハイウェイ

紀伊國屋書店での実演販売 阪急梅田の紀伊國屋書店で面白いものが実演販売されていた。

 ぺっちゃんこの紙細工を机に向かって放り投げる。それが机にぶつかると、ぶわんとペンギンのペーパークラフトに変化するのだ。
 思わず童心に返って、しばし眺めてしまった。

 「カミカラ」という商品とのこと。

 言葉では伝わりにくいので、動画でご覧ください。

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佐山尚一『熱帯』 と 森見登美彦『熱帯』

 エイプリル・フールでもないのに、amazon.co.jp が森見登美彦と組んで壮大なネタを仕掛けている模様。

 amazon の文学・評論のページから、右にある「MATOGROSSO(マトグロッソ)」のバナーリンクをたどって欲しい。
 直接リンクを張れないようになっているのが残念であり、腹立たしい。マトグロッソ配下のページにダイレクトにアクセスすると、必ず「文芸・評論」のページに戻されるようになっているのだ。しかも、RSS feed を提供しているのに、RSSリーダーからのアクセスも遮断するというトンチキぶりに激しく目眩がした。

MATOGROSSO

 かなり気に入らないところもあるが、「Amazon.co.jp だけで読める Web文芸誌 マトグロッソ」という自信満々のコピーに偽りはない。売れっ子小説家の伊坂幸太郎や、漫画界の大御所である萩尾望都のSF小説なども読める。どんな作家と作品が掲載しているか、アクセスは面倒だが、一度ご覧になってみることをお薦めする。


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『宵山万華鏡』読了

本日読了。
京都の祇園祭の期間中、毎年7月16日に行われる宵山(山鉾巡行の前夜祭)の一日をめぐるオムニバス。6編のストーリーには、それぞれ異なる狂言回しが存在するが、舞台も登場人物もオーバーラップしている。1話ずつ読んでも短編としてまとまっているし、全篇を貫く「幻想世界のふしぎ」も森見登美彦らしい世界観でぐっとひきこまれる。

3本目「宵山劇場」では、僕の大好きな小説『夜は短し歩けよ乙女』の名もなき登場人物の後日談が語られていて、旧作ファンへのサービスも抜かりない。京都市内が舞台というのは森見の定番だが、達磨だの鯉だのといった小道具も『・・・乙女』とオーバーラップし、なかなか微笑ましい。

あとびっくりしたのが、登場人物が京ことばをしゃべっていた。
京都が舞台なんだから、あたりまえじゃないか
とおっしゃる方もいるかもしれないが、僕の記憶する限り森見作品の登場人物は、京都人であっても標準語を話していたと思う。たったそれだけのことで、新鮮な作風に見えてしまった。

表紙もキラキラ☆していてきれいなことは報告済み
当方は祇園祭に一度も行ったことがないのだが、今年は出かけてみたいと思わされたりと、いろんな方面から楽しめる1冊だった。

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『宵山万華鏡』(森見登美彦)の表紙に慰められた

わけあって、今夜はものすごく緊張している。
この緊張感は、たぶん明日の夕方までずーっと続く。あー、やだやだ。

会社帰り、車を運転しながら、本当にどこかへ逃亡して消えてしまおうかと思ったくらいだ。
もちろん、全てを捨て失踪するだけの勇気もない当方なので、深いため息を付きながら結局家に帰り着いたが。

ポストを覗くと、通販で注文していた森見登美彦の新刊『宵山万華鏡』が届いていた。

「何もこんな最悪な気分な時に届かなくても・・・」
と悪態をつきながら開封した。

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森見登美彦が結婚したらしいよ

当blogにコメントを残してくれた(ご本人だと信じている)こともある小説家・森見登美彦氏が結婚したらしい。

2009-01-06 – この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ

森見登美彦氏は、二○○九年一月六日(生誕三十周年記念祭日)をもって独身貴族の地位を引責辞任し、ひよこ豆のように小さな嫁を迎え、ひよこ豆のように小さな家庭を作ることになった。

