福田首相の最後っ屁

会見する福田首相2008年9月1日21:30、福田康夫首相が辞任表明の記者会見を行った(写真は、毎日の記事から)。

最後に質問した記者から、
「これまでの福田首相の公の場での発言が、どこかヒトゴトのような雰囲気をかもし出すことが多かった。今日の会見もヒトゴトのようだ」
というような指摘を受けた。

それに対する福田首相の返答。
私は自分のことを客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです。

失笑するやら、大胆さに感心するやら。

よくさ、人から説教されるときに「自分を見失うな」とか「自分の分をわきまえなさい」とか「お前は自分の置かれている立場がまったくわかっていない」とか、「オレはお前のことを思って言ってるんだ」とかいろいろ言われるじゃん。
そのとき、福田首相を見習って、このセリフをぶちかまそうと思ったり、思わなかったり。

コメント (17)

  1. 匿名

    ラジバンダリ・・笑

  2. bmb

    >「これまでの福田首相の公の場での発言が、どこかヒトゴトのような雰囲気をかもし出すことが多かった。今日の会見もヒトゴトのようだ」

    個人的には、これが、的を得た批判であるという考えそのものが嫌。

  3. 大彦

    >「これまでの福田首相の公の場での発言が、どこかヒトゴトのような雰囲気をかもし出すことが多かった。今日の会見もヒトゴトのようだ」

    これ、ほめてるんですよね。

  4. bmb

    >これ、ほめてるんですよね。

    ほめ殺し?

  5. 大彦

    批判だとしたらどういう意味での批判なのか理解できませんよねえ。公の場では感情をもろに出した方がいいんだろうか。

  6. bmb

    >公の場では感情をもろに出した方がいいんだろうか。

    田中角栄のように、人情的な人に人気が集まるのは分かるけれど、それはマスコミが善し悪しを判断する事じゃないだろうと思う訳です。

  7. 木公

    「ラジバンダリ」という言葉の意味がわからなかったり、bmb & 大彦の話のポイントを見失ったり、ラジバンダリ。

  8. bmb

    自分の解釈:

    大彦=「感情を出さず、ヒトゴトのようにしゃべるのは良い事だ」
    bmb=「『感情を出して自分のように話す方が良い』という考えは嫌い。まぁ、そう感じる人がいるのは分かるけれど、マスコミがそれを政治家に求めちゃいかんだろ。ましてや、それを理由にマスコミが政治家を非難するなんてダメ。」

  9. 木公

    ありがとうございます。
    なんの話がされていたのかという見通しはよくなりました。

    なんかコメント返さなきゃなぁとは思って30分くらいいろいろ考えたのですが、結論が出ませんでした。
    丸く収めるために迎合する意見を書くことも、議論の燃料投下のために反論を書くこともできるところではありますが、そういった体裁を整えるためだけに何か書いたとしても不毛だし、めんどくさいことになりそうなので、パス。
    どうぞよろしくです。

  10. 大彦

    なんかおもしろいこと言おうと思ってるうちにぐだぐだになってしまいました。

  11. bmb

    >なんかコメント返さなきゃなぁとは思って30分くらいいろいろ考えたのですが、結論が出ませんでした。

    じゃ、燃料投下。

    「感情が出ているかどうか」、「真摯に語っているように見えるか」どうかは、「話者の真の態度や将来の行動を予測する」ために用いられるシグナルで、そこそこ妥当性はあると思います。故に、「他人事のような話し方」というシグナルを持ってして「こいつは、真剣じゃない/口先だけで実際には何もしないだろう」と判断するのは結構です。

    しかし、シグナルそのものを非難する=「他人事のようなしゃべり方はけしからん」と非難するのは、ナンセンスそのもの。そんな批判、「真摯に嘘を語る人間たれ」と言ってるのと同義。

    非難すべきは「シグナルによって指し示される対象」であるべきだと思うのです。しかもそれは「実際に何もしなかったことが明らかになった時」に、「お前、何もしなかったじゃないか」と非難されるべき。

    人間が「他人事のような話し方」をみて、瞬間的に「けしからん!」と反応するのは、おそらく、人間に組み込まれた本性のようなものでしょう。しかし、ジャーナリストが、直感と感情の赴くまま行動することほど、危険な行為はないと思う訳です。

