岡本太郎の作品については、『太陽の塔』と『明日の神話』、および奈良市のひがしむき商店街のどこぞの店の前にある『手』は見たことがある。
しかし、彼自身の人となりや経歴はよく知らない。
昭和の終わり頃、晩年の姿をテレビではよく見かけた。「芸術は爆発だ!」がキャッチフレーズで、子供心にはエキセントリックでちょっとアブナイおじいさんにしか思えなかった。けれど、自分も歳を重ねていろいろな経験を積んでくると、彼の生き方や言動も理解できそうな気がしてくる。むしろ積極的に知っていきたい。
そんなわけで、ふと見つけた『壁を破る言葉』も何かの縁だと思ってパラパラと眺めてみた。
中身は、岡本太郎の語録集で、1ページに1-2文程度が掲載されているだけだった。断片的な情報の寄せ集めにすぎず、彼の経歴や人となりを体系的に知りたいという僕のニーズには合わなかった。
本棚に戻す前に、裏表紙ウラに書かれている著者紹介だけ読もうと思ったわけである。
するとそこには1枚のスナップ写真が挟まれていた。
いかにも岡本太郎が作ったような奇怪な像の前で、ひとりの女性が像と同じポーズをとっているものだ。
この写真がなんなのか気になりはじめた。
まず、この像が岡本太郎の作品かどうかがわからない。風景が南国風に見えなくもないし、上の写真では塗りつぶしてしまったけれど、被写体の女性は東南アジア出身の女性に見えなくもない。外国で見つけた「岡本太郎風作品」として挟み込まれたのかもしれない。
また、この写真が挟まれたまま陳列されていたということは、元々この本の付録なのかもしれない。だとしたら、この女性は一体誰なのか?ていうか、写真の裏を見ると「FUJIFILM INKJET PAPER」と書かれている。そもそも、出版社が出している本の付録写真に市販向けインクジェットプリント用紙など使うだろうか?この線はなさそうだ。
たぶん、前の持ち主の私的な写真だろう。下取りの検品時に見落とされ、そのまま販売されたものだろうと思った。
岡本太郎に縁ある何かの記念として挟んだのかもしれない。もしくは、単にしおり代わりとして使っていたのかもしれない。僕も手近にあった飲食店のレシートやガムの包み紙をしおりにして、読了後もそのまま本棚にしまうことがよくある。
悪趣味だなぁと思ったけれど、その写真を挟んだまま購入した。
輪をかけて悪趣味なことに、こうしてブログネタにまでしてしまった。
帰宅してちょっと調べたら、この写真は岡本太郎記念館で撮影されたものと判明した。同ページのトップにあるスクロール写真の3枚目に同じ像が映っている。
もしかしたら、この本は同館のミュージアムショップで購入されたものかもしれない。旅の思い出として、同日の記念写真を挟んでおいたのかもしれない。
でも、仮に旅の思い出だとするなら、古本屋に売るなよ。
そして、前の所有者と写真の被写体の関係はどんなものなんだろう?本人だろうか、家族だろうか?
まだ若い女性が映っているので、もしかしたら持ち主の恋人や新妻、娘などかもしれない。
奥付には、22刷で2015年に発行されたものだとわかった。ということは、この写真が挟み込まれたのは2015年以降ということになる。
電子機器が発達した今日、写真の撮影も閲覧も電子機器で済ませてしまうことがほとんどだろう。わざわざ印画紙に出力したがるのは、わりと高齢な人ではないかと想像する。
ということは、前の持ち主は被写体の親だろうか。親子旅行で岡本太郎記念館に行き、親がその記念に挟んだのではないかと予想する。
じゃあ、なぜ、そんな家族の思い出を古本屋にそのまま出してしまったのか。
ひとつの可能性は、その持ち主の遺品整理だろうか。遺族は、まさかそこに家族の思い出が込められているとは気づかなかったのだろう。十把一絡げに売却したと予想できる。
この仮説が真実だとしたら、気の毒なことである。
とりあえず写真は僕のところで保管しますので、心当たりのある方はご連絡ください。ぜひお返ししたいと思います。