女の子を車で送っていた。
「まだ6時なのに、もうこんなに暗くなるんだね」
と、彼女が話題を振ってきた。
今、冷静に考えれば、模範解答は以下のようなものだったろう。
「うん、確かに暗いね。けど、まだ6時だよ。時間はたっぷりあるから、食事でもして行こうよ」
とか
「日が短くなっていくと、人肌が恋しくなったりしない?・・・ちょっと、そこで休んでいこうか」
とか、色気のある返答がよかったんだろうな。
しかし、肝心なところで抜けている当方は、
「冬至まであと1ヶ月とちょっとだね。それが過ぎれば、だんだん日が長くなっていくよ。」
とか言っちゃったし。
なんだ、この胸キュンのカケラもない返事は。
しかも、
「ところでさ、冬至って12月22日あたりじゃない。あと10日ほどで新年だよね。天文的には、冬至から新年を始めれば分かりやすいのに。しかもその日から昼が長くなっていくってところがいかにも新春らしいじゃん。なんで微妙にずれてるんだろう?」
などと、色香のまったく感じられない話題に転換してしまうという大失態。
とほほ。
しかし、読者諸君もこの「冬至と新年が微妙にずれている」ってことが気になるはずだ。
そんなわけで、ちびっと調べてみた。
お正月の始まり(はまぎんこども宇宙科学館)というページが参考になった。
結論だけ書くと、AD6世紀ころに東ローマ帝国で「キリストが生まれて8日めにユダヤ教の洗礼を受けたことにちなんで新年とする」と決められたそうだ。つまり、12/25から8日めとなる。
まてまて。
「ふ~ん、なるほど」と思うのは、うかつってもんだ。
新年(1月1日)の日付を決めるのに、12月25日を手がかりにするっておかしいじゃないか。もしくは、12月25日(キリストの誕生日)はどうやって決まってんだ?
実際には、キリストが生まれた正確な日は分かっていない。
そこで、キリスト教以前にローマで勢力の強かったミトラ教の祭日を、そのままキリストの誕生日であると定めたそうだ。
もう一度言う。
「ふ~ん、なるほど」と思うのは、うかつってもんだ。
そのミトラ教の祭日ってのはどうやって決まっているのか。
ミトラとは太陽の神で、冬至の日に死に、3日後に復活すると考えられていたそうだ。そこで、ミトラが復活する日を祭日にしていたそうだ。
話をまとめると、
・冬至 = ミトラが死ぬ日
↓ 3日後
・ミトラ復活祭 = キリスト生誕
↓ 8日後
・キリスト、ユダヤの洗礼を受ける = 新年
という関係。
天文学的な収まりのよさよりも宗教的な伝説が優先されたことを、非合理だと非難するか、文化だと評価するかは意見が分かれるところかもしれない。
本文中、手が滑って書き間違えたところを修正しました。
× キリストが割礼を受ける
○ キリストがユダヤ教の洗礼を受ける