人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり

50年生きてきても、まだまだ初体験というものはあるもので。長いようで短い期間なんですね。今後もいろいろ初体験することもあるんだろうな。

というわけで、今日は生まれて初めてケーキにロウソク立ててみた。
誰かの誕生日会に参加したことはあるけれど、いつも傍観者の立場だったのでケーキにロウソクを立てた経験はなかったし。
自分の誕生日にケーキにロウソクを立ててもらって吹き消したことはあったけれど。
まさか、自分で自分のためにケーキにロウソクを立てることになるとは思わなかったよね。
チョコプレートにチョコペンで「俺」とか書いてるし。ひとりぼっちで。

こんなことしながら、ふと小さい頃のことを思い出したり。3歳か4歳くらいだったと思う。
当時、僕は大人から年齢を聞かれると「Y歳Mカ月」と答えていた。たぶん、親が僕のことを紹介する時にそう言うのを聞いていて、それが正当な年齢(月齢)の言い方だと信じていたんだと思う。日齢を言わないのはちょっと変だとは感じていたけれど、まぁそういうもんなんだろうと折り合いをつけていた。

一方、テレビニュースで著名人の訃報を知らせる時は「Y歳でした」と言っている。
人の年齢は月齢単位まで言うのが正しいと信じていた僕であり、「Mカ月」部分を省略するということは誕生月に亡くなったんだなと解釈していました。しばらくすると、人が死ぬ時は必ずその人の誕生月なのだと思い込むようになりました。
そして、いつしか「人は必ずその人の誕生日に死ぬ」と信じるようになりました。どういう作用が働くのかはわからないけれど、そういう運命なんだろうと。

そうなると、自分の誕生日がくるのが怖くなるわけです。その日に自分が死んじゃうかもしれないから。誕生日プレゼントがもらえるのは嬉しいのだけれど、死んじゃったら元も子もないよなとか思うようになったわけです。

さすがに小学生くらいになったらそれが迷信だと気づいたわけだけれど、50歳になった今でもほんのちょっぴりなんとなく誕生日は薄気味悪く思うところがあるわけです。
薄気味悪く思いながらも、明日からまた元気に生きていこうと思います。ありがとうございます。

追伸:
さっき、スーパーで安いショートケーキとデコレーションキットを買って車で帰る途中、ランダム再生でSHISHAMOの『明日はない』という曲がかかりました。全く初めて聞く曲なんだけど。
やめれ、縁起悪い。

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