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『私家版』(ジャン=ジャック・フィシュテル)

彩子さんに紹介してもらった、フィシュテルの『私家版』を読んだ。

彼女は映画版を推していたのだが、そちらは入手が難しかったので(価格の問題もあるし、懇意のレンタル屋にもなかった)、原作小説の翻訳版を読むことにしたのだ。

キャッチ・コピーは「本が凶器になる完全犯罪」。
冒頭の数ページを読むと大筋の手口は予想できてしまい、実際その予測もはずれない。

とはいえ、主人公を殺人に決意させるに至った因縁、完全犯罪達成までの用意周到な準備、断片的なピースを見事につなぎ合わせる文章構成と、三拍子が見事に揃っている。派手な客寄せシーンがあるわけでもなく、比較的淡々と物語が進行するのだが、退屈せずに読まされる(ただし、翻訳文のクセが僕好みじゃないところがあって、最初の1章を過ぎるあたりまでは少々の忍耐力が必要とされた)。

紹介者の彩子さんは、映画版だけを観て、原作は未読とのことだが。
原作版の読みどころの一つは、凶器となる本の作成場面だった。きっと、映画版でもそこは丹念に描かれているのだろうと想像する。古びた材料と、時代遅れな機材を利用して本を作る映像は、きっと幻想的で美しく描写され、映画の見どころの一つ、監督の最大の腕の見せ所なんじゃないかと考えている。

主人公は陰湿な人間で、殺される男は明るく快活な男として描かれている。きっと、映画でも主人公の登場するシーンはほの暗く、被害者のシーンは明るい照明で撮られているんじゃないかとも想像する(僕は映画監督のABCは全く知らないのだが、仮に自分が監督だったらそういう風に撮るだろうと思う)。
主人公が閉め切ったくらい部屋に篭って作業をする中、明り取りのために少しだけ開けた窓から、彼の手元だけを照らす光が入ってくる。そんな、明暗のコントラストがあり、古びた道具のノスタルジックな印象を与えるシーンは、きっと感動的なのではないかと思いをはせている。

単に殺人にいたるプロットが優れているだけではなく、情景がありありと浮かぶような文章描写も、原作の魅力の一つだと思った。

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