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めっちゃかわいい母娘と杖

家に帰るため、大阪難波駅から近鉄に乗った。ここからは乗り換えを含めて40-50分の行程だ。車内は混雑というほどではなかったが、座席は全て埋まり、あちらこちらに立っている乗客がいた。

僕は運良く、ドア横の座席に着くことができた。乗換駅の大和西大寺まで快速急行の約30分間の安泰を得ることができた。

やれやれと安堵していると、ドアの前で話をしている女性の声が聞こえてきた。見ると、40歳代らしき母親と高校生らしき娘の二人連れだった。ふたりはミナミでショッピングを楽しんだ帰りのようだった。買い物袋を幾つか腕にぶら下げている。

参考図: 当時の車内の様子

娘は前から欲しかった「インヒールスニーカー」というものを買ったそうだ。僕は彼女らを盗み聞きしつつ、初めて耳にする「インヒールスニーカー」という単語に対して頭の中で疑問符をいくつも浮かべていた。それは母親にとっても同じだったらしい。娘は、買ったばかりのインヒールスニーカーを袋から出して母に説明している。なんでも、ヒールの高いスニーカーなのだが、靴の中が高く盛り上がっていて、外から見ると通常のスニーカーのシルエットのように見えるものらしい。
なお、amazon.co.jp で調べてみると、おそらく同じものだと思われる商品が見つかった。バンドの付いているのが特徴だったし。これの白だった。

僕は「それって、昔からあるシークレットブーツと同じじゃん!?」と突っ込みたかったのだけれど、いきなり話に参加するのも不審なのでニヤニヤしながら聞き耳を立てるに留めた。ちなみに、その娘は黒髪のロングヘアーで色白ベビーフェイス、上顎中切歯がとても大きかった。僕の好みの女の子のお手本のような女の子だった。

母親は、高校生くらいの娘がいるとは思えないほど若々しく、美人で、生活疲れしているようにも見えなかった。カジュアルな装いで、有名ブランド物というわけではなさそうだったが、上品な着こなしだった。フォーマルドレスを着ればよく映えそうな華やかな顔つきの人だった。基本的に僕のストライクゾーンを外れている造作なのだけれど、この人に言い寄られたら無下にはできないと思うだけの美人だった。

母親は明らかにファッションセンスの良い人だった。娘とふたりで週末のショッピングに行き、仲良く互いの試着に付き合い、見立てをし合っただろうことが想像された。世間で言う「友達のような親子」の典型例のようだった。
ファッションに詳しそうな母親だけれど、インヒールスニーカーのことはよく知らなかったようだ。娘の説明に聞き入っていた。その様子は、「最近の若い子の感性はわからないわ」と呆れているようでもあったし、娘と対等にファッションの話をできるのが楽しそうでもあった。

見ているこっちも愉快な気分になってきた。めっちゃかわいい母娘だったし。

母娘は立ったまま荷物を持っていたので大変そうだった。母親は1つの荷物を、娘は2つの荷物を持っていた。母は娘を気遣い、荷物を1つ肩代わりすることを申し出た。すると娘は、迷うことなく、大きくてかさばる方の荷物(中身はインヒールスニーカー)を差し出した。
母親は苦笑しながら
「年寄りを労るということを知らない子だ」
などと言っている。

僕はそこで思いっきり吹き出しそうになった。誰が見たって若く見える母親が、自分のことを年寄りなどというのだ。周りには、もっと高齢な乗客もいるのに。その母親より実年齢は下なのに、彼女より老けて見える乗客も何人かいる。彼女らを差し置いて、自分を年寄りだと言ってのける母親が可笑しくて。

僕は、このふたりをいい母娘だなと思った。さっきから話が面白いので、できれば友達になりたいと思った。ふたりと友達になることが無理なら、娘の方とお付き合いしたいと思った(なんてったって、当方のタイプのお手本だったし)。娘と交際することが難しいなら、ふたりが母子家庭だといいのにと願った。その上で、母親と再婚して家庭を持つのもやむ無しと思った。

内田春菊『ファザーファッカー』の父親みたいな生き方もアリかもしれないとチラリと思う。こんなに美人が妻で、あんなに可愛らしいティーンエイジャーが義理の娘になるなんて夢のようじゃないか。娘が急に反抗的になり、妻に「後ろの穴に入れようとしたんでしょ?」と言われる人生もまた乙かもしれない。

そんなことを瞬時に考えていたら、電車は大阪上本町に着いた。

いつものことだが、奈良方面に向かう電車では、大阪上本町で降りる人はあまりいない。むしろ、より多くの人が乗り込んでくる。今日もいつものパターンだった。

僕はさっきから、ドアの横に立っている娘を盗み見している。すると、彼女の背後に、杖をついた中年男性が乗り込んでくるのが見えた。杖を使うには若すぎるように見えたが(ちなみに、年齢の割に髪の毛が激減していた)、どうやら膝を悪くしているようだ。足を引きずりながら歩いている。

