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夏の終わりのハーモニー: 東海道五十三クリング(21) -最終日-

これからここに書くことは、どれも嘘っぽいが本当にあったことである。
これが嘘なら嘘でいいけれど、それならば時間を巻き戻して欲しい。
せめて、昨夜22時に。


漠然と計画を考え始めたのは約1ヶ月半くらい前だが、実行を決意したのは3週間前の6月24日である。
自転車で20分かけて高校に3年間通ったこと以外は特に経験のない当方が、東京・日本橋を出発し、500km離れた京都・三条大橋まで東海道五十三次を自転車で行こうという計画だ。

計画を聞くと、面白がって囃し立てる人と、僕の身を案じて止めてくれる人がだいたい半分くらいだった。

僕自身も成功する見込みはあまり無いと思っていた。
まず、なによりも体力がない。運動どころか、アウトドア活動が大嫌いな僕に本当に500kmも走れるのか。歩いて10分のコンビニにすら車で行ったりするくらいだ。
そして、熱中症のおそれだ。会社の節電対策で与えられた7月の夏休みに計画を実行することにした。ちょうど梅雨があけて、猛暑がやって来る時期だ。下手すると路上で倒れかねない。
そして、歌にも「箱根の山は天下の険」と言われている、箱根峠を序盤2日目に登らなくてはならないことだ。そこで体力も精神力も使い果たすだろうと思われた。そこでリタイアするだろうとも思われた。

しかし、僕は5泊6日で東海道五十三次を走りきった。出発前の予定では、6泊7日で計画しているところを1日早めた。しかも、途中50km(総距離の10%)ほど道を間違えて遠回りして、この記録である。
みんなも信じられないだろうが、僕も信じられない。

計画は大成功だ。
大成功の秘訣は2つある。
ひとつは、「たくさん宣伝して、みんなにこの試みを知ってもらおう。そして、絶対に成功させて、みんなの人気者になろう。」という強い意志である。

もうひとつは、実際に多くの人が応援してくれたことである。
ブロクには毎日応援のメッセージが寄せられたし、Ustreamの実況中継では僕の知る限り最大20人程の人が同時に視聴してくれた。みんなが僕の道中に関してtwitterなどで語り合っているのを見て、話題の中心にいるのがこそばゆくも、嬉しかった。
みんなが僕のことを見てくれて、応援してくれたからこそ、僕は完走できた。

本当にありがとうございました。

もちろん、今回の旅は100%の成功ではない。失敗もたくさんある。
3日目には大迷子事件(21番岡部と22番藤枝の6.7km区間を15kmくらい遠回りした)を引き起こし、遭難の恐怖やらリタイアの心境やらになってしまった。その後もちょくちょく道を間違え、最終日の今日も52番・草津と53番・大津でずいぶんと時間と体力を無駄にした。

自転車に付けたカメラで風景をUstreamを中継するという試みも行ったが、これもあんまりうまく行かなかった。最初の数日は予備バッテリーが少なくて、中継時間が短かった。熱対策もしていなかったので、カメラ替わりにしていた iPod touch が頻繁にオーバーヒートした。料金の安さに釣られて使用していた某通信会社のwi-fiルーターが山奥では圏外になった。こんなことなら、素直にdocomoにしておけばよかった。

東海道の名物や名所はほとんど素通りしてしまった。
唯一名物を堪能したのは、桑名の焼き蛤だけだ。桑名駅東口の「はまぐり食堂」という店で食べた はまぐり定食(1890円)はとても美味しかった。焼き蛤が2個、蛤のフライが3個、お吸い物(蛤の身が1個)、蛤の志ぐれ煮ごはんなどがついていて、ボリュームも満足だった。店もきれいで、親切にもケータイの充電をさせてくれた。

しかし、それ以外の名物は一切食べてない。というのも、「東海道は新幹線でいつでも来れる」という安心感があり、「今回は下見と思って、気に入ったところは後日ゆっくり来よう」という余裕があったからだ。

