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そして3年目

あるむと一緒に暮らし始めるようになって、3年。
もう3年なのかとも思うし、まだ3年なのかとも思う。

毎朝目が覚めると、カップ1杯のドライフードを彼女の器に入れてやる。毎晩家に帰って来た時も、同様にカップ1杯のドライフードだ。
朝は機嫌よくカリカリと音を立てて食べる。夜は、器を一瞥し、それから振り返ってにゃーにゃー鳴く。どうやら、朝と同じメニューなのが気に入らないらしい。一晩たてば、前夜に何を食べたか覚えていないくせに。
彼女の記憶は深夜にリセットされるのだろうか。


毎朝会社に着くと、衣服が猫の毛だらけなのに気が付く。こまめに掃除機をかけたり、出掛けに毛を掃うことを習慣にしようと決意を固める。
朝、シャワーを浴びてすっきりする。体を拭いていると、濡れた脛に体をこすりつけるのがあるむの趣味だ。変な趣味だ。いぢわるして、水しぶきを顔にかけてやると、毎朝びっくりして逃げて行くくせに。
服を着替えて、ソファに座って朝のニュースを見る。いつも同じアナウンサーが、毎朝違うニュースを読む。
僕が座っているのは、さっきまであるむが二度寝をしていたソファだ。会社に着くと、衣類が毛だらけだ。昨日固めた決意を、今日もまた決意する。

彼女の記憶が毎日どこかでリセットされるのと同じように、僕の記憶も毎日どこかでリセットされているらしい。
何も変わらない毎日を単調だなとも思うし、少しずつ何かが違う毎日を新鮮だなとも思う。

毎日を単調なものだと思ってしまうのは、人間の特性だろうか。毎日を新鮮なものだと思うのは、猫の特性だろうか。それとも逆か。
僕があるむみたいになってきたのか、あるむが僕みたいになってきたのか。その両方か。

あるむは毎日けだるそうにあくびをするし、爪をとぐ姿はいつでも楽しそうだ。そんなあるむを見ていると、幸せってのはとても小さい何かの積み重ねなんだろうなと悟る。

人生は小さな幸せの積み重ねであり、それをいつも新鮮に味わえることほどありがたいことはまずないだろう。

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