僕の座っている位置から、ドアを挟んで反対側は優先座席ゾーンだった(上記図参照)。彼はそれを見越して乗り込んできたのだろう。歩みを優先座席の方へ向けた。しかし、優先座席は全て埋まっていた。僕の見る限り、杖の彼より状態の悪い人はいないようだったが、誰も席を譲ろうとはしなかった。もしかしたら、意図的に無視しているのではなく、彼の存在に気づかなかっただけかもしれないが。僕は女の子を盗み見していたせいで気付いたのだが。

杖の男性は、優先座席に座れないと見るや、どういうわけか踵を返し、僕らの方へ進んできた。

内田春菊の『ファザーファッカー』を想像し、隣に立っている女の子への淫らな行為を夢想していた頭を即座に切り替えた。すぐに席を立ち、彼に譲った。僕は風貌が怪しいせいか、電車で人に席を譲っても逃げられることがよくある。僕には悪気はないんだけどなぁ。そんな特徴のある僕なのだけれど、杖のおじさんは何も躊躇することなく僕の申し出を受け入れた。よほど難儀していたと見える。実際、彼は僕と同じく大和西大寺駅まで乗り合わせたのだが、頻繁に膝をさすっていた。(そして、降りるときには僕にちゃんと会釈してくれた)

僕が杖の男性に席を譲ったことには3つの理由がある。
1つは、彼を気の毒に思ったという純粋な利他心だ。2つめは、困っている人に手を差し伸べない周囲の乗客への怒りであり、俺が手本を見せてやるという侠気心だ。

そして、最も重要な3つめの理由は、「目の前の母娘にいいとこ見せちゃうぜ!」という虚栄心だ。
親切な僕の様子を見れば、母親は「あら、感じが良くて、優しい人だわ。この人なら、娘のことも暖かく迎えてくれそうだし、私の再婚相手としてふさわしいわ。抱いて!」って思うかもしれない。娘も「この人が新しいパパになってくれるといいな。血の繋がってない私のことを実の娘のようにかわいがってくれそうだわ。ううん、私がこの人の妻になりたい!一生かわいがってくれそう。抱いて!」なんて思うことだろう。
大和西大寺まで残り25分の座席を諦めるだけで、これだけのものを手に入れられるのだ。席を譲らない理由があるだろうか、いやない(反語)。

こうして、杖の男性は僕に感謝しつつ席に着いた。僕はかの母親の横に立ち、彼女から再婚を申し込まれても動揺しないように心の準備を整えた。

大阪上本町の次の停車駅は、鶴橋である。鶴橋は、日本一の焼き肉街として有名である。駅の周辺には大小様々な焼き肉店が密集している。関西では「鶴橋に行く」と言うだけで、「ああ、焼き肉食べに行くねんな」と理解してもらえる。ホームに入った電車のドアが開くやいなや、周囲の焼き肉店の煙が舞い込んできて、車内が焼き肉の匂いで満たされる。その匂いだけで丼飯を平らげることができると言われているほどだ。

鶴橋と言われて最初に想像することは焼き肉だが、鉄道好きにとっては近鉄奈良線とJR環状線の乗換駅であるという事実だ。この駅では焼き肉を食いに行く人々とJRへ乗り換える人々が大量に降りる(同時に、焼き肉を食い終えた人々とJRから流れて来た人々が大量に乗る)。

視覚聴覚をかの母娘に奪われた今日の僕は、嗅覚がバカになっていた。鶴橋に停車しドアが開いても、一切焼き肉の匂いを感じなかった。僕の五感の全てはあの母娘に向けられていた。心は母親からの結婚の申し込み、もしくは、娘からの禁断の告白への対応準備に追われていた。

今か、今かと待っていると、母娘は鶴橋で降りた。JRに乗り換えるのだろうか。

車内に残されたのは、杖の男性と僕だけだ。今日はどういうわけか、鶴橋で乗る人よりも降りる人の方が多かった。たまたま座席が空いたので僕は再度腰掛けた。その座席というのが、件の男性の正面の席であった。大和西大寺で降りるまでの20分間、正面の彼と目が合う度になんとなく決まりが悪くて、互いにモジモジするという、ちょっぴり苦痛な時間であった。

もちろん、めっちゃかわいい母娘ともう二度と会えないかと思うと悲しくてやりきれない。

私からは以上です。ご清聴ありがとうございました。

追伸:
杖の男性が乗り込んできたのに半ば無視していた乗客たちには、まだ少し腹を立てている。

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