15年ほど前、僕はある漫画を読んだ。漠然と内容を覚えているだけで、著者もタイトルも分からなかった。その事を当ブログに書いて情報提供を募ったところ、あっという間に判明した。
すでに絶版となっている漫画であったが、幸運なことにamazonで古本が売られていたので直ぐに購入した。今日届いて15年ぶりに再読した。僕の記憶は細部がずいぶんと違っていたが、面白かったはずだという記憶に間違いはなかった。
その作品は、園山二美の「怠惰嬉楽」という作品であった(参考写真)。1996年に読み切りとして雑誌に掲載された後、1999年の単行本『続蠢動』に収録された。
園山二美という作家は、すでに引退してしまっているらしい。活動期間は5年ほどだったようで、単行本も『蠢動』、『続蠢動』の2冊しか発売されていない。今回僕は『続蠢動』だけを購入したが、それがとてもよかったので1作目も買い揃えようと思う。
園山二美という作家のことはよく分からない。
が、あとがきや「青春」という作品には作者本人が登場している。自画像を見ると、どうやら女性作家のようだ。著者名を漢字で見ると性別がわかりにくいが、よみがなは「そのやまふみ」だ。ふみという名前は、確かに女性っぽい名前だ。
また、自己像についているセリフは関西弁だった。そして、感情の起伏が激しく、さっきまで落ち込んでいたかと思うと、急に落ち込んでいる自分自身にツッコミを入れるという、豪快な関西女として描かれている。
この人の描く女の子は色っぽくて、男がいやらしい気分になるツボを良く心得ているように思う。だから、きっと男性作家なのだろうと思っていたアテがはずれてビックリした。
『続蠢動』には8本の短編が収録されていた。
その多くが男女の平凡な日常を描いている。それでいて、ちょっとしたすれ違いによって生じる微かな非日常を浮かび上がらせるという内容だ。
たとえば「1/4」という作品では、デートの日に生理になってしまった女の子が「人生の1/4が生理で体調悪いなんて!」と男に八つ当たりするというような内容。毎月の事だと言えば日常的な風景なのだが、それをある時男に不満をぶちまけるという非日常が描かれるという形式だ。
この「1/4」という作品は、僕にとって特に興味深かった。確かに女性に月経があるということは理解していたし、恋人とか親しい女の子とかから「今日は生理でうんぬんかんぬん」と聞かされたこともあるので、どういうものかはだいたいわかっているつもりだったのだけれど、やっぱり男の立場からはよーわからん世界だな、と。
どんなに頑張っても、女性の立場から世界を見るのは難しい。
女性の立場から世界を見ると言えば。
昔、初めて内田春菊の漫画(確か『物陰に足拍子』)を読んだ時、強い衝撃を受けたことを覚えている。登場人物がセックスするシーンがあるのだが、それが今まで僕が見たことのない構図だった。
エロ漫画やAVを見ると、いつも男が女を見下ろす構図だ。シーツの上に枕があり、そこに顔を上気させた女性が横たわっているという画しか見たことがなかった。自分の実地の性経験でも、やっぱり僕が相手を見下ろすような風景しか見たことがなかったのだ。
まぁ、セックスの体勢としては騎乗位なんてのもあって、その場合は男が女を見上げる図になるわけだが、それでも「男の視点から世界を見る」という点は同じだ。
僕が内田春菊でビックリしたのは、ベッドに横たわる女の一人称視点から世界が描かれていたという点だ。ベッドに横たわる女性からは、自分の上に覆いかぶさる男の顔が見える。そして、男の背後には天井の梁があって、照明器具がぶら下がっていたりする。「ああ、女性からはこういう風に見えているのか」と思い、僕は蒙が啓かれる思いがした。
他にもそういう作品はいっぱいあるのかもしれないが、僕はそういうのをそれまで見たことがなかった。その後、漫画を読むたびに同じような構図が無いかと注意深く探しているのだが、実はあんまり見かけない。
あの時見た1コマをもって、僕は内田春菊のことを素晴らしい漫画家だと思った。
さて、話を園山二美に戻す。
今回、「1/4」という作品で、女性が生理の時に感じるであろう感情について学べた。
そして、この作品でも内田春菊のような「女の視点」が描かれていた。感激した。
生理が重くて横になった女の様子を見る男。へぇ、こういうふうに見えるのか。やっぱり、相手の背後に天井は見えるもんなんだよね。そして、顔が陰になるからちょっと暗く見えるんだね。
冷静に考えれば、自分が風邪で寝込んだ時に看病してもらっているのと同じ何だけと。同じはずなのにその事に僕はいまひとつ気づいてなかったようで、この絵を見て生理中の女性がどんな気持ちになるのか、ちょっとだけわかったような気がした。
勉強になった。