覚せい剤所持で逮捕・投獄され、今年6月に出所した田代まさしのインタビュー記事があった。
田代まさし「獄中で見た景色、あのころの家族の夢」 : 日刊サイゾー
平日は朝6時半に起床して、朝食後に工場へ出かけて作業をしていました。僕が入った工場は、障害者や老人や政治家などが入るような所だったんです。どうやら、目立たないように、と気を使ってもらえたらしくて。でも、障害者が多かったので、仕事が単純作業で辛かった。紐を通したり、袋を折ったりを延々と繰り返すだけで、時間が過ぎるのが本当に遅く感じました。
障害者が多くて、政治家などが送られる工場というのは、元衆議院議員の山本譲司が派遣されたのと同じ工場ではないか。山本譲司は、秘書給与の不正な流用で実刑判決を受け、控訴することなく刑に服した元民主党議員。彼が障害者向け工場で働いた様子と、そこで目の当たりにした障害者の境遇については『獄窓記』に詳しく記されている。
今日、田代まさしの記事を読むと、彼は黒羽刑務所に収監されていたそうだ。『獄窓記』で確認すると、山本譲司も黒羽刑務所だった。断定はできないが、彼らは時間差で同じ工場で働いていたのではないだろうか。ちなみに、清水健太郎も黒羽刑務所の同じ工場だったらしい。
田代まさしが獄中生活のことを詳しく語っているのを知らないので、彼が実際にどんな経験をしたのかはわからない。しかし、山本譲司と同じような経験をしたのだとすると、なかなかスゴそう。
たとえば、『獄窓記』には、田代まさしがインタビューで語っているような単純作業の中身も具体的に書かれている。その工場には知的障害者もいて、彼らはごく簡単な作業すらこなせないそうだ。かといって刑務所の性質上、何らかの作業を行わせなければならない。苦肉の策として、意味のない単純作業を行わせることもあるようだ。田代まさしが言っている袋を折るなんてのはまだマトモな方で、もっと酷い例があるようだ。さまざまな色の蝋燭の破片を色ごとに小分けするといった作業があるそうだ。この作業が悲惨なのは、山本譲司に与えられた作業の一つが、夕方にその破片をまた混ぜ合わせることである。翌日になったら、また破片の仕分けが始まる。
そのほか、排便のコントロールが自分でできない障害者の話などが出てくる。周りが障害者に代わって、後始末は山本の担当となる。テキパキやらなければ看守に叱られるので、ついには手袋や雑巾を使わずに、素手で片付けることもあったというようなことが書いてあった。最初は、議員にまでなった自分がなぜこんなことをするのかとプライドが傷つけられたのだが、ついには障害者の力になってやることが自分の使命だと決意するというイイ話も書いてある(ていうか、それが『獄窓記』のテーマ)。
そんなわけで田代まさしには、しっかり矯正したことと思うので、これからはがんばって欲しいと思う。なんかの間違いで、山本譲司とタッグを組んで福祉活動に取り組むようなことがあったら、僕は全力で応援したいと思う。
#『獄窓記』を読み直したら、清水健太郎もこの工場にいたらしい。
ちなみに、当方の下の名前を読み間違えると「まさし」になるので、田代まさしの全盛期に僕のあだ名が「マーシー」だった時代もある。田代まさしは、山瀬まみと一緒の番組に出ることも多かったので、わりと親近感もある。
本当に、今後の彼の活躍を期待したい。