7月の「東海道五十三クリング」では、京都・三条大橋にゴールした後、冷房を求めて電車に乗った。三条京阪から京橋(大阪)までを往復した。
その日は、祇園祭の宵山であった。1年でもっとも京都が混雑する日と言われている(おかげで、僕は京都に宿を取れず、神奈川の自宅までとんぼ返りしたのだ)。
大阪から京都へ戻る電車は、宵山の見物客と思しき乗客で混雑した。それでも、僕は運良く座席に座ることができた。京阪特急の4人がけボックスの窓際だった。
僕と前後して乗り込んだのは、男女3人ずつの若いグループだった。合同デート(デート?デートなのか!?)のような感じで楽しそうだった。彼らはまとまった座席を確保することはできなかったが、男女組みになって分散することで全員座ることができたようだ。
僕の座る4人がけボックスにも、その中の1組がやって来た。年の頃は、高校生か大学生くらいに見えた。男の子は少々うつむき加減で、他のメンバーに比べてあまり楽んでいるようには見えなかった。グループの中のリーダー格っぽい快活な女の子が、別の女の子を呼び寄せて彼のそばに座らせた。
この女の子は、色白ベビーファイスでかわいらしい夏服を来ていた。はっきり言って、僕好みの女の子だった。目が釘付けになった。暗い雰囲気の彼に代わって、俺が彼女のお相手をしたい、強くそう思った。
そういう思いもあって、根暗の彼とベビフェの彼女を横目で観察しまくった。彼らと目が合うと、空々しく外を眺めたりしたが、耳だけは常にそばだてていた。
男女同数のグループで、それぞれが恋人同士なのかと思ったのだが、明らかにこのふたりは雰囲気が違う。知人同士という間柄のようだ。しかも、話のきっかけを見つけるのにも苦労するような関係らしい。
黙ってばかりいるのも息苦しそうだった。しばらくして、ベビーフェイスの女の子がポツリポツリと話をしはじめた。
どうやら、彼らは大学時代のゼミ仲間か何からしい。卒業後、それぞれ就職したが、久しぶりに集まったという風であった。言葉は標準語だった。同窓会を兼ねた大阪・京都旅行に来ているものと思われた。
僕がショックだったのは、その女の子には彼氏がいるという話だった。しかも、同じ職場の相手だという。お泊りもしているのだが、職場の仲間には一切秘密にしているのだと話していた。
僕は悔しかった。こんなかわいい女の子に彼氏がいるなんて。しかも、お泊りまでしてるなんて!さらに、周囲に秘密にしている恋愛というのは、より一層燃え上がるものだ(と思う)。こんなにかわいい顔をしているのに、夜はどんだけしどけない姿を恋人にさらけ出してるんだよ!?などと思うと、ちょっと下半身が疼いたような、疼かなかったような(自転車旅行でジャージだったから、いろいろやばくて焦ったよ)。
彼女の赤裸々な告白にはとにかく驚かされた。電車の中でそこまで話しますか?実際、僕がこうして聞き耳を立てているのに。
確かに、旅先で、見知らぬ人々に囲まれたら多少大胆になるという気持ちもわからなくはない。彼らの地元と、今日ここで京阪に乗っている人々との接点はほぼ皆無だろう。ならば、多少きわどいことを言っても構わないのかもしれない。
しかし、だ。
その話をしている相手の男の子は、互いの素性をよく知っている相手だぞ。グループ旅行しているのだから、ここでの話を彼が他のメンバーに漏らしてしまったり、噂がどんどん広がっていったりすることを心配しないのだろうか?
