中島隆信『大相撲の経済学』

大相撲の力士が八百長に関わっていたというメール記録が見つかり、日本相撲協会が揺れている。来月、大阪で開催される予定だった平成23年大相撲三月場所の開催中止も正式に決まった

ここ数年、大相撲はスキャンダルまみれだ。
2007年には時津風部屋で力士への暴行死亡事件が発生したり、力士が野球賭博を行っていた問題であるとか、横綱・朝青龍が一般人への暴行をはたらき現役を引退したり。

そこへきて、今回の八百長発覚。ついに、日本相撲協会は存続の危機にすら直面しているようだ。

なお、大相撲に関する不祥事は昔からたくさんあるようで。「大相撲 不祥事の歴史: 耳の彩、眼の朝」にはいろいろと香ばしい事件が列挙されている。たとえば、拳銃所持で逮捕された大関、部屋関係者に暴力をふるって失踪した横綱、3億円の所得申告漏れなどなど、どれもこれも一般人の想像を絶しているような、いないような。

考えて見れば、大相撲の世界は異様だ。
江戸時代が終わって140年も経つのに、力士はいまだに髷を結っている。あの体の大きさを見ても、僕達と同じ人間だとはいまいち信じられない。
番付という制度の下、力士はピンからキリまで完全な序列に組み込まれている。下っ端の力士や入門したばかりの者は、先輩力士達に厳しい滅私奉公をしなければならないといった話も聞く。
僕達とは住む世界が違うようだ。

「そんだけ違う世界に生きているんだから、一般常識とは違う論理や習慣に従うのも仕方ないよな」
と思わないでもない。

一方で、
「それでも、なんでも、僕達と同じ現代社会に生きているのだから、一般的なルールや考え方に従ってもらわないと困るよ」
と言いたくもなる。

どちらの意見を採用するにしても、まずは大相撲の世界がどういう所なのかある程度勉強してみる必要はあるのではないかと思う。

そこで、今回、中島隆信の『大相撲の経済学』を読んでみた。

著者は慶応大学商学部の教授だが、『これも経済学だ』、『お寺の経済学』などの著作がある。
レヴィット&ダブナーの『ヤバい経済学』と同じような路線で、日常的にありがちな問題を、経済学でいうところの「インセンティブ」の観点から鮮やかに説明してみせるタイプの著作家だ。
なお、ちょうどこの記事を書いている途中、NHKで大相撲の不祥事のニュースが流れており、「大相撲に詳しい 慶応大学 中島隆信教授」としてコメントが流れていた。


さて、『大相撲の経済学』では、現役力士の給与体系の説明から始まり、引退後に協会に残って親方になるための方法・所得、日本相撲協会と各相撲部屋との役割分担、外国人力士の位置づけ、「茶屋」と呼ばれる独特なチケット販売形態など、大相撲に関する多くの話題が取り上げられている。

一見すればバラバラなテーマのようだが、立場の異なる人々が自分の利益を最大限にするため、どんなインセンティブに基づいて行動するという、一観した立場で記述されている。
各立場の人々がどんな誘因を持つか、その結果、どんな帰結がもたらされるかが実例に基づいて鮮やかに解説されている。

大相撲は、一応プロ・スポーツ業界に属すことになっているが、選手(力士)たちの境遇は他のプロ・スポーツと比べてそれほど恵まれているわけではないらしい。

例えば、プロ野球のスター選手ならば1億円を超える年俸も稀ではないが、大相撲の横綱になってもおよそ5000万円程度の年収(筆者の推定)しか得られないらしい。また、幕内力士の平均年収は2000万円程度であり、横綱になってもせいぜい平均の2-3倍の収入しかないらしい。
大相撲の番付は力士の成績に基づいて決定されるので、完全な実力主義の世界だが、他を寄せ付けない圧倒的な実力を持っていたとしても所得に関してはそれほど差がつかないそうだ。

