未知(蒔田彩珠)は小さい頃から何度も「♪みーちゃん みちみち うんこして 紙がないから手で拭いて もったいないから食べちゃった」とからかわれたに違いないと想像している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』の第27回めの放送を見ましたよ。
12月になった。
百音(清原果耶)が発案した学童机プロジェクトは順調に進行していた。森林組合の作業所で作業を行っていた。
そこへ、自称プロカメラマンの田中(塚本晋也)が顔を出した。秋頃から森林組合の診療所やカフェに通うようになり、いろいろなものを撮影していた。特に、百音のことを付け狙うかのように撮影していた。百音も迷惑していたが、強く言える性格ではなかった。
百音たちが学童机を作っている姿を見て、田中はダイニングテーブルを注文したいと言い出した。聞けば、自分の経営している喫茶店に設置したいのだという。早速、百音は課長・佐々木(浜野謙太)と共に田中の喫茶店の下見に向かった。
初めて田中の喫茶店に来た百音は驚いた。壁中に世界的有名ジャズプレイヤーの写真が飾ってあるのだ。百音は、田中が有名人を撮る機会を得たことや腕前に感心した。
多くの写真の中に、無名の日本人奏者を見つけた。百音はどこかで見た顔であると思いながら、名前を思い出せなかった。
田中によれば、それは百音の父・耕治(内野聖陽)の若い頃の写真だと言う。実は、田中は百音の家族のことを知っていたのである。
田中は、百音の両親の若い頃のことをよく知っているという。当時の話を聞かせてくれた。
1986年、父・耕治と母・亜哉子(鈴木京香)は仙台に住んでいた。
当時、耕治は毎日のようにライブハウスで演奏していた。トランペットが上手で、佇まいもかっこよかったという。
そんな耕治に一方的に惚れたのが亜哉子だったという。田中から見ると、教育学部の大学生であり真面目なお嬢様風だった亜哉子にはジャズが全くわかっていないようだった。それでも、耕治を目当てに毎日通ってきたという。
亜哉子は客席から耕治を見るだけではなく、終演後の出待ちもしていた。毎回なんとかデート(デート?デートなのか!?)に誘おうとするが、耕治は全くつれなかったという。埒が明かないと思った亜哉子は、ついに交際してほしいとストレートに伝えた。
すると、耕治は地元の島に忘れられない人がいると言って冷たく断ったという。
田中はもったいぶるようにそこで話を終えた。続きは別の機会に話すという。
そして、2014年12月も月末となった。
クリスマスシーズンに菅波(坂口健太郎)がいつもどおり東京に帰ることとなった。百音だけが菅波の見送りに来た。雪がちらつき、とてもロマンチックな夕だった。
しかし、菅波が百音にかけた言葉は翌月の気象予報士試験のことだった。年末年始休で油断しないように注意した。百音も身を入れることを約束した。そうして菅波は去っていった。
その様子は、森林組合の職員たち全員が物陰から盗み見していた。ふたりの関係の進展を期待している一同は、ロマンチックなシチュエーションなのに無粋なふたりにがっかりした。
そして、百音は実家に帰省し、年が明けて2015年となった。
百音は登米で田中に会ったことを家族に話した。すると両親は急に落ち着きがなくなり、露骨に話題を変えたり、急に用事ができていなくなったりした。
百音は、妹・未知(蒔田彩珠)に両親の馴れ初めについて話して聞かせた。未知は、父が母に一方的に惚れたと思っていたので、意外な真実に驚いた。
耕治が一度振ったというくだりに差し掛かり、早く続きを聞きたがったが、残念ながら百音もその続きを知らないのであった。
両親の馴れ初めが朝ドラで描かれることはよくあるし、両親役がそのまま若作りして回想シーンをやるってのもよくあるよね。本作でも出ましたね。
ウケ狙いみたいな若作りをすることもあったりするんだけれど、今回はわりとマイルドな若作りでしたね。耕治(内野聖陽)のロン毛パーマが軽く笑える感じだったけれど。亜哉子(鈴木京香)は清楚なお嬢様って設定なので奇抜さもなかったし。
まぁいいんですけど。
そんなことより、両親の馴れ初めが1986年って、我が最愛の山瀬まみがデビューした年じゃないですか。
なお、Wikipediaで鈴木京香の経歴を調べると、1968年生まれで仙台にある東北学院大学経済学部に通っていたらしい。劇中と同じタイミングで大学生やってたんですね。デビューは1986年だそうで。
【今日の蒔田彩珠】
帰省した百音(清原果耶)が部屋に貼った勉強スケジュール表に「菅波光太朗(坂口健太郎)」と書かれているのを発見し、若い男に勉強を教えてもらっていると見抜く洞察力。
田中(塚本晋也)の話になると様子がおかしくなる両親を冷ややかに見てたり。
姉から両親の馴れ初めを興味津々で聞いていたり。