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山瀬まみと岡崎京子の対談記事(1989年)

当方の宝箱(山瀬まみ関連のグッズをしまってある段ボール箱)を久しぶりにひっくり返していたら、CUTiE 1989年12月号が出てきた。CUTiEは今でも発行されており、個性的なファッションを主体にした若い女の子向けの雑誌らしい。

どうして僕がこの号を持っているのか、入手した経緯は覚えていない。ひとつには、ネットオークションで落札した可能性が考えられる。しかし、もっとありうることとしては、クラスの女の子からもらったものかもしれない。
当時、山瀬まみは正統派アイドルとしての活動に陰りが見え、バラドルになりかかっている頃だった。しかし、一直線にバラドルになるわけでもなく、「個性的なファッション・モデル」の道も模索しつつあった。そのため、女の子向けファッション雑誌によく出ていたのだ。僕のクラスメイトの女子たちが買うような雑誌にしばしば山瀬まみが掲載されていた。当時から山瀬好きで有名だった当方なので、よく女の子から雑誌のお下がりや切り抜きをもらっていたりした。
そのような経緯で所有しているのだと思う。

さて、この号の表紙は当方の大好きな山瀬まみ。
そして、目玉記事として「山瀬まみ: 日本一のおサイケ娘」というインタビュー記事が掲載されている。全3ページの記事で、トビラに山瀬のショットが2枚と見出し。次のページにインタビュー、最後のページに違う衣装のショットが3枚という構成。

インタビューページでは、若干20歳の山瀬まみがファッション遍歴について語っている。
そして、その聞き役が漫画家の岡崎京子だった。昔の僕は岡崎京子という人を知らなかったので、あまり気にしていなかった。しかし、今の僕は岡崎京子のことを多少知るようになったので、「えっ、元気にこんな仕事もしてたの!?」と驚いたわけである。

山瀬まみと岡崎京子の対談記事



岡崎京子という人は、万人が知っているという漫画家ではないが、30-40代を中心にコアなファンがいる漫画家らしい。エロティックで不条理な人間関係をテーマにしたストーリーテリングが上手な作家さんだとお見受けしている。

と言っても、僕は彼女の作品のうち『pink』と『リバーズ・エッジ』しか読んだことがないけど。なお、当方が『pink』について書いた記事『リバーズ・エッジ』について書いた記事とがそれぞれ存在している。この2冊はとても好きで、たまに本棚から抜き出してきては、寝る前にベッドで読んだりしている。
今日まで、まさか山瀬まみにインタビューしているとは知らなかった(記憶になかった)が。

そして、山瀬まみと一緒にニコニコ笑っている岡崎京子を見て、少し物悲しくもなった。
岡崎京子は1996年に交通事故で重症を負ったという。一命は取り留めたものの、それ以後、仕事は一切できなくなったという(wikipediaで調べる)。僕が岡崎京子という人を知ったのは事故の後のことだが、あんなに素晴らしい漫画を描く人が仕事をできなくなってしまったなんて、本人にも読者にも悲しい事だと思う。
常々そういうことを思っていたので、岡崎京子が笑っている写真というのがどこか悲しく思える。しかも、僕が岡崎京子の顔を知ったのが、今夜が初めてなのだ。

そんなわけで、山瀬まみ&岡崎京子の写真を拝みつつ、みんなで岡崎京子の復活を祈りましょう。

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