山瀬まみと岡崎京子の対談記事(1989年)

当方の宝箱(山瀬まみ関連のグッズをしまってある段ボール箱)を久しぶりにひっくり返していたら、CUTiE 1989年12月号が出てきた。CUTiEは今でも発行されており、個性的なファッションを主体にした若い女の子向けの雑誌らしい。

どうして僕がこの号を持っているのか、入手した経緯は覚えていない。ひとつには、ネットオークションで落札した可能性が考えられる。しかし、もっとありうることとしては、クラスの女の子からもらったものかもしれない。
当時、山瀬まみは正統派アイドルとしての活動に陰りが見え、バラドルになりかかっている頃だった。しかし、一直線にバラドルになるわけでもなく、「個性的なファッション・モデル」の道も模索しつつあった。そのため、女の子向けファッション雑誌によく出ていたのだ。僕のクラスメイトの女子たちが買うような雑誌にしばしば山瀬まみが掲載されていた。当時から山瀬好きで有名だった当方なので、よく女の子から雑誌のお下がりや切り抜きをもらっていたりした。
そのような経緯で所有しているのだと思う。

さて、この号の表紙は当方の大好きな山瀬まみ。
そして、目玉記事として「山瀬まみ: 日本一のおサイケ娘」というインタビュー記事が掲載されている。全3ページの記事で、トビラに山瀬のショットが2枚と見出し。次のページにインタビュー、最後のページに違う衣装のショットが3枚という構成。

インタビューページでは、若干20歳の山瀬まみがファッション遍歴について語っている。
そして、その聞き役が漫画家の岡崎京子だった。昔の僕は岡崎京子という人を知らなかったので、あまり気にしていなかった。しかし、今の僕は岡崎京子のことを多少知るようになったので、「えっ、元気にこんな仕事もしてたの!?」と驚いたわけである。

CUTiE の山瀬まみと岡崎京子の対談記事

山瀬まみと岡崎京子の対談記事


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岡崎京子『リバーズ・エッジ』

7月の「東海道五十三クリング」では、京都・三条大橋にゴールした後、冷房を求めて電車に乗った。三条京阪から京橋(大阪)までを往復した。

その日は、祇園祭の宵山であった。1年でもっとも京都が混雑する日と言われている(おかげで、僕は京都に宿を取れず、神奈川の自宅までとんぼ返りしたのだ)。

大阪から京都へ戻る電車は、宵山の見物客と思しき乗客で混雑した。それでも、僕は運良く座席に座ることができた。京阪特急の4人がけボックスの窓際だった。

僕と前後して乗り込んだのは、男女3人ずつの若いグループだった。合同デート(デート?デートなのか!?)のような感じで楽しそうだった。彼らはまとまった座席を確保することはできなかったが、男女組みになって分散することで全員座ることができたようだ。

僕の座る4人がけボックスにも、その中の1組がやって来た。年の頃は、高校生か大学生くらいに見えた。男の子は少々うつむき加減で、他のメンバーに比べてあまり楽んでいるようには見えなかった。グループの中のリーダー格っぽい快活な女の子が、別の女の子を呼び寄せて彼のそばに座らせた。

この女の子は、色白ベビーファイスでかわいらしい夏服を来ていた。はっきり言って、僕好みの女の子だった。目が釘付けになった。暗い雰囲気の彼に代わって、俺が彼女のお相手をしたい、強くそう思った。
そういう思いもあって、根暗の彼とベビフェの彼女を横目で観察しまくった。彼らと目が合うと、空々しく外を眺めたりしたが、耳だけは常にそばだてていた。
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岡崎京子『pink』

このマンガ、大好きです。
10年くらい前に人の家に置いてあって、エロい表紙に興味をひかれて手にとって、読んでみたら主人公が売春婦でエログロで血生臭く、そういう設定にもかかわらず、ロマンチックで微笑ましく、互いを慈しみ合うような愛ある男女の物語で、悲劇的な結末ではあるのだけれど前向きで、大好きなんです。

ハルヲくんのヘタレな独白も、いちいち好きです。
以下のふたつは、リアルに引用してつぶやいたことある、たぶん。

ももの缶づめはひんやり
のどに冷たく
熱のせいか
薬のせいか
何だかオレはこの部屋で
人生を台無しにしてもいいや
とゆう気になった

でもオレできないの
気が弱いから

気が弱いからさあ

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