しかも、この男の子は、他のメンバー(男の子も含め)から少し浮いている。あまり聞き上手な感じもしない。どちらかというと付き合いにくそうに見えるタイプだ。どうして彼にそこまで打ち明け話ができるんだろうか。
彼女は自分の話を一通り終えると、男の子の近況を質問した。特に、恋愛関係について集中的に聞いていた。
♂のコイバナには全くと言っていいほど興味のない当方なので、そのあたりで聞き耳をたてるのをやめ、「この女の子はどんな姿態で悶えるんだろうか?」なんて下衆なことを想像しながら、車窓に目を向けたりしていた。
だから、その男の子の話の細部はよくわからなかった。
しかし、彼にもちゃんと恋人がいること、その関係を職場に秘密にしつつ、かなり頻繁によろしくやっているらしいことがわかった。
へぇ~。ウブな顔してるくせに、なかなか遊んでやがるんだ。
ところが、なんと彼はゲイなのだという。彼がゲイだということは、ベビーフェイスの女の子も以前から知っていた様子。
そうか、これか。彼がなんとなく独特の雰囲気で、他のメンバーにどことなくヨソヨソしくしていた理由は。
そして同時に、彼女が性的な内容を赤裸々に異性に語った理由もわかったような気がする。ヘテロセクシャルの女性は、ゲイを女友達のようにみなし、女友達にするように話をすると聞いたことがあるような気がする。
そうか、そういうことか。
ゲイだという彼は、ボックス席でちょうど僕の隣に位置している。僕はついお尻の穴がムズムズして居住まいを正したが、その時は特に何事もなかった。
まぁ、そりゃそうだよな。異性愛者の僕が性的対象のカワイコちゃんが隣りに座ったからといってすぐにはちょっかい出さないのと同じように、同性愛者の彼が性的対象の♂が隣にいるからといってすぐに手を出すわけではないのだ。異性愛者に慎ましさがあるのと同じように、同性愛者にも当然慎ましさがあるのだろう。
#僕が彼にとって魅力的ではなかった可能性も否定できないが。
ゲイの彼は、学生時代の知人には自分の性癖を隠していなかったようだ。学生時代にはアメリカへの短期留学の経験もあり、そこではゲイコミュニティに参加してかなり楽しくやっていたらしい。
しかし、就職後は周囲には完全に秘匿しているとのこと。
「バレたら周囲との折り合いが悪くなって、絶対に会社にいられなくなる」
彼はそう言っていた。
今日、日本でもずいぶん同性愛に対する許容性は高まっていると僕は思っていたのだが、本人たちはまだ全然そんな風には思っていないようだ。
少し、胸が苦しくなった。彼の少しうつむき加減の姿勢が、彼の日常生活の苦しさを象徴しているように思われた。見ていてちょっぴりかわいそうだった。
「いつかは、キミが偏見なく受け入れられるような社会になるといいね。それまでつらいだろうけど、がんばれよ」
そう声をかけてやりたいと思った。けれど、それを言うべきかどうか逡巡した。興味本位のカラカイだと思われないようにするには、どういう風に話せばいいか思いつかなかった。
ボヤボヤしている間に京阪特急は祇園四条に到着した。彼らは降車してしまった。
そんな彼が、極少数の人にだけ自分の本心を打ち明ける。その相手がいずれも女子生徒だった。
『リバーズ・エッジ』は1993年に雑誌連載だというから、今から20年近く前に発表されたものだ。本作が同性愛者の生きにくさを問題提起したのをはじめ、(僕はちゃんと調べてないのでよー知らんけど)その間に同性愛を巡る境遇や権利はずいぶんと好転しているのだろうと信じていた。
でも、少なくとも、京阪電車に乗っていた彼の口ぶりでは、20年前とあんまり状況が変わってないようだ。
『リバーズ・エッジ』は、作者の代表作のひとつと言われているらしい。連載当時は主に女子高生あたりが読んでいたようだが、男女を問わず、青少年期の読者の少なくない支持を集めたらしい。よー知らんけど。
僕の勝手な予測では、読者の世代は現在の30-40代くらいなんじゃないかと思う(岡崎京子をネタにしているブログの書き手の推定年齢から当方が独自に割り出した)。この世代は、現在では会社やコミュニティの中堅どころとして活躍しているあたりだろう。
『リバーズ・エッジ』を読んで、同性愛者の悲哀について何か感じ取っていれば、自分の周りに同性愛者がいてもそれを受け入れるだけの度量はありそうなものなのに。
受け入れられる素地はありそうなものなのに、京阪の彼は「周囲に知られた大変なことになる」と思い込んでいる。この不整合はなんなんだ?
その答えは喉まで出かかっているような気がするが、実際にはよく分からない。よく分からないまま放置してよくない気もするが、そうせざるを得ないような気もする。
とても複雑な思いになる。
いずれにせよ、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』を読んだら、ふと行きずりのゲイ青年のことを思い出した。そして、何か言いたくなった。
追伸:
ついでに言えば、マンガ読んだり、ブログ書いたりしている(ついでに、ドラマ『砂の器』も観てしまったな)のは現実逃避の側面もある。関係各所にはいろいろとご迷惑をおかけすることになるかもしれません。この場を借りて、毎度のことながらお詫び申し上げます。