そして他のプロ・スポーツとの収入の違いに関して特徴的なこととして、年功序列的な収入体系になっているそうだ。勝ち越しで場所を終えたり、横綱を破って金星をあげた時などに、「力士褒賞金」という得点が与えられるらしい。この得点は引退するまでずっと有効であり、一度獲得した得点が減らされることはない。そして、場所ごとに力士褒賞金に応じてボーナス的な給与が貰えるという。
つまり、順調に勝ち星さえ上げていれば、現役の間は常にボーナスが貰える。得点が減ることはないので、長く力士をやっていればいるほど、生涯獲得賃金が増えることになるのだ。この「力士褒賞金」の存在によって、格下の力士でも長く続けることで所得が増える(横綱との所得差が小さくなる)のだ。

さらに、現役引退後の再就職に関しても、相撲協会には独特な制度がある。
引退力士の約半数は、日本相撲協会の「年寄」として65歳の定年まで雇用が保証される(それ以外だとちゃんこ屋を開業したり、タレントになったりする者が多いようだ)。理事になって権力を発揮したり、審判部員として土俵際で取り組みを監督するなどのテレビでよく見かける仕事の他、会場の警備や広報、相撲教習所の教員などといった仕事があるそうだ。
引退力士の全員が年寄りになることができない理由は、年寄になるためには現役時代の成績に基づく基準があり、また、定数が決まっているために空きがないと採用されないからだ。

さて、「力士褒賞金」制度の存在により1度や2度の負けくらいでは、所得が大きく下がることはない。一方、横綱や大関への昇進がかかった一番や負け越し(この場合、番付が下がり所得が減る)寸前の取り組みでは勝つことの重要性が増す。そのため、ある種の場合には八百長への誘惑が大きくなると予想される。
また、幕内力士の半分以上は、引退後も協会に残ることになる。仮に15歳で入門し35歳で引退したら、20年の力士生活だ。しかし、その後65歳まで協会に残ると、30年もの年寄生活が待っている。そのため、他の力士(協会員)との関係性を良好に保ったり、他を犠牲にしても組織の維持しようとする誘因がはたらく(協会が無くなってしまったら、自分の働き口がなくなることだから)。そのことが、組織の利益優先や不祥事の隠蔽に寄与すると考えられるのだ。

1回ずつの取り組みは、確かに力士同士は敵であり勝ち負けを競う相手だが、長い目で見れば、力士同士は結託して組織を守る仲間なのである。そのことが、他のプロ・スポーツと比較してインセンティブが異なっているというのが著者の指摘だ。
例えば、プロ野球では、選手が引退後に日本プロ野球機構に自動的に再雇用されて、プロ野球の振興に従事するなんてことはない。自分の成績やチームの勝利のためにのみ努力するというインセンティブが働きやすいと考えられる。

さて、著者はもちろん不祥事のない大相撲を望んでいる。そのためには、力士や親方、年寄のインセンティブ構造を健全な方向に導く制度改革が必要だと考えている。
ただし、プロ・スポーツとしての健全化は目指すべきではないという立場のようだ。

大相撲は、世界に類の無い、日本独特の伝統芸能のひとつだ。力士たちの独特の姿の他、取り組みの所作も伝統的なものだ。
スポーツとしての真剣勝負には多少目をつぶっても、他にはない伝統文化として保存する道を模索したほうが良いという立場のようだ。

確かにその通りだと僕も思う。

それに、僕は八百長だってむしろ面白い彩りだと思う。
ちょっとやそっとの負けでは所得に影響がないとはいえ、やっぱり力士が負けることは不利益がある(負けるよりは勝つ方が確実に所得が増えるので)。それにも関わらず八百長を手伝って負けるということは、勝った方が策謀権術を張り巡らせて上手く立ちまわったってことだよね。なんだか、戦国大名や幕末志士たちのドラマのようで、それはそれで面白そうじゃん。

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