他人が「なかったことにしておきたい」と思っていることをほじくり返してはいけないと木公は思っているけれども、だがしかし、森見登美彦という人物のコメントが深い意味を持っていると思うので、今回だけ、何か言わせてくれ!と丸くなって寝ているあるむの静止を振り切る。
一度載せた記事を引っ込めるというのは反則だとは思いますが、冷静になってみると自分がブログでやろうとしていたことではないと反省しましたので、ブログの記事を削除させてもらいました。トラックバックを頂きながら勝手に記事を消してしまって申し訳ありません。拙著、お読み頂きありがとうございます。
木公は以下のように述べている。
「『ブログの記事を削除させてもらいました。』、これはいい。『一度載せた記事を引っ込めるというのは反則だとは思います』、これも事実なのだと思う。『冷静になってみると自分がブログでやろうとしていたことではないと反省しました』、これも書き手の感想だから文句の言える筋合いではない。『トラックバックを頂きながら勝手に記事を消してしまって申し訳ありません』は、自分のブログを読んでくれた人の謝罪であれば、よく分かる。『拙著、お読み頂きありがとうございます』というのは、つねに登美彦氏の作品を繰り返し読んでいる自分にとっては、ご本人に頂いた言葉として、とてもいい」
木公はどきどきする。
「だが、先に書いた自分の記事までも削除する必要はあるだろうか。あの記事は『出生地や性別、人種など、自分の努力ではどうしようもないことを引き合いに出して批判することは、非人道的である』という登美彦氏の深いメッセージに共感したから書いたものである。苫小牧で育った人間は、北海道から出てくるなといわれたら、木公も困る。もちろん北海道をどこよりも愛しているが、今の生活の基盤は奈良なので奈良県民としての矜持も持っているし、京都府精華町に居を移して4年でこの街をとても気に入っている。登美彦氏の作品の舞台となっている丸太町界隈も、自分の第5の故郷のような愛着を持っている。こんな僕が『道民が天下一品で食事をするなど(生意気である。したがって)故郷の満龍でバターコーンラーメンを食べればよいものを』ということを言われたら悲しい。繰り返しになるが、出生や性別など、自分の力では変えられないものをもって人を差別するのは、現代人の倫理に反している。そのメッセージが込められていると信じて疑わないので、先の自分のエントリーは削除しないし、登見彦氏が削除した記事から引用した文章もそのままにしておく。いいよね?いいよね?」