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『アルジャーノンに花束を』を読みました

 @kaihiraishi さんわ『アルジャーノンに花束を』をYOまないと人せいをそんするといった。ぼくわそんをするのわいやだなーとおもたから一しょうけんめいYOんでみることにしました。

 しん太さんは、しゅ人公の名まえがわからないと言っていたので、僕がおしえてあげたいと思う。主人公の名前はチャーリイ・ゴードンです。ちえ遅れのチャーリイは頭がよくなりたいと思って、頭のよくなる手じゅつをうけました。世界初の手じゅつなので、成功するかどうかだれにもわかりませんでした。けれども、手じゅつは成功しました。


 自分で自分に知能障害があることを理解していたチャーリイは、手術を受けないと人生を損すると思っていたのだ。手術によって高い知能を獲得すれば、自分の将来は明るく幸せなものになると信じて疑わなかった。
 しかし、彼は必ずしも幸福にはなれなかった。

 同書を未読の人でも知っている通り、実験は失敗に終わり、チャーリイは元の白痴青年に戻ってしまう。ただし、早とちりしないで欲しいことは、この物語においては、彼が元の知能に戻ってしまうことが不幸なのではない。
 知能を獲得する代償としてチャーリイが支払うことになったものを、彼自身はもちろん、科学者も友達も、さらには読者すらも事前には予期できなかった。彼の支払った大きな代償が僕らの心を打つ。

 元の知能に戻り、彼はその代償を取り戻すことができたのか?できたと解釈する人がいるだろうし、すんでのところで逃してしまったと解釈する人もいるだろう。別の人は、新たな代替品を獲得したから本人は幸せになったに違いないと考えるかもしれない。

 今後の主人公の人生を想像するにつけ、胸が締め付けられるような気がする。

 
 @kaihiraishi さんが読書感想文に書いた通り、この本を読んだことで人生の損を取り戻したように思う。一方で、知能を手に入れて予期せぬ代償を支払ったチャーリイのように、僕も本書を読んで代償を支払ったような気がする。心にしみる感動的ストーリーではあるが、一方で読み終わったときにモヤモヤとした澱のようなものが心の底に残る。

 ぼくわ弱しゃのことをだいじにあつかおーとしてぎゃくにかれらのそんげんをそこなうよーなことをしたことがあるかもしれない。そのことにきずいてはづかしくなった。チャーリイがり口になるまえとあとでぱん屋の中またちとのかんけいがどうなったかかんがえてみよう。
 あとこの小せつの中にわ象げのとうのじゅう人たちへのひにくがいぱい書いてある。つごうのわるいしつ問にはせん門がいだといってにげたり、じぶんだけのきょうみかんしんの研きゅうをすすめるためにスポンサーをきべんでけむにまいたり、か学しゃのこっけいなメンツだとか。1960年だいにかかれた本なのにいまでもあんまりかわてなくてわらた。

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