  12. 木公

    僕が先に「迎合シナリオ」で考えていたことは、まさしくおっしゃるとおりです。”シグナル”の話でまとめようと思ったところまでまったくそのまま。さすが、H大組らしいや。

    燃料投下で考えていたのは、ジャーナリストの態度(能力?)の問題。

    > ジャーナリストが、直感と感情の赴くまま行動することほど、危険な行為はないと思う訳です。

    それはそうだと思うのですが、じゃあ、解決策はどこに求めればいいんだろうか?
    1. ジャーナリストのスキルを向上させる
    2. 市井の人々が”メディア・リテラシー”を身につける
    3. 両方
    4. その他

    1(および 3)は、僕のコントロールの外(僕にはジャーナリストの行動を変える権限も能力も無い)にあることだからどうしようもない。

    となると、2 の方法をとって、メディアで流れてくる情報の裏づけをきちんと取るように普段から気をつけているしかない。

    マスコミがタコだっつー話も、情報の受け手が注意深くならなきゃいけないっつー話も、いまさら言うまでもないことであり、話がどこに行き着くのかよくわからなかったのです。
    だから、この議論はパスしたいなぁ・・・と。

  13. bmb

    誠に勝手ながら、大放談会へと、移行させていただきます。

    >1. ジャーナリストのスキルを向上させる

    学部時代、新聞部にいたから分かるけれど、日本の新聞社の入社試験制度、あれ本当にひどい。こざっぱりとまとまった文章を書ける人間をふるい分けてるだけ。留学してジャーナリズムを学んだとか、世界中でボランティアして回った経験とか、一切、考慮されない。

    新聞記者志望の先輩が、試験に受かりやすくなるよう、どんどんと毒のないこざっぱりとした人間になっていくのを見ていて、アホかと思った。

    >2. 市井の人々が”メディア・リテラシー”を身につける

    厚い本を読まなすぎると思う。ベスト&ブライテストが日本では絶版になってるなんて異常。米国の話だから仕方ないとしても、日本で、これに比肩する(かもしれない)立花隆の田中角栄研究ですら絶版なんて異常じゃないか。この本以降、日本のジャーナリズムが産み出した、マトモな本があるだろうか?せいぜい、「朝日(読売)新聞編集部編」なんてタイトルで、薄い文庫本が出るだけ。そんなものがいくらあっても、駄目でしょう。ただ目の前の事象に感情的に反応するのでなく、その背後にある構造を冷徹に知る/分析するには、どうしたって時間がかかるはず。本にしたら、文庫や新書の分量で済む訳がない。

    大体、パレスチナ問題を知る上での必読書、「From Beirut to Jerusalem」なんて500ページもある20年前の本なのに、アメリカ行けば、今でも空港の書店で平積み。そんな本が日本にあるか(いやない)。クリントンの分厚い回想録に匹敵するのは、後藤田雅春の「情と理」か。しかし、それですら大きな字で文庫2冊。おいこら、中公文庫!チャーチルの第二次大戦回顧録(800p.×7冊)を、文庫本1冊に省略するな!

    小説(京極夏彦やハリーポッター)なら、いくらでもぶ厚いのを出版する/読むくせに、なぜ歴史やジャーナリズムになると、とたんにヘタレるのか。どうしても納得いかない。

    厚い本を読まなきゃ、出版社は厚い本出さない。出版されなきゃ、ジャーナリストも短文しか書かない。短文しか書かないのなら、まともなジャーナリズムも育たない。

    という訳で、「何がマスコミをマスゴミにしているか」ってのは、そんなところだと思います。

  14. 木公

    おっしゃることはわかりまし、意見を寄せてくださってありがとうございます。

    ただ、これに対してコメントをつけることは、現在の僕の能力を超えます。
    すみません。

  15. bmb

    「大放談会」と書いた通り、「建設的な意見の積み重ねを求めず、勝手に言いたい事を書き散らかす」つもりで書いたので、放置して全く問題ないです。

  16. K.S.

    この最後っ屁を食らった記者が逆ギレして、福田さんに靴でも投げつけてれば面白かったのに…

  17. 木公

    記者が大人しかったおかげで、最後っ屁の大人気なさが際立って良かったんじゃないでしょーか。:D

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