なんだかここ数日、日記の中で話の見えない竹林ネタが続くなぁと思っていたのだが、そういうオチか。

おめでとうございます。

『夜は短し歩けよ乙女』文庫版の解説は羽海野チカ

当方の大好きな小説、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』の文庫本が発売された。

本屋で眺めてみたところ、解説を羽海野チカが描いていた。「書いていた」じゃなくて「描いていた」。
羽海野チカが、同書の見所をイラストで描きあげていた。可愛かった。

特に、緋鯉のぬいぐるみを背負って、二足歩行ロボットのステップの図。
#・・・があったと思う、確か。

家に単行本は持っているのだが、この解説(正しくは「解説にかえて」だっけな?)のためだけに、文庫買ってもいいかもと思っていたり、いなかったり。

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「四畳半神話体系」森見登美彦

森見登美彦お得意の丸太町界隈を舞台に、大学生活の2年間を「実益のあることなど何一つしていない」 “私” がパラレルワールドに迷い込んでしまって難儀する話。

4章からなる作品群のいずれも全く同じ書き出しで始まる。
一部には「同じ話を何度も読ませるなんて詐欺だ。しかも、あちこちコピペの痕が見えまくり。金返せ」と憤る人々もいるかもしれない。
確かに、主人公がパラレルワールド・ネタに巻き込まれ、どれが本当の自分なのか分からなくなってしまうという題材は、ある意味、手垢がつきまくっていると言っても過言ではない。

しかし、僕はパラレルワールド・ネタが嫌いではない。
様式が決まっているからこそ、作り手の個性や構成の妙が際立つわけで、読み手としては作者の力量を楽しむことができるから。

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木公、人の傷口に塩を塗りつける。

丸くなって寝ているあるむ他人が「なかったことにしておきたい」と思っていることをほじくり返してはいけないと木公は思っているけれども、だがしかし、森見登美彦という人物のコメントが深い意味を持っていると思うので、今回だけ、何か言わせてくれ!と丸くなって寝ているあるむの静止を振り切る。

一度載せた記事を引っ込めるというのは反則だとは思いますが、冷静になってみると自分がブログでやろうとしていたことではないと反省しましたので、ブログの記事を削除させてもらいました。トラックバックを頂きながら勝手に記事を消してしまって申し訳ありません。拙著、お読み頂きありがとうございます。

木公は以下のように述べている。

「『ブログの記事を削除させてもらいました。』、これはいい。『一度載せた記事を引っ込めるというのは反則だとは思います』、これも事実なのだと思う。『冷静になってみると自分がブログでやろうとしていたことではないと反省しました』、これも書き手の感想だから文句の言える筋合いではない。『トラックバックを頂きながら勝手に記事を消してしまって申し訳ありません』は、自分のブログを読んでくれた人の謝罪であれば、よく分かる。『拙著、お読み頂きありがとうございます』というのは、つねに登美彦氏の作品を繰り返し読んでいる自分にとっては、ご本人に頂いた言葉として、とてもいい」

木公はどきどきする。

「だが、先に書いた自分の記事までも削除する必要はあるだろうか。あの記事は『出生地や性別、人種など、自分の努力ではどうしようもないことを引き合いに出して批判することは、非人道的である』という登美彦氏の深いメッセージに共感したから書いたものである。苫小牧で育った人間は、北海道から出てくるなといわれたら、木公も困る。もちろん北海道をどこよりも愛しているが、今の生活の基盤は奈良なので奈良県民としての矜持も持っているし、京都府精華町に居を移して4年でこの街をとても気に入っている。登美彦氏の作品の舞台となっている丸太町界隈も、自分の第5の故郷のような愛着を持っている。こんな僕が『道民が天下一品で食事をするなど(生意気である。したがって)故郷の満龍でバターコーンラーメンを食べればよいものを』ということを言われたら悲しい。繰り返しになるが、出生や性別など、自分の力では変えられないものをもって人を差別するのは、現代人の倫理に反している。そのメッセージが込められていると信じて疑わないので、先の自分のエントリーは削除しないし、登見彦氏が削除した記事から引用した文章もそのままにしておく。いいよね?いいよね?」

登美彦氏、抗議する。

ありがたいことに、5日ほど渡米なるものをさせていただいておりました。

その間、11日に行われたWBC世界フライ級タイトルマッチ 内藤大助 vs 亀田大毅 がいろいろと香ばしいことになっていたようで。
ボクシングそのものよりも、舌戦の泥沼の方が注目を集めているとか、いないとか。
ボクシングの試合では内藤の圧勝だったようですが、舌戦においても、口下手とはいえ内藤の”オトナの対応”が好感をもって受け入れられているようですね。

そんな中、さきほど帰宅して、大好きな作家であるところの森見登美彦のブログ “この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ“でも、プチ Amazon 場外乱闘が発生していることを知る。

だが、『奈良県民が京都を舞台に描くなど故郷の奈良山へ戻ればいいものを』というのはどういうことだ。この一節は『奈良県民が京都を舞台に描くなど(生意気である。したがって)故郷の奈良山へ戻ればいいものを』ということではないか。奈良に生まれた人間は、奈良から出てくるなということか。腹の内でそう思っている人もいるだろうが、しかし、よくもまあ!よくもまあ!
登美彦氏、抗議する。

(リンク先削除済み)

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