原作は、2年前に出たばかりの頃に読んでいた(記事その1、その2)。当時、とても面白く読み、お気に入りの小説の一つであった。
そんな僕なので、「映画はどうせあんまり面白くないだろう。たとえば、『チームバチスタの栄光』とか、原作蹂躙映画の代表作だし。そういえば、バチスタもゴルスラも竹内結子繋がりだし・・・」とあまり期待せずに見に行った。今日はちょうどイオンの日で、映画を1,000円で見ることができるので、半分ドブにお金を捨てるつもりで。
しかし、いい意味で期待は裏切られ、原作同様に良い映画だった。
読んでから見ても、見てから読んでも楽しめるだろう。
映画の前半は、大きな爆発音や、逃げても逃げても追ってくる敵など、多少見ていてしんどい部分もあるかもしれない。しかし、スリルとサスペンスの連続でドキドキする。
一方、後半では嫌味のない笑いあり、ホロリとくる人情あり。そして、胸のすくような結末ありでスッキリする。
最近のハリウッドのコンピュータ・グラフィックスに慣れた目には、多少CGがショボく見えるところがあるが、原作通りの脚本は楽しめるので、細かいところには目をつぶろう。
原作が良く、それに忠実に映像化されたのでいい映画になるのは当たり前だ。一方で、多数の登場人物の全員にさりげない決めゼリフや特徴が与えられており、それぞれキャラが立っていて見やすかった。
そんな登場人物の中で、一番注目したいのは、主人公の学生時代の親友・森田森吾を演じる吉岡秀隆だ。『北の国から』の純くん(一家の長男)や、『男はつらいよ』の満男(寅さんの甥)、Dr.コトーで有名な、彼だ。
相変わらず滑舌の悪い、しょぼくれた演技だが、それは彼の持ち味だし、ここではおいておこう。
原作では、主人公のライバルとなる警察官が佐々木がポール・マッカートニーにそっくりであると描写されている。ポール・マッカートニーは、ご存知ビートルズの中心的メンバーで、「ゴールデンスランバー」というい曲を作ったのも彼だ。
しかし、映画では香川照之がその役を演じている。お世辞にも、あまりポール・マッカートニーに似ているとは思えない。映画の中でも、それを匂わすセリフも演出もない。
それに対して、主人公の親友・森田を演じる吉岡秀隆がポール・マッカートニーっぽく描かれていた。
いま、もちろん、見た目は似つかわしくない二人である。
映画の中での吉岡秀隆の「イメージ」がポール・マッカートニーそのものなのである。
#「イメージ」はこの映画のキーワードの一つ
僕が最初に気づいたのは、主人公らの学生時代の回想シーンである。なにがどうと言う事はできないが、直感的に「あ、ポールだ」と思ったのだ。
そこからさらに連想して思い出していくと、主人公(堺雅人)と森田(吉岡)の最初のシーンは横断歩道だ。そう、有名な “Abbey Road” の横断歩道ジャケットへのオマージュだと考えることができる。
僕が思い出せるのはここまで。
もしこれから見に行く人がいたら、「吉岡秀隆=ポール・マッカートニー」説を裏付ける証拠を探しながら見て、僕に報告してくれると嬉しい。