最終日、2番目に大きな失敗は、ゴール直前でustream中継が切れてしまったことだ。僕は先を行くことに夢中で、その事に気づかなかった。せっかくのゴールの瞬間を記録に残しておいたり、みんなに見てもらったりできなかったことは残念だ。

中継されていたかどうかはわからないが、三条大通りに入って、三条大橋の前1kmくらいの地点でものすごく気分が悪くなった。ゴールの感動とかそういうのではなく、純粋に暑さでやばかったのだと思う。早くゴールしたい気持ちを押さえて、その場で立ち止まって、頭から水をかぶった。
あそこで無理をしていたら、今頃、三条大橋でぶっ倒れた後、祇園祭宵山の喧騒を聞きながら京都市内の病院で寝かせられていたかもしれない。

いや、京都市内の病院で寝かされていたら、まだ僕は幸せだったかもしれない。

というのも、本日12:30ころに京都入りしたばかりなのに、19時現在、僕はのぞみ50号に乗車して厚木の自宅に帰っている。6日間かけてやってきた京都なのに、新幹線に飛び乗って3時間あまりで帰ろうとしているのだ。

お昼過ぎに京都に着いた後、ネタとして大阪の京橋に行ってきた。
東海道の本当の終着点は大阪の京橋なのだ。大津の後、伏見、淀、枚方、守口を経由して大阪の京橋に通じる。広重の「東海道五十三次」や一九の「東海道中膝栗毛」で京都の三条大橋が取り上げられたおかげでそこが正式なゴールのように扱われているが、上記のとおり大坂まで通じているのだという。
ただし、江戸から来た場合は、淀川を下って京橋に行くのが定番だったという。そして、上記ルートはちょうど京阪電車の路線と合致している。だから、なんにも用事はないけれど電車に乗って京橋まで行ってきた。電車なら冷房が効いていて涼しいし、なんとか座席に座れたのでホテルのチェックインまで時間を潰すのに調度よいと思われた。

京阪電車を堪能し、17時ころに京都で予約していたホテルに向かった。
しかし、そこで事件が発覚した。

今朝、亀山を出るときにネットで予約したはずなのに、予約されていないという。よくよく調べてみると、9月16日チェックインで予約されているという。2ヶ月先だ。どうやら、今朝、慌てて予約したせいで僕が何かをミスったらしい。

京都は祇園祭の宵山で、もちろん他に部屋は空いていない。急遽ネットでいくつかホテルを探したけれど、僕の予算で泊まれる宿は一切なかった。カプセルホテルすら。
大阪や奈良でも探したが、状況は同じだった。3連休の直前の金曜日だ。1泊4万も5万もする部屋しか空きがないいない。その額を払えば、自宅と往復できる。仕方ないから、新幹線に乗って家に帰ることにした。
祇園祭は一切楽しんでいない。新幹線に乗り遅れないように自転車で疾走しながら、見物客を見物しただけだ。

奈良近辺にお住まいの知人に連絡すれば、一晩くらいは大歓迎で泊めてくれそうだとは思った。
しかし、自転車をバラして電車に乗る労力をかけるなら、厚木の自宅に帰っても同じだと思った。

6日間の体力の消耗と、ホテルが予約できていなかった精神的な消耗で、もう何も考えたくないし、何もしたくなかった。
だから、家に帰ることにした。
早朝の出発時刻も、気の置けない友人とはいえお世話になる多少の緊張感も気にせずに、自宅で気の済むまでアホみたいに泥みたいに眠りたい。それが偽らざる心境だ。

こうして、僕の人生で一番アツい夏は、間抜けなオチをつけて幕を閉じる。

情けないラストはアレなので、もう一回強調しておく。

僕がこの夏の思い出作りに大成功した秘訣は
実際に多くの人が応援してくれたことです。

本当にありがとうございました。

ゴールの三条大橋では一粒も涙が出なかったのですが、今、のぞみ50号7号車1番Aでホロリとしています。

(完)

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