「鼻がグシュグシュするよ。あー、いやだいやだ」などとセルフ・ハンディキャッピングと捉えられかねない発言を記しておく当方が、NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の第95回めの放送を見ましたよ。
五代(ディーン・フジオカ)の体調がいよいよ悪化し、東京での療養生活に入るという。おそらく二度と大阪には戻ってこれないと言われている。
あさ(波瑠)にとっては寝耳に水だった。近頃、五代と会えない日々が続いていたが、それは彼がますます忙しくなったからだと信じ込んでいた。実は、体調が悪くなった自分の姿をあさに見せないため、五代があさのことを避けていたのだ。
これで最期だと思ったあさは、五代に会いに行った。
五代は大阪商工会議所のソファで眠っていた。
彼が大阪から引き上げるにあたって、引っ越しのための荷物があちらこちらに散乱していた。また、机の上には尋常ではない量の処方薬が置かれていた。
あさは、本当に五代と会えるのもこれが最後だと覚悟するのだった。
すぐに五代は目を覚ました。
五代は呑気な雑談をしようとしたが、あさはもっと五代から教えを乞いたいと食い下がった。
しかし、五代は自分の方こそ、あさからたくさんのことを学んだと話すのだった。
五代が初めてあさと出会ったのは、あさがまだ子供の頃だった。往来で衝突し、五代は謝罪もせずに立ち去ろうとした。それをあさが咎めたのが最初の思い出だ。
その時にあさから「日本男子にあるまじき振る舞いだ」と叱られたことがずっと心に残ったのだという。イギリスに留学した時も、あさの叱責を思い出し、自分が日本男子の代表であることを自覚したのだという。
あさのことを思い出す度に、あのような興味深い女性の住んでいる大阪とはどのようなところかと興味を持った。
それで新政府の役人として大阪に赴任すると、今度はあさが新政府のやり方にケチをつけ、自分に文句を言った。それにも驚かされたという。
最初は、五代は大阪の商人たちが苦手だったという。大阪商人たちは武士や役人を見下していたところもある。
しかし、一度一緒に仕事をしてみると、大阪商人ほど信頼できるものはいないとわかったという。日本の歴史を変えてきたのは武士であるが、それを支えて活力を与えてきたのは他ならない商人である。
それから、自分は商業の復興に力を入れることにした。
大阪は確かに復興したが、まだまだ発展の余地はある。それどころか、あらゆる面で日本の中心地となれるはずだと五代は考えている。自分の最期まで、この国の未来と、それを担う大阪のために命がけで働きたいと話すのだった。
あさは、どんな状況になっても前向きな五代に感心した。
五代は常々あさのことをペンギンにそっくりだと評していた。いつも前を向いているからだ。
しかし、あさは五代の方こそペンギンにふさわしいと思った。そのことを二人で話し合い、笑った。
この面会の後、五代は東京に移住し、療養生活をはじめた。
それから1ヶ月後の1885年(明治18年)9月、五代は亡くなった。
あさと新次郎(玉木宏)は抱き合って泣くのだった。
五代(ディーン・フジオカ)は、末期の病人とは思えないほど力強い口調と眼力でしたね。まぁいいんですが。
五代はイギリス滞在中、あさ(波瑠)のことを思い出し、あのような興味深い女の子のいる「大阪」とはどんなところかと思いを馳せたそうですが、当時のあさは嫁入り前で京都に住んでいたはずですよね。まぁいいんですが。